『エネルギー倫理命法
-100%再生可能エネルギー社会への道-』
ヘルマン・シェーア(著)/
今本秀爾、他(訳)/緑風出版2012年
原書名 Der energethische Imperativ
図書館の説明文。下「」引用。
「「従来型のエネルギー経済体制」からの脱却と、再生可能エネルギーをベースとした新しい経済体制への完全な「パラダイムシフト」を提言。ドイツを脱原発に踏み切らせた理論と政治的葛藤を描く。」
表紙の裏。下「」引用。
「「ソーラーの父」といわれる著者、ヘルマン・シェーア(1944~2010)は、ヨーロッパ太陽エネルギー協会(EUROSOLAR)会長、ドイツ連邦議会議員として2000年にドイツの「再生可能エネルギー法」を成立させ、今日の脱原発・再生可能エネルギー社会へと導いた立役者である。
著者の遺作である本書は、原子力発電が人間存在や自然と倫理的・道徳的に相容れないこと、大規模集中型ではなく地域で自給できる小規模分散型エネルギーへの転換こそが合理的であり、化石燃料を使用せず100%再生可能エネルギーでまかなうことが、将来ではなく今現在可能であることを明らかにする。また、原子力発電や化石燃料との併存論や大規模エネルギー開発が、いかに不経済で地球環境が汚染するかを分析。再生可能エネルギー社会への転換および構築は、文明史上不可避の絶対要件であると説く。メルル首相をして脱原発へ踏み切らせた理論と政治的葛藤のプロセスがここに再現される。」
「背負いきれない原子力」 下「」引用。
「-略-私がカールスルーエの核研究センターの研究者であった頃(一九七六年-一九八○年)、私は原子力に反対する自分の立場を明確にした。たとえ原子力にかかる費用がゼロであったとしても、それを拒否せねばならないと。
その主な理由の一つは、クリスティーネ・ヴァイツゼッカーと、エルンスト=ウルリッヒ・フォン・ヴァイツゼッカーの両氏が的確に指摘している。つまり原子力施設には、いかなる科学技術にも必要不可欠な「有事への対応体制」が欠けているということである。これはすなわち社会全体をゆるがす、取り返しのつかない大惨事を引き起こしかねない過ちの可能性を、原子力発電が内包しているということである。それは原子力でいえば炉心溶融(メルトダウン)、すなわち想定最大事故である。-略-」
ビル・ゲイツの案もやはりダメ。下「」引用。
「二○一○年の春に国際新聞に幽霊のごとく現れた、マイクロソフト創始者のビル・ゲイツが小型原子炉を開発する意向だという告知も、原子力への救いとはならなかった。ゲイツのプランによれば、この小型原子炉は、一○から三○○メガワットの出力を持ち、一○○%自動運転され、ウランをごくわずかしか消費しないという。しかし研究開発チームの報告によれば、この小型原子炉であってもメルトダウンの可能性を完全には排除できず、対策はさららに時間を要するだけに過ぎないとのことである。核廃棄物という負の遺産も残り、研究開発がたとえ成功するとしても、それに要する時間や、かかる費用についても、まったく情報が出されていない。ビル・ゲイツと彼の研究開発チームが、物理学的=技術的に最高度の要求を満たす、このプロジェクトに魅せられているということも、原子力復権の理由になり得なかった。ドイツ物理学学会のエネルギー作業部会の物理学者もまた懲りもせず、二○一○年三月に原発の新設を要求したが、まだ諦めがついていない。-略-」
「見え透いた「ベース電力」という口実」 下「」引用。
「従来型のものであれ、再生可能エネルギーベースのものであれ、どんなエネルギー供給システムも、予備電源や貯蔵なしにはやってはいけない。-略-」
奇しくも……【フクシマ】 下「」引用。
「奇しくも本書では、原子力の可能性について触れられた章(第二章)で「メルトダウンによる最大想定事故の可能性」に大きな警鐘を鳴らされており、この著作が出版されたから半年後に、福島第一原発事故が起きたことは、まるでシェーアがこの事故を予見していたかのような偶然の一致であり、身震いすらさせられる。その意味で、実は今日の日本の状況こそ--反面教師という意味で--シェーアーが真に主張したかった、一○○%の再生可能エネルギーへのシフトを通した世界経済の「パラダイムシフト」に至るための「最後の」動機づけと警鐘を、皮肉にも暗示しているように思えてならない。」
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目 次
