磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

文藝春秋 2012年1月号

2012年07月31日 | 読書日記など
『文藝春秋 2012年1月号』
    木俣正剛・編/文藝春秋2012年



〈百年に1回ではなく、8回〉「歴史の思考実験」尾池和夫(国際高等研究所所長)。下「」引用。

「マグニチュード(M)九・○巨大地震が発生して東日本大震災を起こした。この百年ほどの巨大地震は世界で八回目で、そのたびに津波災害があった。今回はそれに原子力発電の事故が重なった。百年に八回もある自然現象を「未曽有」と表現することなく、また起こることとして危機管理の担当者は備えを怠らないことが大切である。」

菅原道真。下「」引用。

「-略-千五百年以上の長期間の歴史記録がある。日本で初めて地震の史料を編集したのは、貞観の時代を生きた菅原道真であった。
 菅原道真が生まれた八四五年(承知一二年)頃から、日本列島は大地の活動期で、八四一年に丹那断層が動き、八五○年出羽の大地震、八六八年山崎断層の大地震、八六九年(貞観一一年)東日本の巨大地震、その後、八七八年関東諸国、八八○年出雲の大地震、そして八八七年南海の巨大地震と続いた。同じ時期に、磐梯山、浅間山、富士山、阿蘇山、開聞岳など、たくさんの噴火の記録があるが、中でも富士山の貞観の大噴火が知られており、八六四年六月から八六六年にかけての噴火が青木ヶ原樹海のある溶岩台地ができた。-略-」

「「平和利用」に隠された「核開発」--1945年」小出裕章(京都大学原子炉実験所助教)。下「」引用。

「進路を誤ったことは度々です。ただし、原子力に関わる者として私が挙げるとすれば一九五四年です。その時の三月、当時改進党代議士だった中曽根康弘が、突如として国会に原子炉建造予算を提出し、大きな議論もないまま成立してしまいました。それまで、学者で作る日本学術会議では、原子力とは核は同じものであり、原子力に手を染めてしまえば、必然的に核開発につながるとして、原子力開発に手を染めることに反対していました。
 それ以降、日本では「核」と「原子力」という言葉が使い分けられ、「核」は軍事利用で悪であるが、「原子力」は平和利用で善であるとの宣伝が強くなされ、多くの人々が騙されることになりました。もちろん技術に「軍事利用」と「平和利用」の区別などなく、平和利用を標榜して開発された技術も必用であればいつでも軍事利用に転用できます。-略-また、昨年放映されたNHKの「“核”を求めた日本」でも、日本は「原子力の平和利用」を標榜しながら実は核兵器保有能力を手に入れることを求めていたことが明らかにされています。-略-もし日本が法治国家であるというのであれば、福島県全域に匹敵する土地を放棄しなければならないほどの広さです。こんな被害は戦争が起きても生じない被害です。」

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「機密文書発掘 日本の原発ウランはソ連製だった 米国はソ連製のウラン濃縮サーヴィスを日本に流した」有馬哲夫(早稲田大学教授)。下「」引用。

「リチャード・ニクソン大統領図書館所蔵の機密文書「ソ連のウラン濃縮サーヴィスの利用につていのアメリカの政策」は、不足分の全部ではないとしても、かなりの部分をほソ連から調達したことを示している。
 信じられないことに、冷戦のまっただなか、アメリカは核兵器の原料にもなるウランの濃縮をなんと敵国ソ連に委託していたのだ。そしてこのソ連で濃縮されたウランは、自国用ではなく、もっぱら先進同盟国への輸出用とするとされた。ということは、そのかなりの部分が日本へ輸出され、次々に営業運転に入っていった日本の原子炉の燃料となったということだ。
 ことの発端はGE(ゼネラル・エレクトリック)がソ連の濃縮サーヴィスを利用する承認を政府に求めてきたことだった。GEは事故を起こした福島第一原発一号炉や二号炉、敦賀原発一号炉などの原子炉を輸出したアメリカの軍差複合体としてよく知られる。これを示すのが七三年六月二九日付の「GEのソ連のウラン濃縮サーヴィス利用の申し出」というGEがアメリカ原子力委員会国際安全保障課長ら三名に宛てた以下の文書だ。-略-」

