『文藝春秋 2012年1月号』
木俣正剛・編/文藝春秋2012年
〈百年に1回ではなく、8回〉「歴史の思考実験」尾池和夫(国際高等研究所所長)。下「」引用。
「マグニチュード(M)九・○巨大地震が発生して東日本大震災を起こした。この百年ほどの巨大地震は世界で八回目で、そのたびに津波災害があった。今回はそれに原子力発電の事故が重なった。百年に八回もある自然現象を「未曽有」と表現することなく、また起こることとして危機管理の担当者は備えを怠らないことが大切である。」
菅原道真。下「」引用。
「-略-千五百年以上の長期間の歴史記録がある。日本で初めて地震の史料を編集したのは、貞観の時代を生きた菅原道真であった。
菅原道真が生まれた八四五年(承知一二年)頃から、日本列島は大地の活動期で、八四一年に丹那断層が動き、八五○年出羽の大地震、八六八年山崎断層の大地震、八六九年(貞観一一年)東日本の巨大地震、その後、八七八年関東諸国、八八○年出雲の大地震、そして八八七年南海の巨大地震と続いた。同じ時期に、磐梯山、浅間山、富士山、阿蘇山、開聞岳など、たくさんの噴火の記録があるが、中でも富士山の貞観の大噴火が知られており、八六四年六月から八六六年にかけての噴火が青木ヶ原樹海のある溶岩台地ができた。-略-」
「「平和利用」に隠された「核開発」--1945年」小出裕章(京都大学原子炉実験所助教)。下「」引用。
「進路を誤ったことは度々です。ただし、原子力に関わる者として私が挙げるとすれば一九五四年です。その時の三月、当時改進党代議士だった中曽根康弘が、突如として国会に原子炉建造予算を提出し、大きな議論もないまま成立してしまいました。それまで、学者で作る日本学術会議では、原子力とは核は同じものであり、原子力に手を染めてしまえば、必然的に核開発につながるとして、原子力開発に手を染めることに反対していました。
それ以降、日本では「核」と「原子力」という言葉が使い分けられ、「核」は軍事利用で悪であるが、「原子力」は平和利用で善であるとの宣伝が強くなされ、多くの人々が騙されることになりました。もちろん技術に「軍事利用」と「平和利用」の区別などなく、平和利用を標榜して開発された技術も必用であればいつでも軍事利用に転用できます。-略-また、昨年放映されたNHKの「“核”を求めた日本」でも、日本は「原子力の平和利用」を標榜しながら実は核兵器保有能力を手に入れることを求めていたことが明らかにされています。-略-もし日本が法治国家であるというのであれば、福島県全域に匹敵する土地を放棄しなければならないほどの広さです。こんな被害は戦争が起きても生じない被害です。」
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「機密文書発掘 日本の原発ウランはソ連製だった 米国はソ連製のウラン濃縮サーヴィスを日本に流した」有馬哲夫(早稲田大学教授)。下「」引用。
「リチャード・ニクソン大統領図書館所蔵の機密文書「ソ連のウラン濃縮サーヴィスの利用につていのアメリカの政策」は、不足分の全部ではないとしても、かなりの部分をほソ連から調達したことを示している。
信じられないことに、冷戦のまっただなか、アメリカは核兵器の原料にもなるウランの濃縮をなんと敵国ソ連に委託していたのだ。そしてこのソ連で濃縮されたウランは、自国用ではなく、もっぱら先進同盟国への輸出用とするとされた。ということは、そのかなりの部分が日本へ輸出され、次々に営業運転に入っていった日本の原子炉の燃料となったということだ。
ことの発端はGE(ゼネラル・エレクトリック)がソ連の濃縮サーヴィスを利用する承認を政府に求めてきたことだった。GEは事故を起こした福島第一原発一号炉や二号炉、敦賀原発一号炉などの原子炉を輸出したアメリカの軍差複合体としてよく知られる。これを示すのが七三年六月二九日付の「GEのソ連のウラン濃縮サーヴィス利用の申し出」というGEがアメリカ原子力委員会国際安全保障課長ら三名に宛てた以下の文書だ。-略-」
日本はソ連の核燃料を買っていたという……。
驚くことですね。
冷戦というより、対立をつくりだして軍事産業で大もうけという路線だったと言われても仕方がないでしょうね……。
どちらも、ゼロサムゲームの狂った思想……。だけど、水面下では金もうけ……。
バカをみるのは庶民ばかりなり……。
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木俣正剛・編/文藝春秋2012年
