三、タイベン
26.井戸のカニ
風船を買えなかったアパートの子どもたちは、共同洗面所前で船をつくっている。洗面所は外にあり、新館の東にあった。洗面所は学校の手洗い場のように長く、いくつか水道の蛇口があった。流しの下には洗濯するときのおけ、洗濯板、洗濯石鹸、バケツなどがおかれていた。
「風船かってきました」
ジョンさんは細い風船で鉢巻きをつくった。
池山も雄二も船をつくるのが忙しく、ジョンさんのことはあまり気にしていない。
「なんや、ふつうの風船でもできるやん」
ジョンさんは、吉坊の頭に風船のはちまきをのせた。
「あの風船屋、嘘つきや」
幸江が怒っている。
ジョンさんから、風船をもらった吉坊は笑っている。その笑顔を見て、ジョンさんもすごく喜んでいた。
ジョンさんは、今度は風船のリンゴをつくろうとしている。
パンパンと何個も風船をわっている。
「あの風船、やっぱり、普通の風船じゃなかったのね」
「違います。あれも普通の風船です。私が不器用なだけです」
ジョンさんは、赤い顔をしている。
「そんなもん、作っても遊べへん。船つくろう」
「船ですか」
ジョンさんは驚いていた。
「そうやん、この子ら、川に船ながして遊ぶんや」
「どこの川ですか」
「吉田神社の川や」
「吉田神社に川ありましたか」
「溝みたいな川あるやろ」
ジョンさんと幸江は話しこんでいた。それから、熱心にジョンさんは雄二らの様子を見ていた。見ているだけなら、退屈やろうなあーと思う。膝を叩いてから、ええもん見せたろといい、流しの下から洗面器を出した。
ジョンさんは膝を乗りだして、洗面器を覗きこむ。
「これ、カニや」
「かに?」
ジョンさんは、珍しそうに見ていた。
「これも、吉田神社の川で捕れるのよ」
幸江が説明した。
「これは、川とちがう井戸や」
雄二は楽しそうに話した。
「井戸?」
幸江とジョンさんは不思議そうな顔をしている。
「そら、秘密やろ」
池山は雄二に忠告した。
「うん、そうやったな」
「どこにあるの?」
幸江が知りたがった。
「さぁ、吉田神社の川に行こう」
池山はみんなに呼びかけた。
雄二は、船が完成したので同意した。
ジョンさんもついて来た。
雄二の船も池山の船も大きすぎて、浮かばなかった。
雄二と池山は川をせき止めることにした。
「浮かんだぞ」
雄二と池山は叫んだ。
でも、大きすぎて、吉坊のように進まない。
船の大きさにくらべて、流れが弱いからだ。
「船は動かないと、面白くないな」
「よっしゃ、ダムを壊そう」
ダムを壊すと、吉坊の船がいきよいよく流れていく。
「待って!」
吉坊と恭子は、あわてて走っていった。
「あ、落ちる」
滝に落ちていき、船は見えなくなった。滝といっても、大人の背より少し高いくらいだ。吉坊は下をむいて、寂しそうにしている。池山は石垣を下りて行った。雄二らは、まわり道をして、滝の下に行った。
池山は岩の間にカニはいないかと探していた。
「船はどこにあるの」
恭子がきいた。
「そこにあるやろ」
池山は川岸を指さした。池山はもう船には興味がまったくない感じであった。
ジョンさんは、
「このあたりは石の溝にはなっていませんね」
あたりを見まわしていた。
「ほれ」
池山はジョンさんにカニを見せた。
「おう、小さなカニですね、大豆よりも小さいです」
ジョンさんもカニをさがしはじめた。
「ヤゴ見つけたよ」
幸江はうれしそうだ。
「ほんまや、ちょうだい」
池山の手に移る。
「これ、とんぼの幼虫や」
雄二はジョンさんに説明した。
「このへんも、荒らされていて、そう、カニとれんなあー」
「井戸に行こう。香取ちゃん、ジョンさんらに教えてもいいやろう」
池山は弟の頭にある風船の鉢巻を見ている。雄二は同意した。
「よっしゃ、井戸へ行くぞ」
元気よく号令をかけた。
もっと山の上に行く。
「井戸でカニとれるのですか。西瓜みたいですね」
ジョンさんは妙なことを話した。
「西瓜は畑や」
と、恭子が教えた。
「ほんまや」
と、みんで笑った。
道から離れたところに、レンガでつくられた四角い井戸がある。井戸には木のふたがしてある。雄二と池山はふたをとった。けっこう、重い。これは大人になってから、わかったことだが、これは井戸ではなく、上にある京大の貯水池の排水溝の空気抜きであった。しかし、その形から見て、雄二らは井戸と呼んでいた。
「危なくないですか」
ジョンさんは心配していた。
「いつもしていることや」
「大丈夫」
ふたりは声を合わせた。井戸は浅く、大人の背丈ほどしかない。池山と雄二は、ゴム草履のまま、井戸のなかに入っていく。
「ジョンさんも、幸江たちも、ここの場所、ほかの人には内証やからな」
池山の声が井戸の中でこだまする。井戸は深くないけれど、声が響いた。
「井戸の中は、水が流れているのですか」
上にいるジョンさんの声もこだました。
「そうや、チョロ、チョロ、水ながれとるで」
「水はそう深くありませんね」
「十センチくらいや」
井戸の中には岩があり、右手を岩の上においている。ほかはもきれいな砂地になっている。雄二は、井戸のレンガのすきまに、指を入れた。
「痛た……」
雄二はあわてて、指を出した。
「お、もしかしたら、カニや。わしとかわれ」
池山はレンガのすき間に棒切れを入れ、カニにはさませ、そのまま引っ張り出すのだ。
「カニおるんか」
吉坊の声が聞こえた。
「吉坊、あんまりのぞきこんだら、落ちるよ。落ちたら、怪我するよ」
「大丈夫です」
ジョンさんが吉坊を抱きかかえていた。
「大丈夫だよ~ん」
吉坊もうれしそうだ。
「珍しい、大きいカニや」
十円玉より一まわり大きかった。池山と雄二は外にでた。
「左のはさみがすごく大きい」
「大きくって、かわいくないわ」
幸江は苦虫をつぶしたような顔である。
そのカニもジョンさんが
「逃がしてやりましょう」
というので、池山は仕方なく逃がした。
閑話休題 井戸のカニと題しました。 実際は井戸ではなかったようです。 ぼくが大人になり、もう一度見に行ったときには、 コンクリートのフタがしてありました。 ぼくのようないたずら小僧が、 事故にあわないためなのでしょう。 今では、これもないかもしれんね。 |
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