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「日韓併合を韓国は違法だと主張?」

2022-11-01 05:13:15 | 日本

日韓併合を韓国は違法だと主張、史実を無視した馬鹿な話である。

Asakawa Kozoさんが掲載している。
ご参考に!


「日本は朝鮮半島を軍事力で植民地化し、収奪の限りを尽くした」というのが韓国の主張です。一部の日本人も同調しています。
しかし、史実をみると大きく歪曲されています。
李氏朝鮮は、1897年に国名を大韓帝国に変更します。

そして日露戦争の開戦後、大韓帝国皇帝だった高宗はロシア皇帝に密使を送ってロシアへの協力を約束します。これは自分の地位を守ろうとした行動でした。高宗にとっては、韓国がロシアの植民地になっても自分の地位だけが守れればよかったのです。
しかし、これに対し韓国国民はロシアの排除と日本の勝利を支持します。この時点(1904年)で既に韓国政府と国民には大きな乖離が生まれています。

日露戦争の日本勝利により、ロシアの後ろ盾を失った高宗は、自分の身分を保全するために日韓協約(1905年)を結び、これによって韓国の外交権が失われ、事実上日本の保護国となりました。朝鮮総督府が置かれ、日本人の支援のもとで近代化への道を歩み始めます。
ここで重要なのは、韓国の皇室は保持されたという事です。

日本の皇族、梨本宮家の方子女王を、高宗の世子である李垠へ嫁がせました。
日本が韓国を植民地にしたというなら、皇族を植民地の王に嫁がせるなどということをすると思いますか。

しかし、高宗は身分は守られたものの、自ら選んだ日韓協約によって外交権を無くしているので実権は無くなってしまいます。
これを恨みに思った高宗は、1907年に行われたハーグ万博平和会議に密使を送り、欧米列強を味方に付けて日韓協約を撤回させようとしました。これにより実権を取り戻したかった訳ですが、会議への参加資格もなく、既に外交権も失っていた韓国はどこの国からも接触を断られます。ハーグ密使事件(要するにどこからも相手にされなかった)
この当時の韓国がどのような状況だったか。当時の朝鮮を旅したイギリス人旅行作家イザベラバードの「朝鮮紀行」には以下の様に記されています。


朝鮮人官僚界の態度は、日本の成功に関心を持つ少数の人々をのぞき、新しい体制にとってまったく不都合なもので、改革のひとつひとつが憤りの対象となった。
官吏階級は改革で「搾取」や不正利得がもはやできなくなると見ており、ごまんといる役所の居候や取り巻きとともに、全員が私利私欲という最強の動機で結ばれ、改革には積極的にせよ消極的にせよ反対していた。

政治腐敗はソウルが本拠地であるものの、どの地方でもスケールこそそれより小さいとはいえ、首都と同質の不正がはぴこっており、勤勉実直な階層をしいたげて私腹を肥やす悪徳官吏が跋扈していた。
このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、これは困難きわまりなかった。

名誉と高潔の伝統は、あったとしてももう何世紀も前に忘れられている。
公正な官吏の規範は存在しない。
日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が二つしかなかった。盗む側と盗まれる側である。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。
「搾取」 と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、どの職位も売買の対象となっていた。


そこで、かつては李氏朝鮮に反旗を翻した東学党の乱の流れをくむ人達が、「一進会」を結成し、日本との合併を望みます。
一進会の名前は、日本の明治維新から。明治維新は当時、「ご一新」と呼ばれていて、彼らは日本の明治維新をお手本とするために一進会と名付けます。
一進会は、100万人を超える会員に膨れ上がります。当時の人口は 1,313万人(1910年)なので、一進会にどれだけ強大なパワーがあったかは容易に想像できます。
その100万人会員の名義で、全国民に訴える「合邦声明書」を発表します。続いて、韓国皇帝に対する上奏文、統監と首相へ「日韓合邦」の請願書を出します。

これに大反対したのが伊藤博文です。伊藤は、韓国が自ら近代化することを望みました。
しかし、その伊藤を韓国人の安重根が暗殺します。それによって、大きく反対する人がいなくなり、日韓併合が早まってしまいます。
結論とすれば、自らまいた種で起こった出来事を全て逆恨みし、日本が悪かったとすり替えて主張しているのです。
100年以上経った現在でも、同じ事が同じ様に繰り返されている事に驚きます。