磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

放射線とのつきあい-老科学者からのメッセージ-

2012年05月12日 | 読書日記など
『放射線とのつきあい-老科学者からのメッセージ-』
   岡野眞治・著/かまくら春秋社2011年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「NHKスタッフとともに
福島第1原発事故後の現地に向かい
放射線を測り続ける老科学者、
岡野眞治 渾身の一冊
NHKディレクター七沢潔の人物表『はかるひと』掲載」



「「はかるひと」岡野先生の現場」七沢潔。下「」引用。

「岡野先生は「はかるひと」です。眼に見えず、臭いもせず、音もしない放射線を計測して、世界に浸入した放射能による汚染の実態を正確に解明するのです。それも六○年以上の歳月、遠くは水爆実験が行なわれた南太平洋や原発事故後のチェルノブイリ、近くは米艦船の放射性漏洩を追って佐世保や横須賀に、そして今はお住いのある鎌倉で、まるで天文学者が宇宙を観測するように、一日も欠かさずに「はかり」続けて来られました。そして「はかる」とき、徹底して現場に足を運ぶのが岡野先生の流儀です。そんな先生のこだわりが垣間見られる場面が最近ありました。
 二○一一年四月の末、東京電力・福島第一原発正門前でのことです。私たちNHK取材班は発電所の外観だけでも撮影しようと車で来たものの、通常の千三百倍の強い放射線の中、防護服に身を包み、怖い目をした大勢のガードマンに立ちふさがられ、怒鳴られ、車のナンバーを書き留められるなどされてすっかり萎縮気味になっていました。
 その時でした。「中に入れそうかな?」八四歳の岡野先生が、いつもと変わらぬ低い声音で言います。放射線測定器に目を落とし続ける老科学者は、このまま原発構内に入って放射線の測定を続けようと意気軒高です。気弱になった若い取材班を叱咤せんばかりの勢いでした。-略-」

現場へ。下「」引用。

「-略-瞬く間に話は進み、すでに番組に参加していた若い木村真三博士が岡野先生の開発した測定記録装置を借りて車に積み、福島中の道路を走破、汚染地図を作成することになります。そして浪江町津島地区赤宇木周辺でホットスポット(高濃度汚染地帯)を見つけると、岡野先生の目は輝き、「僕も現場に行く」と相成ったのです。
「行ってみなけりゃわからない。計ってみなけりゃわからない」
 これまで繰り返し耳にした岡野先生の言葉です。」

若い研究者やジャーナリストへ。下「」引用。

「パソコンの窓からしか世界を見ない若い研究者やジャーナリストに、かけがえのないメッセージを伝えていると、私は改めて思いました。」

この本……。下「」引用。

「-略-前半では放射線を認識し、放射線を利用してきた歴史、放射能の内容を把握、放射線の認識の背景、放射線測定方法の変遷、環境放射線のに内容ならびにふるまいを中心に紹介し、後半では放射線の影響、身を守る方法、ならびに今後の対応を示す内容としました。」

「X線による医療関係者の被曝とシーベルト博士の放射線測定器開発」

「宇宙線の発見」 下「」引用。

「気球による測定で、ビクター・フランツ・ヘスが宇宙放射線を発見」

「深海の放射能測定」 下「」引用。

「深海の海底の放射能(天皇放射能)の様子はあまり四肢知られていませんが、海洋科学技術センター(海洋研究開発機構)のホームページで紹介されています。
 この測定には深海調査機器が利用されており、シンチレーションスペクトロメータが導入されており、天然放射能であるウラン、トリウム、カリウムがスペクトル測定で分別できます。特に海底のラドン温泉は、沖縄近海で見つけられています。」

「あとがき」岡野眞治。下「」引用。

「平成二十三年三月十一日遭遇した災害は八十を過ぎた年寄りにとって、驚きと負担がのしかかりました。半世紀に渡り、環境放射線の研究と実務にたずさわり、長年の経験とわずかながらの環境放射線測定機材で、老後のボランティアで、旧知の仲間と交流し、鎌倉に居を構えている関係で、三浦半島活断層調査会の顧問をし、ガンマ線スペクトロメータによる測定で活断層測定調査をしていました。活断層帯では、地面のくずれから天然の放射性物質であるウラン系列のラドンの放出が活発なことから地中にあるカリウムに対してラドン子孫核種のラジウムB・Cの比率が多くなることで、活断層の摘出に有効とのことから測定していました。また環境でのラドンの挙動、宇宙放射線の変動を知る目的で、自宅に測定機械をおき、連続測定により放射線情報を時系列で測定していました。-略-
 この本を福島で被災された方々と愛する妻にささげます。
    平成二十三年九月吉日」









