『@Fukushima-私たちの望むものは- vita SANGAKUSHA』
高田昌幸・編/産学社2011年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「あの日以来、福島の人々はその現実のなかで
何を考え、どう生きていこうとしているのか。
さまざまな立場からの思いを綴った
「福島の真実」がここにある。」
「安全安心」と思っていたという……。下「」引用。
「事故の前までは、「原発は安心安全なんだ」というのを植え付けられていたから、その前を通って全然、恐怖感とかはねかった。「一号機が爆発した」って聞いても、飯舘村に放射能が来るなんて、おれは夢にも思わねえし。-略-」
森住卓と村の数値。下「」引用。
「ほんで、森住さんの線量計で一○○超えたって時に、後で村が発表した一五日の数値は四四・七。俺は今でも疑問、持ってたんだ。村は今も同じ場所の数値を公表してんだけれども、今で二・六くらいだけどり、村内どこ歩いたって二・六なんて場所ねえんだ。よくも村はこういう低い場所を選んだもんだと思っている。除染でもししたんじゃねえかって。「飯舘は線量低いんだよ」って言うために、意図的にやっているのかなあって。実際、おれの家の周りの数値は五・六もあんだ。-略-」
果物売れず……。下「」引用。
「(原発事故の影響で果物が売れず、客足が途絶えた)この状態が続けば、農家は潰れます、潰れます。全部が潰れるって。いっぺんにはいかないかもしれないけど、一年でもひどい。今年も補償をもらえねば、多数の農家が潰れます。来年もこの状態であれば、農家は完璧に潰れます。-略-」
「逃げようとしたら、大丈夫だべ、安心だべ、と抑え込まれる」
広島大の教授……。下「」引用。
「広島大の教授が大丈夫だ言ったばかりなので、誰も相手にしてくれない。データについての質問すら出ないような状態でしたね。」
山下と県のアドバイザーたち。下「」引用。
「それを提唱した福島県の健康アドバイザーの山下俊一・長崎大学教授(当時)は、今でも言ってますからね。一○○ミリまで浴びても、しかも妊婦でも乳幼児でも全然問題ない、って。市政だよりにも文章載ってます。恐ろしいことなんですけど、撤回はしていません。「(一○○ミリシーベルト以下でも危険だという)データがないから、学者としては危険だと言うことはできない」「安全とは言い切れないのでは」と思うんですが、学者はそういう考え方はしない。それが分かりました。
もちろん、そういう学者ばかりではないんですよ。「データがないから最悪のことを考えて行動しなてはならない」とおっしゃる方もいます。ただ、県が雇ったアドバイザーは、安全ばかり言う方三人なんです。そういう人をそろえたんです。」
山下俊一たち(NHK含む)の洗脳。下「」引用。
「「これは、そんなレベルではありせん」と専門家に言われて、多くの人が「あ、そうなんだ」ってなった。安全神話にコロッと騙されてきた構造が、そのまま継続しているだけなんです。そういう意味では、福島の事故も全く教訓になっていない。非常に問題です。教訓にしないといけないんですよね? でも、今のところは教訓になっていないんです。
あのね、ほんっとすごかったんですよ。洗脳。あのね、だってね、新聞・テレビ・NHKも。ローカルで、NHK福島放送局で、番組と番組の間にミニ番組なんかつくって「安全です」って。とにかく「健康被害は心配ない」みたいな番組を流しているんですよ、ずーーーっと。
市政頼りを開けば「安全」でしょ。新聞開いても、そうでしょ。これじゃぁ、みんな「安全なんだ」となりますよね。そう信じたいじゃないですか。僕らでも、そうなりかけたくらいですから。学識者は一応、情報を疑ってかかるのに……でも、安全だと思い込みたい誘惑に、時々駆られるんですよ。僕、駆られましたよ。第五福竜丸とか、もちろん知ってて、そうなんですよ。「この福島市のレベルでは、あそこまでいかないんだろう」と。だって、あんだけ、専門家が断言するんだから。
僕だったら……、今から思えばですよ、いろんな見解があって学者の間でも意見が一致していないんだったら、正直に「自分は大丈夫だと思うよ」と言ったうえで、「危険だという専門家もいる」って付け加えれば良かったんですよ。山下俊一さん(長崎大教授=事故当時)たちは、これを付け加えてないから問題なんですよ。さも、それが専門家の間で合意されているような言い方をしたので。」
