里山の山野草

里山と山野草の復活日記。

御領遺跡の見学会

2008年12月14日 | 歴 史
12月11日の朝日新聞に、
「沖積平野で縄文期の住居跡が出土、県内初」「13日に見学会」と載っていた
ので、昨日見学に行って来た。

場所は国道486号線と国道313号線が交わる三叉路の東側で、東西1.6km・南北1.4km
にも及ぶ一帯は“御領遺跡”と呼ばれ、今までに縄文時代の土器片や弥生時代前期
から古墳時代前期にかけての環濠集落などの多数の遺跡が見つかっているという。

今回発掘された遺跡は、国道313号線バイパス工事に伴い発見されたもので、御領
遺跡の西端に位置し、北から(313号線沿いに)流れ出る堂々川に接している。
313号線から見下ろすと、東に井原線の高架が見え発掘現場はその手前だ。

未だ発掘途中だが今までに、次のようなものが見つかっているそうだ。
・縄文後期(紀元前1500年頃)の竪穴住居跡1軒(SB1)と土坑3基、土器類や石器
・弥生時代後期の土坑1基
・古墳時代前~中期の住居跡6軒(SB2、3など)、土師器や鉄製品・水晶
・時代不明の掘立柱建物跡4棟(SB6など)

(発掘現場→拡大)
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早速、説明を聞きながら見て回ると、
縄文時代の住居跡(SB1)は、6本の柱を立てた直径約5mのほほ円形で、周囲に
は溝が掘られ中心には炉の跡も残っているという。

残っている柱の跡は、嘗て土中に埋めてあった柱の下部の辺りで、今は何も残って
いない。 当時の地面は現在の地面とほぼ同じ高さであったと考えられているので、
柱は約50cmの深さまで埋めてあったという事らしい。

作業中の人に、「適当に穴を掘って住居跡などと言っているのでは?」と意地悪な
質問を投げかけると、
「遺跡の土は周辺の土と色が違う上に硬さも違うのでその部分だけを掘り取っている」
と返事が返ってきた。
近くの井戸らしき直径2mくらいの遺跡を見ると、底の方の土は明らかに色が異な
るし柔らかいようだ。 
成る程、どこかの“ゴッド・ハンド”のようなインチキはやっていないらしい!


古墳時代前~中期の住居跡(SB3)は、大きさが4.5×4mで、多くの土師器のほ
か鉄製品・水晶・動物の骨などが出土しているが、場所が堂々川の氾濫した跡に近
い事から、氾濫に関係した祭祀が行われた場所だと考えられているという。

(遺物を含んでいる部分(突起の部分)を徐々に発掘中)

今回発掘された遺物は今のところ次のようなもので、石鏃はサヌカイトでつくられ
ているそうだ。 
坂出市の国分台周辺や大阪と奈良の境にある二上山周辺で採れ、楽器などにも用い
られている非常に硬い石だそうだが、当時から往来があったとは驚きだ!
遺物の発掘作業縄文土器、鍬先
小型丸底壷石鏃と有孔円盤

そのほかにも、その他の御領遺跡から出土した弥生時代の土器も展示してあった。
左から、食器などを載せる台、高杯2個などの食器3個、米を炊く壷、食べ物や水を入れる壷

この御領遺跡には弥生時代の御領環濠遺跡があり、その西の方には大宮、亀山など
の環濠遺跡もあったが、今は残されていない。

公共事業で遺跡が見つかるのは良いが、今回発掘された遺跡も掘り取られてやがて
道路に変わってしまうそうだ。
古くから米作りをやっていた遺跡も、単に記録で残されてしまうだけでは如何にも
勿体無い。 何とか別の場所に復元してでも残して欲しいものだ!