龍の声

龍の声は、天の声

「七福神 ①」

2013-02-23 07:31:00 | 日本

強運・金運・幸福運の七福神について、4回にわたり学ぶ。


七福神(しちふくじん)とは、あらゆるものに福をもたらすとして日本で信仰されている。恵比寿、大黒天、布袋、毘沙門天、弁才天、福禄寿、寿老人の七柱の神である。

仏教経典の「七難即滅七福即生」から七柱の神になったともいわれている。
ありとあらゆる幸運をもたらせてくれる七福神は、インドのヒンドゥー教(大黒・毘沙門・弁才)と中国の仏教(布袋)と道教(福禄寿・寿老人)と日本の土着信仰(恵比寿・大国主)が入りまじって形成された、神仏習合からなる日本的な信仰対象である。室町時代ごろから 幸運、福運、とくに金運をさずけてくださる七神としてまとめて信仰されるようになった。インド・中国・日本の神様がご一緒にうちそろって宝船に乗り、幸運を運んでくるといわれている。

七福神の面々は非常に個性的である。その風貌だけではなく、生まれも育ちも他に類を見ないほど個性的である。一度見ると忘れられない七福神たちについて、少し深く研究してみよう。


①恵比須

恵比須さんは七福神の中で唯一の日本の神さまである。ご存知、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊邪那岐命(いざなみのみこと)の三男、夷三郎が恵比須だといわれている。
夷三郎は小さな船で九州日向の里から小船で流されてしまった。流されてたどり着いたのが、摂津国西宮(兵庫県西宮市)の武庫の裏。夷神社があるところである。
「えびす」の語源ははっきりしていないが、昔は「夷」と書いたようだ。「夷」には東方という意味があり、異郷人、来訪人を表しているともいわれている。恵比須神は遠方から福を運んできてくれる寄神(よりかみ)、客神(まろうどかみ)として信仰されてきた。
日本各地の漁村には海中から拾ったり浜辺に漂流した丸い石を恵比須の御神体として祠に納め、初漁祝い、大漁祈願などの信仰の対象とした。また、漂流物を恵比須と呼び、粗末に扱わないようにした。死体でさえ、恵比須として祀ったという。恵比須は海の富を授けてくれる神様である。

そういうわけで、恵比須は漁業の神さまとして信仰されてきた。

海の神様恵比須だが、農民や商人にも信仰された。
農民の間では、田の神、山の神としても信仰された。日本では、春に山の神が里に降りて田の神となり、秋に山に帰って山の神となると信仰されていた(『民具の博物誌』)。季節によって往来するので、遠方からやってくる客神としての恵比須信仰と重なったのだろう。恵比須は豊作の神様となっていく。

豊作の神恵比須を全国に広めたのは、夷神社の神人たちである。恵比須の絵を配ったり、エビスカキ(恵比須舞わし)という人形芝居をして恵比須の徳を布教して回った。西宮夷神社の人たちが、恵比須を宣伝して回った。その結果、恵比須は大黒天と並んで全国で福の神として信仰されるにいたったのである。

恵比須は釣竿を持ち鯛を抱えている。この姿にはどんな意味があるのだろうか?
その姿は「暴利をむさぼらぬ清廉の心を象徴」である。網を使って一気に漁をするのではなく、先を見越して竿で少しずつ釣をする、というわけである。そんな地道さが喜ばれ、恵比須は商売人の神様、商売繁盛の神様になった。