デエタラボッチは第12惑星である

この惑星は木星より少し大きく、超楕円軌道を持ち、冥王星の公転軌道あたりまで近づいている筈、近づくと地軸大移動が起こる

アモン・ラー大神殿..⑧・・日本人の起源・・アイヌ民族

2008-05-10 22:26:47 | ニュース
アモンラー大神殿の門の羅列が限定する方位は西から西北方向に24度ほど
離れた方向を、0.5度の誤差で指し示していました(多くのこの寺院の設計図、
俯瞰図が出回っていますから、分度器で測って見てください)

そこで、この方位が地軸大移動前の太陽の昇る方位と関係があるかどうか?
を調べて見ます。

まず、BC1500年頃の地軸大移動以前に、エジプトの首都のテーベは緯度が
南緯15度近辺であったことを私は計算ですでに出しています。
 現在ルクソール(テーベ)は北緯25度50分ほどです。

時代によって地球の公転軌道にたいする地軸の傾斜は微少に変わります。
コレは理科年表(東京天文台)を見れば算出の公式が出ていますから計算
できます。コレを地球の歳差運動と言います。

また、BC1500年以前の南極が私の計算で西経145度、北緯79~
80度にあったとすると、球面三角法を使えば、上記のテーベの緯度も計算で
出ます。球面三角法は三角関数の専門書に公式が出ています。
 また朝日と日没、その他、太陽の位置に関しては、航海で位置計測をする
関係で、その分野の参考書には算出方法が掲載され、学ぶことが出来ます。

 BC1500年以前の、例えばBC1550年の太陽は夏至において、南緯15度
のテーベで、どの方位から太陽が昇ったか?は計算で算出出来、具体的な値は
計算値に多少補正すると分かるのです。
 エジプトでは、BC1500年の地軸大移動で方位の差は絶対値では変わらなか
ったのですが、殆どの土地では変わりましたから、コレも後で現在の東西南北に
換算するとき考慮し、補正なければなりません(球面三角法で計算できます)

 ここでは、結果だけを示します。

xxxxxxxxxx

 BC1490年のテーベ(地軸大移動が起きた後の)の夏至太陽の日没位置

   現在の真西から26度43分北西の方位(補正して、実測値をだしている)
     
  
 BC1550年のテーベ(地軸大移動が起きる前の)の夏至太陽の日の出位置

   現在の真西から24度6分北西の方位(補正済み)

xxxxxxxxxxx

 以上が、我々に必要な具体的な方位なのです。地軸大移動がBC1500年頃
起きた後では、太陽は今の東から昇り、西に日没したので、アモンラー大神殿
の方位に関係する太陽の日の出、日没方位は夏至の日没になってしまいました。

しかし、地軸大移動が起こる前には、太陽は今の西から昇り、東へ沈んだので
アモンラー大神殿の門の方位は夏至の太陽の昇る方位だと推定して、計算しまし
た。
 それはピタリと24度西から北西への方位を示していたのです。

 トトメス3世王が祝祭殿ヲ建てる前の門の羅列の誤差は0.5度でしたから
この門の端から端への視野は、23度45分から24度15分までの範囲があり
ました。この範囲内に夏至の太陽が昇れば、アモンラー大神殿は夏至の太陽
の日昇を祝う神殿であったことになります。エジプト語でラーとは太陽を意味し
ます。 
 まさにアモンラー大神殿は文字どうり、夏至の太陽を祝福する寺院であった
のです。



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