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地震大国の防災を考える-想定を超える大震災に備えて- 「サロン・ド・防災」ダイジェスト 1

2012年05月12日 | 読書日記など
『地震大国の防災を考える-想定を超える大震災に備えて- 「サロン・ド・防災」ダイジェスト 1』
   東京いのちのポータルサイト・監修/自由国民社2012年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「首都直下地震、迫り来る西日本大震災。
災害に立ち向かうために何をしておくべきか。
21名の防災専門家による「防災」「減災」提言集。」



首都圏4千万人。下「」引用。

「家族や企業などの安否確認のようなパーソナルな内的情報、災害状況や広域避難など全体状況を理解し共有化する外的情報、これらの情報がうまく展開できれば、首都圏4000万人をパニックに陥らせることなく、巨大災害に対応できるのではないでしょうか。そして、個人な十分な備えをしていれば、いや、一人ひとりが対応することによってのみ、「大量化が問題となる課題」、例えば、帰宅問題やトイレ問題も軽減できるはずです。大群衆を冷静に動かすための情報戦略について重要性を再確認した3.11でした。」

同じものがまた来ると思っている人たちが多いですね。
関東大震災を想定すると、恐ろしいですよ。
まともに考えているテレビ番組はほとんどありませんね。
運がよければ生き残れるくらいの江戸時代の人たちがいうことが今も現実のように思えてなりません……。

「『災害ボランティア』」栗田暢之(NPO法人 レスキューストックヤード代表理事)。下「」引用。

「災害ボランティアというと、大災害に遭ったときに救護をしたり、焚き出しをしたり、泥かきをしたりという、いわゆる「作業をしに行く」というイメージが主流を占めているかもしれません。実は阪神・淡路大震災から14年かかってやっとわかったことなのですが、一番大切なことは、作業の前に被災者の方の話を傾聴することです。被災者のそばにいるだけでも力になる場合もあります。被災者の方々は家を失ったり、あるいは最悪の場合は自分の大事な人を失っているわけです。そういう方々に「何かやることはありませんか」と声をかけるのではなく、そばにいて「大変でしたね」と声をかけながら、人間関係を少しずつつくっていくことが大切です。「実はこんなにつらい思いをしているんだ」というようなことを、ぽつぽつと話されたときに、それをしっかり聴いて、それに従って私たちは動いていかないといけないのではないかと感じています。-略-」

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韓国公害レポート-原発から労災まで-

2012年05月12日 | 読書日記など
『韓国公害レポート-原発から労災まで-』
   仁科健一、野田京美・著/新幹社1989年

韓国の反原発運動。下「」引用。

「一九八八年十一月に徐さんたちが交流に訪ねてこられたときに、仁科さんと初めてお会いしました。そして、翌年二月号の『反原発新聞』で、韓国の反原発運動の初報道をしていただいたのである。私たちにとってはもちろんだが、韓国の反原発運動の動きは、世界中の反原発・脱原発の運動からひとかたならず注目されている。私は『NUKE INFO TOKYO』という英文のニューズレターの発行にも関与しているが、ほんらい日本の原子力事情を海外に伝えるために発刊した同紙が、徐さんたちの運動をひろく紹介しているのも、そのためだ。-略-」



社員と労働者被曝。下「」引用。

「労働者被曝については、一概に比較するのが難しい。日本の場合、一年間に約五万人が原発で放射線下の労働をしており、電力会社の社員は、その一割くらいである。被曝線量でいうと、社員が浴びている量は四%にもならない。」

韓国でもアメリカの売り込み。下「」引用。

「韓国で原発が次々と作られているのも、自国内で反原発運動が高まっているアメリカが、外国に売り込み先を求めているからだと思われますね。韓国では、軍事独裁政権が米国の利益を代弁しているので、米国のいいなりに原発建設を進めることができるでしょう。それにマスコミが統制されていますから、一般市民が核兵器や原発の恐ろしさを知ることはできません。
 しばらく前にはこんなこともありました。エネルギー研究所が放射性物質をたれ流していたというんです。これは当時も全然わからなかったんですが、エネルギー研究所が大徳(テドク)に移転してから明らかになりました。それでも政府は「危険な状態ではない」というんですから、あきれた話でしょう。」

