池田信夫さんが「セクハラで空転する国会はデモクラシー末期」について掲載している。
まったく、同感である。以下、要約し記す。
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国会は今週ずっと、財務次官のセクハラ問題で審議が止まっている。野党6党は国会内で集会を開き、女性議員はセクハラ運動のプラカードを掲げ、喪服をつけて麻生総務相の辞任を求めた。
これを見て私は、
もう日本のデモクラシーは終わったと思った。
国会は法案や予算を審議する「国権の最高機関」であって、個人のスキャンダルを暴く場ではない。そんなことはいうまでもないが、ここ1年以上、国会は森友・加計やセクハラなどのくだらないスキャンダルで埋まっている。
こういう状態は、戦前の政党政治末期に似ている。1923年の朴烈事件では、政治犯が女と抱き合う写真が帝国議会で問題になり、野党は内閣の「監督責任」を追及した。議会はこのスキャンダルで空転し、若槻内閣は総辞職した。これが政党政治の行き詰まるきっかけだった。
スキャンダルに明け暮れる政党政治に国民はいやけがさし、金融恐慌で窮乏化した農村を救済すると称して北一輝などのファシストが出てきた。軍部は腐敗した政治家を追放して総力戦体制を築こうと満州に進出を図った。
戦前も今も大衆は政策には関心がなく下ネタが好きだから、野党はそういうわかりやすい不祥事を騒ぎ立てる。マスコミもそれを応援して、内閣が倒れるまでスキャンダルを煽る。こうして内閣が弱体化して政党政治が機能しなくなると、国民は軍部を熱狂的に支持した。
つまり戦前の政治がおかしくなった原因は、デモクラシーと軍部の対立の中で軍部が暴走したのではなく、普通選挙で大衆迎合に走ったデモクラシーの暴走だった。政党は1930年代末まで存在しており、政党を超える独裁政権が出てきたわけではない。むしろ政党は軍部の対外的膨張主義に積極的に「翼賛」した。それを煽動したのが新聞だった。
デモクラシーが第1次大戦以降に支配的になったのは、戦争に強いからだ。ドイツもオーストリアもオスマンもロシアも、帝政は戦闘で負けたわけではなく、国内の革命で崩壊した。デモクラシーは国民を主権者として「自分の戦争」に総動員するので、長期戦に強いのだ。
しかし普通選挙で過剰に代表された大衆の関心は金と女のスキャンダルに集中し、議会は機能しなくなる。戦前の場合はそこに軍部が出てきたが、戦後の自衛隊にはそういう求心力はない。官邸主導の安倍政権が終わると、またコンセンサスの得られない問題を果てしなく先送りし、内閣が毎年変わる「決まらない政治」が始まるのだろう。