日本はソ連の核燃料を買っていたという……。

驚くことですね。

冷戦というより、対立をつくりだして軍事産業で大もうけという路線だったと言われても仕方がないでしょうね……。

どちらも、ゼロサムゲームの狂った思想……。だけど、水面下では金もうけ……。

バカをみるのは庶民ばかりなり……。










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文藝春秋 2011年12月号

2012年07月31日 | 読書日記など
『文藝春秋 2011年12月号』
    木俣正剛・編/文藝春秋2011年

特集名 大型企画 真相開封35



「朝日新聞 私は原発批判記事を書いて左遷された」吉本光一(元朝日新聞科学部記者)。 下「」引用。

「福島第一原発の炉心溶融(メルトダウン)事故から半年が過ぎても、地上に降り積もった大量の放射性物質や汚染水の処理は、捗っていない。「想定外」が言い訳のように繰り返されている。しかし、朝日新聞科学部記者だった吉本光一氏が、この種の「重大事故」は仮想の絵物語でなく、それに備えない限り原発の安全性は保証されない、と問題を提起したのは、三十九年前のことだった。」

「朝日ジャーナル」 下「」引用。

「筆者は一九七二年、「疑惑深まる軽水炉の安全性」(「朝日ジャーナル」、六月二十三日号)、「原子力めぐる市民の選択」(同、八月十一日号)を発表した。そして、原子炉のカラ焚きなど重大事故を訴えたのが、九月に発表した「問われる原子力利用の安全性」(中央公論別冊・経営問題」秋季号)だった。
 論文では、主として次の三点について論じた。
一・原子炉のカラ焚き防止の方策が万全といえない
二・原子力利用の安全性確保は開発に携わる研究者だけが担う問題でない
三・原子力利用をめぐる原子力研究者と国・社会との「契約」」

「発表直後に出された転勤辞令」 下「」引用。

「この問題提起は、原発を否定するものではなく、原発とわが国社会が共存するための条件を提示したにすぎない。筆者に、当時在籍していた東京本社科学部から北海道支社報道部へ、突然の転勤の辞令が出されたのは、雑誌の発売日から三週間ほどたった後だった。発令は十月一日付、論文を掲載した雑誌の発行日と同じだった。-略-」

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「水谷功 東京電力と小沢一郎事件をつなぐ「この男」」森功(ノンフィクション作家)。下「」引用。

「東京電力・福島原発と、「政治とカネ」問題で裁判の渦中にある小沢一郎・元民主党代表の政治団体への違法献金で名前のあがったゼネコンは、東電から原発がらみの工事を受注し、そこには不透明な金の流れが浮かび上がる。政治家・東電・ゼネコンを結ぶ人脈の中心にいたのが“最後のフィクサー”白川司郎である。-略-」

「水増し工事から数億円が流れる」フィクサー白川。下「」引用。

「○六年七月、水谷は十一億円もの巨額脱税事件で東京地検特捜部に逮捕される。このとき脱税の原資と疑われたのが、東電発注の福島第二原発残土処理事業における水増し工事だ。六十億円の事業費のうち、数億円が白川周辺に流れたのではないか、という疑いが浮上。白川だけでなく、東電会長の荒木に対する捜査もおこなわれた。
「水谷建設は、白川さんのお陰で原発事業に携わってきた。水谷さんと白川さんは敦賀原発で知られる福井県の原発建設からタッグを組んで工事に携わっている。まるで兄弟分のような仲だと思います」
 水谷建設の取引先業者はそう振り返る。白川は水谷の自家用ヘリに同乗し、原発建設現場を視察に訪れる。そんな間柄だ。
 そんな白川司郎も昨年、自宅にまで担保を設定され、絶体絶命かのように見られた。だが、実はそうではなかった。西松建設関係者が言葉を足す。
「四十億円の貸金は、昨年中に半分くらい返済してきています。一年も経たないうちに二十億円も返すとは、タダものではない。その力の源泉はやはり東電との関係でしょうね」
 自ら経営する警備会社「ニューテック」で青森県六ヶ所村にある「核燃料サイクル施設」の警備を受注。東電も出資し、発電所の使用済み核燃料を処理するプルトニウム生産工場だ。関係者を驚かせた自宅の担保設定。四十億円もの借入は、核燃料サイクル施設の警備による収益をはじめとした東電の仕事で返済してきたとみて間違いないだろう。-略-」

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文藝春秋 2011年11月特別号

2012年07月31日 | 読書日記など
『文藝春秋 2011年11月特別号』
   木俣正剛・編/文藝春秋2011年

特集名 田中角栄の恋文



「塩野七生の「宗教法人に課税せよ」なぜ国会はとりあげない」桜内文城(みんなの党 参議院議員)。

「原発大臣冷温停止は第一歩に過ぎない 担当大臣が初めて語る「フクシマ」の今」細野豪志(環境・原発担当相)。
「除染のロードマップを示す」
--他の学者などの意見と異なるような気がします。空想科学政治では困ったものですね。いや、ここまでひどいのは、手塚治虫の漫画よりもひどいのでは?

「想定外はウソだった 津波は「浸水想定区域」を超えていない」葉上太郎(地方自治ジャーナリスト)。








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