『放射線とのつきあい-老科学者からのメッセージ-』
岡野眞治・著/かまくら春秋社2011年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「NHKスタッフとともに
福島第1原発事故後の現地に向かい
放射線を測り続ける老科学者、
岡野眞治 渾身の一冊
NHKディレクター七沢潔の人物表『はかるひと』掲載」
「「はかるひと」岡野先生の現場」七沢潔。下「」引用。
「岡野先生は「はかるひと」です。眼に見えず、臭いもせず、音もしない放射線を計測して、世界に浸入した放射能による汚染の実態を正確に解明するのです。それも六○年以上の歳月、遠くは水爆実験が行なわれた南太平洋や原発事故後のチェルノブイリ、近くは米艦船の放射性漏洩を追って佐世保や横須賀に、そして今はお住いのある鎌倉で、まるで天文学者が宇宙を観測するように、一日も欠かさずに「はかり」続けて来られました。そして「はかる」とき、徹底して現場に足を運ぶのが岡野先生の流儀です。そんな先生のこだわりが垣間見られる場面が最近ありました。
二○一一年四月の末、東京電力・福島第一原発正門前でのことです。私たちNHK取材班は発電所の外観だけでも撮影しようと車で来たものの、通常の千三百倍の強い放射線の中、防護服に身を包み、怖い目をした大勢のガードマンに立ちふさがられ、怒鳴られ、車のナンバーを書き留められるなどされてすっかり萎縮気味になっていました。
その時でした。「中に入れそうかな?」八四歳の岡野先生が、いつもと変わらぬ低い声音で言います。放射線測定器に目を落とし続ける老科学者は、このまま原発構内に入って放射線の測定を続けようと意気軒高です。気弱になった若い取材班を叱咤せんばかりの勢いでした。-略-」
現場へ。下「」引用。
「-略-瞬く間に話は進み、すでに番組に参加していた若い木村真三博士が岡野先生の開発した測定記録装置を借りて車に積み、福島中の道路を走破、汚染地図を作成することになります。そして浪江町津島地区赤宇木周辺でホットスポット(高濃度汚染地帯)を見つけると、岡野先生の目は輝き、「僕も現場に行く」と相成ったのです。
「行ってみなけりゃわからない。計ってみなけりゃわからない」
これまで繰り返し耳にした岡野先生の言葉です。」
若い研究者やジャーナリストへ。下「」引用。
「パソコンの窓からしか世界を見ない若い研究者やジャーナリストに、かけがえのないメッセージを伝えていると、私は改めて思いました。」
この本……。下「」引用。
「-略-前半では放射線を認識し、放射線を利用してきた歴史、放射能の内容を把握、放射線の認識の背景、放射線測定方法の変遷、環境放射線のに内容ならびにふるまいを中心に紹介し、後半では放射線の影響、身を守る方法、ならびに今後の対応を示す内容としました。」
「X線による医療関係者の被曝とシーベルト博士の放射線測定器開発」
「宇宙線の発見」 下「」引用。
「気球による測定で、ビクター・フランツ・ヘスが宇宙放射線を発見」
「深海の放射能測定」 下「」引用。
「深海の海底の放射能(天皇放射能)の様子はあまり四肢知られていませんが、海洋科学技術センター(海洋研究開発機構)のホームページで紹介されています。
この測定には深海調査機器が利用されており、シンチレーションスペクトロメータが導入されており、天然放射能であるウラン、トリウム、カリウムがスペクトル測定で分別できます。特に海底のラドン温泉は、沖縄近海で見つけられています。」
「あとがき」岡野眞治。下「」引用。
「平成二十三年三月十一日遭遇した災害は八十を過ぎた年寄りにとって、驚きと負担がのしかかりました。半世紀に渡り、環境放射線の研究と実務にたずさわり、長年の経験とわずかながらの環境放射線測定機材で、老後のボランティアで、旧知の仲間と交流し、鎌倉に居を構えている関係で、三浦半島活断層調査会の顧問をし、ガンマ線スペクトロメータによる測定で活断層測定調査をしていました。活断層帯では、地面のくずれから天然の放射性物質であるウラン系列のラドンの放出が活発なことから地中にあるカリウムに対してラドン子孫核種のラジウムB・Cの比率が多くなることで、活断層の摘出に有効とのことから測定していました。また環境でのラドンの挙動、宇宙放射線の変動を知る目的で、自宅に測定機械をおき、連続測定により放射線情報を時系列で測定していました。-略-
この本を福島で被災された方々と愛する妻にささげます。
平成二十三年九月吉日」
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目 次