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学者性善説(石田葉月)。下「」引用。
「私は学者についても性善説を採っていました。放射線分野の先生の中では「これくらいの低線量なら安全というのは、確定していることなんだ。そこまで言うなら、本当に安全なんだろう」って思ったんです。実は。僕も学者です。学者だからこそ、そう思った。
学者があそこまで断言するのは、よほどのことです。でしょ? でしょ? 研究者なら、自説に対して「否定的な見解もある」って、付け加えるはずですもん。ちゃんとした学者なら。それほど有名な先生なら、なおさら……。三月下旬ごろは僕自身も「やっぱり福島市を捨てたくない」とか、「信じたい」とか。で、福島に帰って来て大学来れば「安全だ」っていう先生を招いて講演会です。」
「高いでねえか」と言ったら、エライ先生(山下俊一)たちが、飯舘村は「大丈夫」、その結果、2月の間も、放射能を浴び続けたという。
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当初の活動……。下「」引用。
「子ども福島は、正式な設立前の四月二五日に準備会を開きました。集まった一○○人以上の方たちの多くは、それまで自分一人で「ここに子どもりいさせていいだろうか」と悩み、ほかの家族からは「何過剰に反応しているのよ」「お母さんだけ何騒いでるのよ」と言われて。そうやって苦しんできた人たちなんです。「一○○ミリ安全キャンペーン」は相当、浸透してましたから。子どもを避難させないことへの罪悪感から、学校に送り出した後、一人で涙したお母さんも多いんです。「ここ(子ども福島)には自分と同じ思いの人たちがいる」って分かっただけで、話は尽きないですよね。「すぐに何かしなければ」ということに、みなさんなって。それで「自分ができるところまず動きましょう」と、進んでいったんです。
当初の活動は、「避難・疎開・保養」「測定・除染」「知識・普及」「防護」の四つでした。八月からは、「測定・除染」については、私たち市民団体の力ではもう限界があるということで 、国や自治体に任せて。今は残る三つを柱に活動しています。-略-」
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「会津へ移るとき、町民からいろんな声が出た。」 下「」引用。
「なぜ会津なんだ、と。あのときは、(原発が)ちょっと落ち着いてきた時でもあったんで、三春町とか田村市とか、「近くがいいんでないか」っていう声もだいぶありました。いわき市は津波の被害もありましたし、無理かなって。まあ、会津は医療施設も整っている。生活をするにも商店街とかありますから。学校関係も下見した段階で、市内で二、三年前に廃校になった小学校が空いてるということで。もろもろのことを判断すると、会津にお世話になるのが賢明といいますか。
ここで仕事に就いた人も多少はいますが、会津もやっぱり経済が落ち込んでいるっていうか、そんな関係で、なかなかハローワークに行っても仕事がないようです。」
合併……。下「」引用。
「大熊町はそのころ、熊町村だった。大野村と合併して大隈町になるのは、昭和二九年(一九五四年)だわな。」
「後輩の小出君ともよく話すんです。ああいう福島の光景を見ずに死にたかったな、って。でも、まだやることはあるよな、って」篠原宏典さん(仙台市 みやぎ脱原発・風の会代表)。 下「」引用。
「篠原さんはす東北大学の原子力核工学科を卒業した。在学中から原子力に疑問を持ち、「原子力エリート」への道を捨て、自らは鳶職となって「原発は危険」と訴えてきた。京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏は大学時代の二年後輩だ。小出氏が「自分が反原発になるきっかけになった人」という篠原氏は、人生を賭けて、何を社会に問い掛けてきたのか。-略-」
