里山の山野草

里山と山野草の復活日記。

日本一の石燈籠 

2008年12月02日 | 神 仏
“恋しき”の直ぐ隣の金刀比羅神社には“日本一の石燈籠”があるというので訪ねてみた。

鳥居を潜ると右手に石碑があり、正面にそのでかい石灯籠があった。
石碑の碑文を読むと、
「福山城主阿部伊勢守の家老代理を務めていた当所林新五郎が発起して金刀比羅宮
 を建立」
「次いで日本一の大石燈籠を思い立ち、近郷二十ヶ町村の人夫2万余人の寄進と銀
 5貫匁の浄財により、8年の年月を費やして天保12年(1841年)に高さ8.9m、笠石
 の面積4畳半余の大石燈籠がようやく完成」 と書かれていた。

拝殿の後ろにはこじんまりとした本殿があった。

この時代、全国的に気候不順で、平年の3~4分作の凶作が何年も続いた天保飢饉
(江戸三大飢饉の一つ、天保4~10年、1833~1839年)の真っ最中で、天保8年に
はあの有名な大塩平八郎の乱も起きている。
福山藩も同様に凶作だったわけで、碑文に書かれているような“人夫の寄進”や
“浄財”などが集まったとはとても信じられない!