-100%再生可能エネルギー社会への道-』
ヘルマン・シェーア(著)/
今本秀爾、他(訳)/緑風出版2012年
原書名 Der energethische Imperativ
図書館の説明文。下「」引用。
「「従来型のエネルギー経済体制」からの脱却と、再生可能エネルギーをベースとした新しい経済体制への完全な「パラダイムシフト」を提言。ドイツを脱原発に踏み切らせた理論と政治的葛藤を描く。」
表紙の裏。下「」引用。
「「ソーラーの父」といわれる著者、ヘルマン・シェーア(1944~2010)は、ヨーロッパ太陽エネルギー協会(EUROSOLAR)会長、ドイツ連邦議会議員として2000年にドイツの「再生可能エネルギー法」を成立させ、今日の脱原発・再生可能エネルギー社会へと導いた立役者である。
著者の遺作である本書は、原子力発電が人間存在や自然と倫理的・道徳的に相容れないこと、大規模集中型ではなく地域で自給できる小規模分散型エネルギーへの転換こそが合理的であり、化石燃料を使用せず100%再生可能エネルギーでまかなうことが、将来ではなく今現在可能であることを明らかにする。また、原子力発電や化石燃料との併存論や大規模エネルギー開発が、いかに不経済で地球環境が汚染するかを分析。再生可能エネルギー社会への転換および構築は、文明史上不可避の絶対要件であると説く。メルル首相をして脱原発へ踏み切らせた理論と政治的葛藤のプロセスがここに再現される。」
「背負いきれない原子力」 下「」引用。
「-略-私がカールスルーエの核研究センターの研究者であった頃(一九七六年-一九八○年)、私は原子力に反対する自分の立場を明確にした。たとえ原子力にかかる費用がゼロであったとしても、それを拒否せねばならないと。
その主な理由の一つは、クリスティーネ・ヴァイツゼッカーと、エルンスト=ウルリッヒ・フォン・ヴァイツゼッカーの両氏が的確に指摘している。つまり原子力施設には、いかなる科学技術にも必要不可欠な「有事への対応体制」が欠けているということである。これはすなわち社会全体をゆるがす、取り返しのつかない大惨事を引き起こしかねない過ちの可能性を、原子力発電が内包しているということである。それは原子力でいえば炉心溶融(メルトダウン)、すなわち想定最大事故である。-略-」
ビル・ゲイツの案もやはりダメ。下「」引用。
「二○一○年の春に国際新聞に幽霊のごとく現れた、マイクロソフト創始者のビル・ゲイツが小型原子炉を開発する意向だという告知も、原子力への救いとはならなかった。ゲイツのプランによれば、この小型原子炉は、一○から三○○メガワットの出力を持ち、一○○%自動運転され、ウランをごくわずかしか消費しないという。しかし研究開発チームの報告によれば、この小型原子炉であってもメルトダウンの可能性を完全には排除できず、対策はさららに時間を要するだけに過ぎないとのことである。核廃棄物という負の遺産も残り、研究開発がたとえ成功するとしても、それに要する時間や、かかる費用についても、まったく情報が出されていない。ビル・ゲイツと彼の研究開発チームが、物理学的=技術的に最高度の要求を満たす、このプロジェクトに魅せられているということも、原子力復権の理由になり得なかった。ドイツ物理学学会のエネルギー作業部会の物理学者もまた懲りもせず、二○一○年三月に原発の新設を要求したが、まだ諦めがついていない。-略-」
「見え透いた「ベース電力」という口実」 下「」引用。
「従来型のものであれ、再生可能エネルギーベースのものであれ、どんなエネルギー供給システムも、予備電源や貯蔵なしにはやってはいけない。-略-」
奇しくも……【フクシマ】 下「」引用。
「奇しくも本書では、原子力の可能性について触れられた章(第二章)で「メルトダウンによる最大想定事故の可能性」に大きな警鐘を鳴らされており、この著作が出版されたから半年後に、福島第一原発事故が起きたことは、まるでシェーアがこの事故を予見していたかのような偶然の一致であり、身震いすらさせられる。その意味で、実は今日の日本の状況こそ--反面教師という意味で--シェーアーが真に主張したかった、一○○%の再生可能エネルギーへのシフトを通した世界経済の「パラダイムシフト」に至るための「最後の」動機づけと警鐘を、皮肉にも暗示しているように思えてならない。」
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