龍の声

龍の声は、天の声

『乃木将軍詩歌物語』 高須芳次郎著

2018-10-17 06:14:59 | 日本

◎乃木希典大将の父、希次は、
「常に、武士は外よりも内を修めることが肝要で、名よりも、實を重んずるようにありたい。」

「薄給の為、当時、ひどく貧乏して、衣食住の費用は、切り詰めるだけ切り詰めていたが、ただ、武器だけは、何人にも劣らぬものを用意していた。


◎「古来、すべての烈士功臣は、刻苦・悲惨の体験を積んだものの中から出て、気楽に飽食暖衣するお坊ちゃんの間から断じて出ない」と教訓した。


◎青葉若葉の色を愛し、ホトトギスの声に耳を傾け、緑陰に時ならぬ鶯が来て鳴くのを興味深く聴いた。昼寝を楽しみ、湯上りのときに�サッと吹いてくる青嵐に折からの暑さを忘れるのだった。


◎夏草に埋もれた村荘

◎寒月の下に物凄く見ゆる雪景


◎時に、齢(よわい)四十六、爽涼たる秋風に軍服を吹かれ、心澄み身健やかに、一気に、戦地へ飛んでいこうという壮士が胸一杯にこみあげて来て抑えきれない出征直前の心境が、ここに発露されて、乃木さんの風貌が躍如として迫ってくるのを覚える。


◎聖人の至道というのは、支那の道で、日本の道ではない。支那の道に採るべき点があるなら、先ず、皇国の威風即ち日本国体の尊厳を知り、天壌無窮の皇運を扶翼し奉ることを知った後でなければならない。この前後を知らなければ、正しい学問とは言えない。そこに乃木さんの燃ゆるような尊皇心が見える。

◎無限の感慨、夕日を軍服に浴びつつ

◎気魄、敵を呑んで、ぐんぐん押していくところに、乃木さんの長所があった。


◎「色あせて梢に残るそれならで  散りてあとなき花ぞ恋しき」
色あせて淋しく残る花にひとしい老人の死よりも、色鮮やかな花の若武者の死に心をひかれる。
一死、国に報じたい。

◎皇軍十万の中で、誰が一番、目覚ましく働いて、英傑の名を千載の下に残すのか

◎悲しみに打ち勝って、


◎昨日までは敵味方の間だったが、ステッセルが降伏すれば、もう互いに友人である。どこまでも、彼の面目を立てることが、武士道の作法であると乃木さんは考えた。


◎悲劇から悲劇へ、緊張から緊張へ、危機からまた危機へ、ぐるぐる廻る人生の走馬燈は、応接に暇がない。が、それも過去というページの彼方に没してしまえば、まるで范(ぼう)として一夢のようである。そう考えると、招魂祭に、祭壇を美しく飾って、心から戦死者の霊を涙のうちに慰めた事さえも、また一個の夢と化し去ってしまう。流れ、動いてやまぬ人生波乱の一沫、さういう気さえする。乃木さんはこうした点から、記念碑を立てて、永く戦死者の功を後世に伝えたいとも考え、暗にその意を詩にほのめかしたのである。


◎乃木さんは、どんなに、切羽詰まった場合でも、またどんなに多忙な時でも、若干のゆとりを持つ人だった。また、精神は、物思いのためにも、弾力を失わなかった。

◎紅葉や野の花で飾られた辺地の秋を探りつつ


◎『千五百秋 瑞穂の国の民草の しげりに茂る 御代ぞめでたき』 ちいほあき みずほのくにの たみくさの

皇室の繁栄と国運の隆祥とを謳歌した至誠の声を聴くことが出来よう。
今、日本がここを固めて皇威を発揚しつつある喜び

感興の湧くままに痛飲した。


◎勃勃たる雄心が、字句の間に躍り上がっているのを感じる。

◎厳格なうちにも、やさしい情味のあった面目を浮き彫りにした感がある。


◎かく皇軍は、天祖を初め、日本の神々に守護せられ、神の御旨によって動くので、必ず勝つというのが古来からの信念だった。昔を懐い今を考えるに、皇軍は常に、太陽の光によって祝福されているから、戦争には必勝であるという旨を述べ、わが国の古代史に想いを馳せた乃木さんの風格が、悠揚として迫ってくる。


◎吉野に赴いて、満山の紅葉が錦を綴っている風光に対し、懐古の感に浸っている。
当年、悲壮な生に終始した南朝の人々は、いずれも一代の英傑で、よし、生前、志を得なかったにもせよ、事蹟は炳として千載の下に、錦を綴る紅葉のように照輝いていると深く感じつつ低回去るに忍びなかった様が結句に浮き彫りになっている。

◎満開の桜花を馬上に見て、雅懐を満たす。


◎『落葉声なく、秋雨寒し』


◎雪の暁に

◎乃木さんは、いつも東郷さんと、船中で形影相伴い、月清き夜は、盃をあげて、語りあうのが常でした。


◎「今の青年は、概ね惰弱の風に化せられて、いつの間にか、汗を流して働く精神をなくしてしまった。その上、国民はだんだん軟弱になる。艱苦欠乏に堪える気性が薄くなる。自分は非常に残念にこれを思う。」と、真実な警世の声である。


◎顧みると、乃木さんの一生は、「自分に相応しい死所を得て皇恩に酬い、武人として壮烈な生を終わりたい」という一事に尽きるような気がする。


◎乃木さんの歌には、「道」という言葉が、折々見えるが、それは、古道とか、皇道とかいう意味に用いられ、支那の儒教が日本に渡来する以前に、存在した『日本固有の道徳を指す』のである。山鹿素行が現わした『中朝事実』は、寛文九年に出て、賀茂真淵・本居宣長らの『日本主義運動』に先駆したのである。その『神教章』のうちには、漢学渡来以前、既に優れた道徳を個有し、政治もよく整っていたことを説き、日本こそ、中華(世界文明の中心)として恥ずかしくない国だという旨を明らかにしている。日本固有の道徳とは一口に申せば「君臣父子の道・敬神尚武の道」である。

これは将に、今日における『日本道義主義』そのものである。

いずれまとめる『わが半生の軌跡』続編の題名は、『夜明けの日々に!』とする。