磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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岩波ジュニア新書79 ナガサキ-1945年8月9日

2008年12月03日 | 読書日記など
『岩波ジュニア新書79 ナガサキ-1945年8月9日』
   長崎総合科学大学平和文化研究所・編/岩波書店1984年

この本でも、神の存在を認めもしないのに、「神の摂理」を理解されていたようです。
--そして新しい神になられたのでしょうか?
それとも、新しい神に彼らはなりたいのでしょうか?



中国人のことが書かれてあります。下「」引用。

「長崎県には、一三○○人近くの中国人労務者が連れてこられ、五つの炭坑に配置され、奴隷のように酷使された。これらの人びとのうち三三人は、スパイ等の嫌疑をかけられて検挙され、爆心地の北三○○メートルの長崎刑務所浦上支所で拘禁されていた。原爆が投下されたとき、かれらは、そこで一人残らず死んでしまった。」

中国人の被爆者の本、少なくありませんか?

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永井隆編の本についても書かれてありました。下「」引用。

「一九四九年、生き残った子どもたちの手記をもとに永井隆編『原子雲の下に生きて』が刊行され、大きな反響を呼んだ。」

司教も「神の御摂理」を語ったという。下「」引用。

「原爆によって聖堂が破壊されたあと、浦上第一病院(現、聖フランシスコ病院)に仮聖堂が設けられ、一一月二三日には浦上教区の原爆犠牲者合同慰霊祭が天主堂廃墟の前の広場で行われた。この慰霊祭には、生き残った信徒約六○○人が参列した。死者のミサを司式した浦川和三郎(うらかわわさぶろう)司教は、こう語った。
「明治の初め“旅”から戻った時、浦上は無人の荒野でした。しかし私たちは立ち上がりました。立派な聖堂も建てることができました。原爆は七五年の粒々辛苦(りゅうりゅうしんく)の成果を一度に砕いてしまったのです。犠牲になられた方がたは信徒として、立派な人たちでありました。……皆、天国へ召されました。原爆は、神の御摂理(みせつり)と考え、生き残った者は、浦上復興にべすとを尽すように。」
 この追悼説教に参列者たちは声をあげて泣いた。ミサのあと、信徒総代の永井隆博士が弔辞(ちょうじ)を読むと、慟哭(どうこく)の声はさらに高まった。」

「神の摂理」であって、司祭の摂理でもなければ、米軍の摂理でもありませんね……。

イデオロギー団体の集会ではないかわけですね。

『この子を残して』木下惠介監督作品

「39 怒りと祈りのはざまで -永井隆・秋月辰一郎・片岡津代」というタイトルの文書があります。

秋月の宗教観は趣味的であり、永井隆は生活にそくしているとボクは思う。
そして、秋月に親鸞を出してほしくないとボクは思う。
どうして、永井隆博士よりも、ABCCを非難しなかったのだ?
親鸞が医師ならば、島送りになろうと、ABCCを非難しただろう!?

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外国人のことも書かれてありしました……。下「」引用。

「41 狂気からの解放--捕虜収容所の証人たち」







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