〈百年に1回ではなく、8回〉「歴史の思考実験」尾池和夫(国際高等研究所所長)。下「」引用。
「マグニチュード(M)九・○巨大地震が発生して東日本大震災を起こした。この百年ほどの巨大地震は世界で八回目で、そのたびに津波災害があった。今回はそれに原子力発電の事故が重なった。百年に八回もある自然現象を「未曽有」と表現することなく、また起こることとして危機管理の担当者は備えを怠らないことが大切である。」
菅原道真。下「」引用。
「-略-千五百年以上の長期間の歴史記録がある。日本で初めて地震の史料を編集したのは、貞観の時代を生きた菅原道真であった。
菅原道真が生まれた八四五年(承知一二年)頃から、日本列島は大地の活動期で、八四一年に丹那断層が動き、八五○年出羽の大地震、八六八年山崎断層の大地震、八六九年(貞観一一年)東日本の巨大地震、その後、八七八年関東諸国、八八○年出雲の大地震、そして八八七年南海の巨大地震と続いた。同じ時期に、磐梯山、浅間山、富士山、阿蘇山、開聞岳など、たくさんの噴火の記録があるが、中でも富士山の貞観の大噴火が知られており、八六四年六月から八六六年にかけての噴火が青木ヶ原樹海のある溶岩台地ができた。-略-」
「「平和利用」に隠された「核開発」--1945年」小出裕章(京都大学原子炉実験所助教)。下「」引用。
「進路を誤ったことは度々です。ただし、原子力に関わる者として私が挙げるとすれば一九五四年です。その時の三月、当時改進党代議士だった中曽根康弘が、突如として国会に原子炉建造予算を提出し、大きな議論もないまま成立してしまいました。それまで、学者で作る日本学術会議では、原子力とは核は同じものであり、原子力に手を染めてしまえば、必然的に核開発につながるとして、原子力開発に手を染めることに反対していました。
それ以降、日本では「核」と「原子力」という言葉が使い分けられ、「核」は軍事利用で悪であるが、「原子力」は平和利用で善であるとの宣伝が強くなされ、多くの人々が騙されることになりました。もちろん技術に「軍事利用」と「平和利用」の区別などなく、平和利用を標榜して開発された技術も必用であればいつでも軍事利用に転用できます。-略-また、昨年放映されたNHKの「“核”を求めた日本」でも、日本は「原子力の平和利用」を標榜しながら実は核兵器保有能力を手に入れることを求めていたことが明らかにされています。-略-もし日本が法治国家であるというのであれば、福島県全域に匹敵する土地を放棄しなければならないほどの広さです。こんな被害は戦争が起きても生じない被害です。」
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「機密文書発掘 日本の原発ウランはソ連製だった 米国はソ連製のウラン濃縮サーヴィスを日本に流した」有馬哲夫(早稲田大学教授)。下「」引用。
「リチャード・ニクソン大統領図書館所蔵の機密文書「ソ連のウラン濃縮サーヴィスの利用につていのアメリカの政策」は、不足分の全部ではないとしても、かなりの部分をほソ連から調達したことを示している。
信じられないことに、冷戦のまっただなか、アメリカは核兵器の原料にもなるウランの濃縮をなんと敵国ソ連に委託していたのだ。そしてこのソ連で濃縮されたウランは、自国用ではなく、もっぱら先進同盟国への輸出用とするとされた。ということは、そのかなりの部分が日本へ輸出され、次々に営業運転に入っていった日本の原子炉の燃料となったということだ。
ことの発端はGE(ゼネラル・エレクトリック)がソ連の濃縮サーヴィスを利用する承認を政府に求めてきたことだった。GEは事故を起こした福島第一原発一号炉や二号炉、敦賀原発一号炉などの原子炉を輸出したアメリカの軍差複合体としてよく知られる。これを示すのが七三年六月二九日付の「GEのソ連のウラン濃縮サーヴィス利用の申し出」というGEがアメリカ原子力委員会国際安全保障課長ら三名に宛てた以下の文書だ。-略-」
日本はソ連の核燃料を買っていたという……。
驚くことですね。
冷戦というより、対立をつくりだして軍事産業で大もうけという路線だったと言われても仕方がないでしょうね……。
どちらも、ゼロサムゲームの狂った思想……。だけど、水面下では金もうけ……。
バカをみるのは庶民ばかりなり……。
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