岡野眞治・著/かまくら春秋社2011年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「NHKスタッフとともに
福島第1原発事故後の現地に向かい
放射線を測り続ける老科学者、
岡野眞治 渾身の一冊
NHKディレクター七沢潔の人物表『はかるひと』掲載」
「「はかるひと」岡野先生の現場」七沢潔。下「」引用。
「岡野先生は「はかるひと」です。眼に見えず、臭いもせず、音もしない放射線を計測して、世界に浸入した放射能による汚染の実態を正確に解明するのです。それも六○年以上の歳月、遠くは水爆実験が行なわれた南太平洋や原発事故後のチェルノブイリ、近くは米艦船の放射性漏洩を追って佐世保や横須賀に、そして今はお住いのある鎌倉で、まるで天文学者が宇宙を観測するように、一日も欠かさずに「はかり」続けて来られました。そして「はかる」とき、徹底して現場に足を運ぶのが岡野先生の流儀です。そんな先生のこだわりが垣間見られる場面が最近ありました。
二○一一年四月の末、東京電力・福島第一原発正門前でのことです。私たちNHK取材班は発電所の外観だけでも撮影しようと車で来たものの、通常の千三百倍の強い放射線の中、防護服に身を包み、怖い目をした大勢のガードマンに立ちふさがられ、怒鳴られ、車のナンバーを書き留められるなどされてすっかり萎縮気味になっていました。
その時でした。「中に入れそうかな?」八四歳の岡野先生が、いつもと変わらぬ低い声音で言います。放射線測定器に目を落とし続ける老科学者は、このまま原発構内に入って放射線の測定を続けようと意気軒高です。気弱になった若い取材班を叱咤せんばかりの勢いでした。-略-」
現場へ。下「」引用。
「-略-瞬く間に話は進み、すでに番組に参加していた若い木村真三博士が岡野先生の開発した測定記録装置を借りて車に積み、福島中の道路を走破、汚染地図を作成することになります。そして浪江町津島地区赤宇木周辺でホットスポット(高濃度汚染地帯)を見つけると、岡野先生の目は輝き、「僕も現場に行く」と相成ったのです。
「行ってみなけりゃわからない。計ってみなけりゃわからない」
これまで繰り返し耳にした岡野先生の言葉です。」
若い研究者やジャーナリストへ。下「」引用。
「パソコンの窓からしか世界を見ない若い研究者やジャーナリストに、かけがえのないメッセージを伝えていると、私は改めて思いました。」
この本……。下「」引用。
「-略-前半では放射線を認識し、放射線を利用してきた歴史、放射能の内容を把握、放射線の認識の背景、放射線測定方法の変遷、環境放射線のに内容ならびにふるまいを中心に紹介し、後半では放射線の影響、身を守る方法、ならびに今後の対応を示す内容としました。」
「X線による医療関係者の被曝とシーベルト博士の放射線測定器開発」
「宇宙線の発見」 下「」引用。
「気球による測定で、ビクター・フランツ・ヘスが宇宙放射線を発見」
「深海の放射能測定」 下「」引用。
「深海の海底の放射能(天皇放射能)の様子はあまり四肢知られていませんが、海洋科学技術センター(海洋研究開発機構)のホームページで紹介されています。
この測定には深海調査機器が利用されており、シンチレーションスペクトロメータが導入されており、天然放射能であるウラン、トリウム、カリウムがスペクトル測定で分別できます。特に海底のラドン温泉は、沖縄近海で見つけられています。」
「あとがき」岡野眞治。下「」引用。
「平成二十三年三月十一日遭遇した災害は八十を過ぎた年寄りにとって、驚きと負担がのしかかりました。半世紀に渡り、環境放射線の研究と実務にたずさわり、長年の経験とわずかながらの環境放射線測定機材で、老後のボランティアで、旧知の仲間と交流し、鎌倉に居を構えている関係で、三浦半島活断層調査会の顧問をし、ガンマ線スペクトロメータによる測定で活断層測定調査をしていました。活断層帯では、地面のくずれから天然の放射性物質であるウラン系列のラドンの放出が活発なことから地中にあるカリウムに対してラドン子孫核種のラジウムB・Cの比率が多くなることで、活断層の摘出に有効とのことから測定していました。また環境でのラドンの挙動、宇宙放射線の変動を知る目的で、自宅に測定機械をおき、連続測定により放射線情報を時系列で測定していました。-略-
この本を福島で被災された方々と愛する妻にささげます。
平成二十三年九月吉日」
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