浮いた話なら良いのだが、“恋しき”というのは府中市にある料亭の名前だ。
実は、ここの2階で“備後国府展”をやるというので行って来たのだが、残念な
がら終了していた。
この料亭は、明治5年創業の備後随一といわれていた「御宿恋しき」という名の
料亭旅館だったそうで、平成2年まで創業していたがその後取り壊しの話も出て
いたという。
それに対し、地元経済界から“府中の歴史が作られてきたシンボルの一つ”との
思いから保存運動が起き、新会社を設立して土地建物を買収し、建物の改修や
庭の整備を行って、H19年に「こころのふる里恋しき」として再オープンしたのだ
そうだ。
この料亭、嘗て石見銀山から陸路で大阪へ銀を運んだ石州街道に面した場所
にある。 当時は相当賑わっていたらしい。
料亭入り口の方に回ってみると建物の配置が表示してある。
外から見ると、いかにも大金持ちといった佇まいだ。
門を潜ると、大正から昭和初期に建てられたという5棟の離れを配した、300坪
の回遊式日本庭園がある。
行ったついでに“そば処”で蕎麦を食べて帰ったが、1階ロビーには、
犬飼毅元首相が泊まった際に残した扁額や、作家の山口瞳さんが訪れた時の資料や
永六輔さんが泊まった時のエッセイなども展示してあった。
今は裏道になってしまったこの石州街道、その昔には色々な人達がやって来たらしい!
実は、ここの2階で“備後国府展”をやるというので行って来たのだが、残念な
がら終了していた。
この料亭は、明治5年創業の備後随一といわれていた「御宿恋しき」という名の
料亭旅館だったそうで、平成2年まで創業していたがその後取り壊しの話も出て
いたという。
それに対し、地元経済界から“府中の歴史が作られてきたシンボルの一つ”との
思いから保存運動が起き、新会社を設立して土地建物を買収し、建物の改修や
庭の整備を行って、H19年に「こころのふる里恋しき」として再オープンしたのだ
そうだ。
この料亭、嘗て石見銀山から陸路で大阪へ銀を運んだ石州街道に面した場所
にある。 当時は相当賑わっていたらしい。
料亭入り口の方に回ってみると建物の配置が表示してある。
外から見ると、いかにも大金持ちといった佇まいだ。
門を潜ると、大正から昭和初期に建てられたという5棟の離れを配した、300坪
の回遊式日本庭園がある。
行ったついでに“そば処”で蕎麦を食べて帰ったが、1階ロビーには、
犬飼毅元首相が泊まった際に残した扁額や、作家の山口瞳さんが訪れた時の資料や
永六輔さんが泊まった時のエッセイなども展示してあった。
今は裏道になってしまったこの石州街道、その昔には色々な人達がやって来たらしい!