面白い文章を見つけた。それは、井伏鱒二である。彼は、1898~1993年95歳の天寿を全うしたが、大酒のみである。これは、わが人生の鏡と言える。
では、以下、井伏鱒二の生きざまについて学ぶ。
井伏鱒二の小説は教科書で初めて触れたという人も多い。教科書に多く掲載されている短編『山椒魚』は井伏の代表作である。
太宰治の師匠としても知られる井伏は戦前から戦後にかけて長い間、活躍した作家である。戦前には『ジョン萬次郎漂流記』(この作品で直木賞を受賞)、戦後の作品として『黒い雨』などがある。
「文士が通った店」という縁が語られる店は数多いが、作家では井伏の逸話が最も多いのではないだろうか。神田のうなぎ店、大久保や中野の居酒屋、早稲田のそば屋、阿佐谷の中華料理店、西荻窪フランス料理、等々。さまざまな店に通い、請われれば店の命名もしている。
井伏の自宅は東京の西側、荻窪にあった。井伏が『荻窪風土記』に書き記したような自然は少なくなったが、荻窪には今も井伏が書いた「昼間にどてらを着て歩いていても、後ろ指を指されるようなことはない」という雰囲気は残っており、商店街には「井伏さんはよく来たよ」という店がまだいくつもある。作家は亡くなるまで、庶民の街で過ごし、その人柄は誰からも愛された。
昔、NHKのテレビ番組で見た僕の好きなエピソードがある。ある日、小説家の開高健が井伏の自宅を訪ねた。50歳を過ぎ、小説が書けずにいた開高は「時代がデリケートでモノを書く野蛮さが湧かない。ホンマに言うんですが、書けないんです。先生、どうすればいいでしょう」と尋ねた。
井伏は酒を片手に悠然とした態度でこう言った。
「書けない時は何でも書くことですな。書くことがなければ、いろはにほへと、と書けばよろしい」
その言葉を聞いた開高は、参りましたとばかり笑うしかなかった。悩みがちなこの小説家は井伏よりも先に逝ったが、井伏の長寿の理由はこんなところにあったのかもしれない。
ひょうひょうとして動じず、悩みもユーモアで包み込む。好きなものを食べ、酒を飲む。井伏は特にウイスキーを愛した。「飲んだ時は酔った方がいい。飲んで酔わないと体に悪い」とうそぶき、二日酔いの解消法はぬるめの風呂に入り、ゆっくりと沸かしていくという体に悪そうな方法だった。それで酔いが冷めたら、また飲みはじめる。それでも95歳まで作家は生きたのだ。
井伏が訳した「于武陵の勧酒」という詩は特に知られる。
「この杯を受けてくれ、どうぞなみなみと注がせておくれ、花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ」
人生は思い煩うことなく過ごすべきだ。誰かと酒を酌み交わす時間、今、この瞬間、瞬間を大事にしなければいけない。そう、誰もがいつか別れるのだから。
◎井伏鱒二と「サヨナラだけが人生だ」(勧酒)
唐代の詩人于武陵(うぶりょう)の詩「勧酒」(かんしゅ)に付した井伏の訳は妙訳として名高い。
勧 酒(于武陵) 酒をすすむ
勧君金屈巵 君に勧む(すすむ) 金屈シ(きんくつし)
満酌不須辞 満酌(まんしゃく) 辞するを須(もち)いず
花発多風雨 花発(はなひら)けば 風雨多し
人生足別離 人生 別離足(た)る
・和訳(直訳)
金色の大きな杯を勧める
注いだこの酒 遠慮はしないでくれ
雨が降ったり風が吹いたりするものだ
人生に 別離はつきものだよ
・井伏鱒二の訳
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
(註)
・金屈巵=把手(とって)がついた黄金の大型の杯。
・満酌=杯になみなみと酒をつぐこと。
・不須辞=辞退する必要はない。
・足=多い。
★井伏鱒二と漢詩の和訳
・「サヨナラ」ダケガ人生ダ ---
井伏が「人生足別離」を「サヨナラダケガ人生ダ」としたのには、林芙美子が関係している。
井伏は、昭和6年4月に講演のため林とともに尾道へ行き、因島(現尾道市)に寄ったが、その帰り、港で船を見送る人との別れを悲しんだ林が「人生は左様ならだけね」と言った。
井伏は「勧酒」を訳す際に、この ”せりふ” を意識したという。
井伏は、この時の林の”せりふ”や挙動を、照れくさくて、何とも嫌だと思ったとも書いているが、この訳が妙訳として多くの人々の口に上るのが、また何とも面白い・・。