「核に平和利用も軍事利用もあるものか」と思うのは、大学で核を勉強してからのことであってね。入学時は「広島と長崎は繰り返させない。平和利用の研究だ」っていう考えが、すんなり心に入っていって。本当に素直な気持ちで原子力核工学科に進んだんですね。」
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「東大良心4人組」 下「」引用。
「ところが、東大総長は早々に「人体に影響を与えるレベルではなく、健康にはなんら問題はないと考えています」という見解を出しました。それで有志の教員が「低線量被曝の問題は決着がついていないんだから、断言してはいけない」ということになって、総長見解の文言を変えさせる運動が起きたんですよ。「東京大学環境放射線情報」を問う東大教員有志、というグループ名ですね。
その中心メンバーたちは僕は「東大良心の四人組」って呼んでいるんです。押川正毅(物性研究所)先生ら四人の方は、我々福島大学の運動を支援してくれていたんですよ。かなり前から。東大でも柏キャンパスの問題で、我々と似た運動を起こされて。この四人が中心になって、東大の教員に働きかけて、七十何人の署名を集めて、そして見解を変えさせたんですね。
「良心の四人組」も、押川先生だけが物理、理系なんです。でも、エンジニアじゃない。残りの三人は社会科学系です。福島大も東大も同じで、押川賛同者もほとんどが社会科学系なんですよ。理系、ダメなんです。工学系、ダメなんです。東大の先生も嘆いてました。それでも社会科学系の人たちを中心に運動が起きたんだ、と。我が大学もわーって声をうげた教員の多くは、社会科学系です。理工系では、僕と、あと一人、二人くらいです。」
取材マニュアル。下「」引用。
「一九九九年の茨城県東海村のJCO事故などを契機に、民放各局が作成した原発事故の取材マニュアルでは、毎時一○マイクロシーベルトを超えたら即座に取材は中止、年間積算被曝量が一ミリシーベルトを超える地域は立ち入り禁止となっている。」
「地元紙の記者は県民なんです。福島で生活しているんです。全国メディアの人に、その意味が本当に分るんでしょうか?」
「会津の三泣き」 下「」引用。
「「三泣き」は、しょせんお客さんだから出る言葉なんです。高いところから地域を見ていて、溶け込んで来ないんです。勝手に三回泣いている感じですね。それを受け容れる気にはなりません。」
東電入社……。下「」引用。
「昭和三九年の一二月にはずめて、東電が福島へ入ってきました。第一原発の調査所をつくったんです。そんなときに、町長になっていた親父が「これから百姓はあれだから、おまえも勤め人になった方がえんではないか。おまえも東電さ入ったらどうだ?」と。そいで昭和三九年、東電に入りました。傍ら、農業も続けました。高校を出てからの、そうさなあ、二○年くらい田んぼをやったかな。東電へ入っても田んぼ仕事はやったから。その後も家族や人に任せながらだけども、農業はずっとやってたんです。」
ベンツやBMW……。下「」引用。
「原発の作業員は普通のサラリーマンより何倍もお金もらっちゃうけど、田舎で遊ぶところないし、お金使うといえば、家か車。持ち家の人は車に金を使うし、家を持っていない人は家を建てて、どんどん大っきくしてく。ベンツとかBMWが異常に多い。豪邸ばっかしですよ。ちっこい田舎なのに。(定期検査などで全国を)流れ流れている人は、ギャンブルに金使うから、六号線沿いは異常なぐらいパチンコ屋が多い。そんな、そこに金落としていくんでね。」
住民だって悪い。下「」引用。
「(経営していた美容院の)の客の半分以上は、東電関係者ですよ。作業員か、東電の社員かのどっちか。「今にして思えば」ってやつですが、経済的な面からすれば、発電所があるメリットは、ものすごい大きいんですよ。原発に反対するってこと自体ができないような状況でしたよね。
反対する人に現実感が沸かない? そうそうそう。「何馬鹿なこと言ってんの」っていう。「東電の人たちいなくなったら町の経済どうなんの」って。おんぶにだっこだから。原発がそこにあることによって潤ってますから。事故の責任は東京電力だっ言うのは簡単なんですよ。でも結局、あそこの原発を推進したのは国ですし。それに対して土地を提供したり、原発できても反対しなかったのは住民ですし。
