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龍の声

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「阿含宗と桐山雄①」

2014-03-07 08:47:59 | 日本

桐山雄(きりやま せいゆう)氏は、神奈川県横浜市出身で仏教系の新宗教である「阿含宗」(あごんしゅう)の管長である。
今回は、「阿含宗と桐山雄」について、3回にわたり学ぶ。



先ず、桐山雄の略歴は、以下の通りである
1921年 横浜市神奈川区に生まれる。
1948年頃 横浜に「皇道治教」の布教所を開設
1954年 自宅を「観音慈恵会」として「皇道治教」から形式上独立
1960年 「真言宗金剛院派得度」
1967年 「真言宗大日山金剛華寺観音慈恵会」に改称
1969年 「真言宗金剛院派補副管長」就任。石川県で宗教法人格取得
1970年 富士宮市で「大柴燈護摩供」開催(後の阿含の星祭り)
1978年 「観音慈恵会」とは別に「阿含宗」を立ち上げる
1981年 「阿含宗本庁」に改称

また、「炎の祭典・阿含の星まつり」という大柴燈護摩供を、毎年2月11日、京都花山にて開催することでも知られ、炎の中に龍神や仏が出現するとされる。当日はKBS京都をキー局とする独立U局のテレビ中継もされ、焚きあげられる護摩木は毎年3,000万本以上と発表されている。

さて、「阿含宗と桐山雄」についての略史を詳しくみていく。

1948年頃に桐山靖雄管長が横浜に創設した皇道治教の布教所そしてそこから形式上独立した観音慈恵会を前身とする。阿含宗の名称である阿含はゴータマ・ブッダ=釈迦とその弟子たちの教法を伝える唯一の経典教典、阿含経(アーガマ)を依経とすることを自称したことから名付けられた。

桐山は観音信仰から法華経、密教へ進み、『阿含経』の七科三十七道品という因縁解脱の法(成仏法)を体得し、成仏力を得る。真言宗金剛院派の北野惠宝氏の元で得度する。故小田慈舟師より「如意宝珠法」を伝授された又、チベット仏教より金剛・胎蔵両部の伝法灌頂を受け(ニンマ派からはギュルミ・ドルチェ・ドドルチェル〈一切万霊守護金剛〉の法号と金剛阿闍梨耶の僧位を授かり、その後、サキャ・ツァル派からンガワン・リクジン・テンペル〈智証光明大覚者〉の法号と金剛大阿闍梨耶の僧位を授かる)、ブータン仏教からカギュ派の無上タントラ瑜伽の法統を受け継ぐ。さらには南伝仏教のスリランカ仏教からもキールティ・スリ・サマ・ドゥータ(輝く平和の大王)という法号と名誉大僧正位を授かり、法統を受け継いでいる。

初期には桐山の念力で護摩木に火を点けるという「念力護摩」が話題になった。念力の護摩は関西本部、北陸本部、東京総本部の3カ所で奉修された。桐山はクンダリニーヨーガのチャクラ開発の技法を取り入れることで密教の求聞持法、念力の護摩を成就し、それが阿含経の「七科三十七道品」の修行達成につながった、としている。

一般に「桐山密教」として知られるように、かつては密教の修行による能力開発を強く打ち出していたが、教団名の変更に伴い、阿含経が釈迦が直接説いた内容をまとめた唯一の経典であるという主張を強め、自らそれを奉じていると自称していることによる正統性の主張や、釈迦の生地やローマ教皇庁を訪問するなど国際的に活動する印象を与える。

但し、実質的処女作で大ベストセラーとなり密教ブームを巻き起こした『変身の原理』(昭和46年刊)で、すでに七科三十七道品について言及している。 近年は、1996年モンゴル大柴燈護摩供、2000年の9・11後に行われたニューヨーク護摩法要、2003年パリ大柴燈護摩供、2006年アウシュビッツ大柴燈護摩供、2007年シベリア大柴燈護摩供、2008年イスラエル大柴燈護摩供、2009年ガダルカナル大柴燈護摩供など海外での法要も活発に行う。特に近年はシベリア抑留犠牲者や南方戦線の戦死者など、太平洋戦争の戦死者・戦没者・殉難者の供養法要が多くなっている。その要因は戦死した人の多くが桐山と同年代であり、その御霊を安らかにしたいという桐山の思いからである、という。

1980年代にはニューアカデミズムの流行に乗り、カジュアルなメディテーションをアピールし、また1983年のSIGGRAPHには阿含宗により製作されたCG「MANDARA'83」が出展されたり、広告代理店に依頼したメディア戦略なども、若い世代に受け入れられる側面があった。またこの頃、東京神保町にメディテーションセンター「シャンバラ」というスポットを開設するなどしていた。

1983年にはチベット仏教ゲルク派のダライ・ラマ14世は、1983年に仏舎利を寄贈したり、1984年に日本武道館における「第一回 オーラの祭典」で護摩壇を並べて、合同護摩を行った。また、1989年にノルウェーのオスロで開催されたノーベル平和賞授賞式にも阿含宗を招待していた[4]など、ダライ・ラマ14世は阿含宗を積極的に支援していた。

桐山の初期の著書にあった学歴や信仰歴等が事実と異なるとして、週刊誌で採り上げられたことがあった。オウム真理教(現アーレフ)が引き起こしたとされる一連の事件が問題になった際、同教団の古参信者の中にかつては阿含宗の信者だった人がいたことが話題になった。1991年(平成3年)、炎の祭典・阿含の星まつり修法地の隣接地境内(敷地約15万坪)に総本殿・釈迦山大菩提寺を建立、チベット仏教ニンマ派ミンドリン寺コチェン・トルク宗務総長一行を招き盛大に落慶法要を営む。

1994年(平成6年)より、それまで「金剛界」「胎蔵界」の大柴燈護摩供であったものを「神仏両界の秘法」による大柴燈護摩供とした。仏界の本尊に真正仏舎利、神界の主神として素戔嗚命を奉祭し神仏両界の護摩壇として毎年星まつりを修している。

1999年のノストラダムスの予言に関して、著書で桐山がこの予言の中の恐怖の大王(恐怖する大王)であったと述べている。








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