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『上記(ウエツフミ)』

2023-07-26 08:15:58 | 日本

大和王朝が成立する前に、大分を中心に、ウガヤフキアエズ王朝が存在していた!
別名、「豊国王朝」、「日向王朝」、「高千穂王朝」とも呼ばれる。
 
『上記(ウエツフミ)』という
豊国文字で書かれた謎の古文書。
 

◎このサイトが主張するポイント

①ウガヤフキアエズ王朝は実在した。
②時期は弥生時代と重なり、推定紀元前1,000年~紀元後3世紀のあいだ。
③場所は豊の国(大分)の大野川流域から全国に広がり、中国大陸まで及んだ。
④この王朝は少なくとも74代以上続いた。
⑤第71代の御代に全国で天変地異が相次ぎ、これが理由で奈良県吉野山に遷都した。これが後に神武東征と呼ばれるが、神武天皇は第73代である。
⑥これらの事実は「ウエツフミ」という古文書に豊国文字で書かれている。
⑦それを編集したのは豊後国司の大友能直(初代)あり、完成は鎌倉時代の1223年。
⑧その子孫たちによって代々受け継がれ、江戸時代末期に明るみに出た。


◎なぜ「実在しなかった」という説が有力なのか?

それは、大和朝廷の成立と関係があります。
 
ウガヤ朝が存在したのが、おおよそB.C.1000年頃からA.D.300年頃の間です。
なぜ、そんなに正確に分かったのかというと、ウエツフミには天文に関する正確な記述が含まれているからです。
五島プラネタリウムの金井三男氏が分析した結果、この「ウエツフミ」の星辰伝承は、「紀元前8百年から同千年頃の間に成立したことは間違いない。」と結論づけています。
 
そして、A.D.150年頃に発生した「異常気象=世界的な寒冷化」により、九州地方を大飢饉が襲い、これが理由でウガヤフキアエズ王朝は、九州を離れ奈良県の吉野山に遷都します。(のちに神武東征と呼ばれる)
その後、倭国大乱が発生し、ウガヤフキアエズ王朝は第74代で滅んでしまいます。(これ以降の記録が無い)
 
さらに、A.D.200年~300年頃、第12代景行天皇が大分にやってきて、奥豊後の地に残っていたウガヤフキアエズ王朝の末裔たちを一掃しています。
その経緯は『日本書紀』に、『土蜘蛛成敗』として、正確に書かれています。

「勝ち組」である大和王朝は、「負け組」であるウガヤフキアエズ王朝の存在そのものを、歴史から抹消し始めました(推測)。
だから『古事記』や『日本書紀』では、ウガヤフキアエズ天皇は一代で終わり、神武天皇が後を継いだことになっているのです。
 
約1000年の歴史をパイパスして、いきなり「神代」と「神武天皇」をつなげてしまったため、あちこちで矛盾が発生しているというのが、私の解釈です。
 
◆ウエツフミには由緒正しい『底本』が存在した!
 
もうひとつは、『竹内文書』の影響が大きいと思います。
私は、『竹内文書』は偽書だと決め付けているので、その内容を詳しくは読んでいません。
 
問題は、戦前に竹内巨麿という人物が現れ、『上記(ウエツフミ)」』などをベースに、これに自分の霊感で得た創作部分を付け加えて、宗教=天津教の経典としてしまったことです。
当時の「八紘一宇の精神」(日本が世界の中心なので日本人は世界を統一すべきという思想)と結びついて、これに感化された信者が、軍人や官僚などにも広がり(2.26事件を起こしたという説あり)、弾圧事件=裁判沙汰にまで発展しています。さらに、戦後になってからはGHQも解散命令を出しています。
 
この天津教が経典のひとつとしていたのが『上記(ウエツフミ)」』であり、天津教がオカルト的であったが故に、ウエツフミもオカルトだと決め付けられてしまったのです!
つまり、誰も読んでいないのに「なんだか怪しい」というイメージが先行してしまったというのが事実であり、これによりわが国の古代史研究は大きく後退することとなります。
 
これを、古田武彦(多元的古代史観を展開)は、小松左京(SF作家)との対談のなかで“不幸な分離”と表現しています。


◎では、なぜ「実在した」と断定できるのか?

まず、「ウエツフミ」を素直に読むことです。
そこにに書かれた内容のボリュームと正確さには圧倒されます。
仮にこれが「偽作」であったとしたならば、これを書き上げた人は一生の大半を創作活動にささげる必要があったでしょう。
しかも何のために?
手間ひまのかかる豊国文字を使って?
 
神代文字で書かれていたことから、ほとんど読める人が居なかったということも大きいと思います。何が書かれているのかよく分からないので怪しい!と断定された可能性があります。
 
その内容を読んでみると、万葉時代人にも似た底抜けの明るさと、古代人の鋭い生活の知恵、そしてあくまでも正確さにこだわった実証的な記述は、感動ものです。
 
しかも、その編集には豊後の国の守護職を代々務めた大友氏の初代・大友能直が、直接かかわっているのです。というより、彼自身が自ら序文を書いて、署名しているのです。

さらに、地名や人名の正確さです。
私自身がたまたまこの歴史書の舞台となった場所に精通していたため、彼らの行動が手に取るように蘇ってくるのです。
人名に関しても、ざっと千人以上の神々の名前が記録されています。
 
これからもっと、この書物が衆人に知れるところとなって、実在する考古学的な遺跡との一致が証明されてくることでしょう。
 
そのときになったら、きっとあなたはこう実感するはずです。
「私たち日本人は素晴らしい祖先をもっていたのだ!」
・・・・と。









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