いまは東京電力と国が悪いってことになってますけど、実際は住民だって悪いんですよ。「自分たちが悪い」って、住民は知っているんですよ。」
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施設長、三瓶さん。下「」引用。
「--三瓶さんは「いいたてホーム」施設長に加え、福島県社協の老人福祉施設協議会長なども兼任している。だからこそ、原発から二○キロ圏内(警戒区域)にあった。全施設の入所者の今後が、気に掛かって仕方がない。
二○キロ圏内にあった計六つの特養施設に関しては、その入所者を預かっている側も環境の変化で大変な状況です。かつての場所に戻れる当てがあるんなら、そこに新たな施設を造ればいいだけですけど、戻れないんです。避難したままの状態で三年、五年過ぎすというのは大変なことで。
だから今、福島市内とか郡山市内に少し大きなの施設を造ろうという動きがあるんです。そうした施設を造って、避難している入所者たちを集めてくる。職員は一般公募して。構想段階ですけど、そういうふうにして一○○人でも二○○人でも戻していく。
とくに二○キロ圏内の施設は、現地に戻ることは非常に困難なんでしょうねえ。チェルノブイリでも二○年以上経過して戻れない、って言ってますからね。ここ(いいたてホーム)で受け入れができればいいんですが、職員が減ってきてるんで、それもできない。もう少しは職員がいれば、満床まで受け入れができるんですが。-略-」
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「原発離婚」と自殺。下「」引用。
「「原発離婚」や「原発別居」が増えている、とされていますね。そういう家庭内のことで精神的にきつくなってくると、自殺へのリスクが高まる。それが目に見えて想像ができる状況になってきたんじゃないかな、と。
大きな社会的変化は、個々人ではもうどうにもならないんです。原発の状況を、誰かが何とかする、一人で何とかするというのは無理な話です。」
自殺……。下「」引用。
「俺の友達が自殺したんだ。相馬の酪農仲間だ。六月一○日に自殺して、一一日に見つかったんだ。俺、一番恐れていたんだ。飯舘の酪農家でそう人が出ないかと。というのは、そういう思いを持っている人がいつぱいいたわけだ。酪農一筋でやってきた人が、いっぱいいたわけだ。その人たちの、屠畜に行く牛を見送る姿を見て、何か起きねばいいと思ってたんだ。ずーっと案じてた。幸い、飯舘では起きねかった。
ところが、相馬市で起きた。JAでは相馬も飯舘村も一緒だから。同じグループだから。昔から知っている友達だ。彼には彼の事情があったんだけど、最終的にそういうものも全部、原因は原発なのよ。すべて原発よ。「原発さえなければ」「残った酪農家は原発に負けずに頑張ってください」って、(自殺した場所の)三メートル先の板にチョークで書かれてあった。」
「--非常時のいま、自殺防止に向け何が必要なのだろうか。」 下「」引用。
「例えば一次産業の方はふだん、保健師さんなとあまり接しないですよね? どちからといえば、農協の経営相談の人たちとかですよね? そしたら一次産業の方たちが集まりやすい農協などの場所で、一次産業の方を対象とした総合相談というか、保健師さんによる心のケアまでも含めて、トータルに相談窓口を開設する、と。
無職の方で言うと、「仕事がない」から始まって、生活が苦しくなっていって、もしかしたら多重債務の問題も抱え、鬱状況にあるかもしれない。そんな想像ができます。そういう人たちが集まりやすいところ、ハローワークなどに場所を構えてですね、ハローワークの就業支援だけでなくて、債務問題を助言できる弁護士にも来てもらう。生活支援の福祉事務所の担当者にも来てもらう。さらに保健師にも来てもらう。仕事を探しに来た方が、債務や心の相談、生活支援について、いい意味で芋づる式に相談できる支援策を行う。
できることは多くなくて、限られていますけど、やはり長く寄り添っていく姿勢が大事なんどと感じています。」
家賃を二重払いしないといけないという。
アクアマリンの職員も書かれています。
苦境を知った作家・吉永みち子の援助。「ざくろ坂プロジェクト」
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