糞尿ビン、反原発デモ。下「」引用。

「一九八八年十二月五日、韓国の原発地帯三カ所で反原発デモが行なわれた。全羅南道霊光、慶尚南道古里、慶尚北道月城での同時行動である。原発が動き出してから一○年、韓国ではかつてないできこどであった。
 -略-孫の手を引くおばあさんや、赤ん坊をおぶった村の若いヨメも、ハチマキをしめスローガンを叫んでいる。
「わらはな、八代のご先祖様から二○○年もここに住んどるんだ。おまえらは、いつかんここに来て人の邪魔をするんじゃ」
 糞尿を入れたビン数十本を投じて、住民たちはす対抗した。-略-」

「原発のかくされた事故たち」 下「」引用。

「原発の事故が常にかくされようとするのは、私たちが日本で見るとおりである。これは韓国でも同様だ。一九八七年現在、原子力は韓国の発電量のうち五三・一%を占めているが、それだけの位置を占めながら原発の安全問題は民衆の目に見えないようにされてきた。-略-」

べクテル……。下「」引用。

「ベクテルは古里一、二号機、月城一号機といずれも受注をのがした。巻き返しのため、ベクテルは青瓦代に強い人脈を持つという韓国系アメリカ人ヨンシク・チョをコンサルタントとして雇った。年棒九万ドルのほか六万ドルの必用経費を認めるという契約だった。
 チョのおかけで、べクテルは大韓エンジニアリングとの合弁成立にこぎつけるとともに、莫大なカネとモノをつぎ込んだ。韓国に入国するベクテルの社員は、新しいゴルフのクラブやテレビ・ビデオ・冷蔵庫の高級品はアメリカから持ち込んだが、こうしたものは港からチョの家に運ばれ、そこからどこかの高官にみつがれたという。また、チョは週一回くらいのペースで、ベクテルのソウル駐在社員に現金を要求した。ベクテルの社員はバンク・オブ・アメリカのソウル支店で小切手を現金にかえては、チョに届けた。チョの運転手の一人は、韓電の子会社の韓国原子力機械の副社長あてに四○○ドル程度の金を数回届けたと告白した。-略-」

WHかCEか……。下「」引用。

「霊光三、四号機がコンバッション・エンジニアリング(CE)に発注されたことも大きな物議をかもした。従来、原子炉系統についてウェスティング・ハウス(WH)に圧倒的に依存してきた韓国が、ここにて突然CE社をとったのはなぜか。韓弼淳(ハンビルスン)エネルギー研究所長は、WH社が技術を韓国人技術者に教えようとしないので、その点について原子炉共同設計に積極的なCE社をとった、と釈明する。だが、CE社は海外での発注経験が乏しいなどの理由で、台湾が一度導入を決定しながら撤回したこともあるいわくつきの会社だ。おまけに韓電が求めたのは一○○万キロワットの設備だが、CEは八五万と一三○万キロワットは作ったことがあっても一○○万キロワットは未経験だという。」

パンフレット。下「」引用。

「公追パンフレット『この地の反核運動』で、次のように述べている。
「原発もたま、当初の米国の原爆生産という軍需産業の道具として生れた。現在の原子力発電技術は、本質的に『軍需産業の技術』であって、決して『平和時代の技術』ではない……、『潜在的な核爆弾』である核発電所を認めるようなや核兵器反対などありえないし、核兵器の存在を認める核発電所反対もありえないことを、明らかにしなければならない」
 韓国民衆は在韓米軍の持ち込んだ核兵器と背中合わせに生きている。反核・平和の声が高まるとともに、反原発の声もより大きくなるにちがいない。」

「温山病」 下「」引用。

「最初の報道は一九八五年一月十八日付『韓国日報』で、「温山地区住民五○○人にイタイイタイ病の症状」と社会面トップが報じられた。」

「公害輸出」 下「」引用。

「この事件も公害輸出のひとつといえよう。すでに七○年代から、日本の産業界の韓国に対する公害輸出はいわれてきた。日本における公害反対運動の高まりとともに、操業のむずかしくなつた企業は工場を韓国や東南アジアに移転した。-略-」








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