里山の山野草

里山と山野草の復活日記。

九州女性は美人?

2008年12月07日 | 歴 史
昨日は“新市歴史民俗博物館”へ“福山市北部の発掘調査報告”を聞きに行って来た。
新市町・加茂町・神辺町で発掘された遺跡の調査報告だったが、先人達の暮らしの
一端を聞き非常に興味を持った。

そこで、先ず“加茂倉田遺跡”を訪ねてみた。
場所は加茂中学校北側にある正福寺の裏山一帯の尾根らしいのだが、お寺で尋ねて
見ると、
「福山市北部工業団地への進入路を造る為に工業団地の一角に移築された」という。

(東の石鎚山古墳から見た倉田遺跡、進入路で掘り取られた尾根と正福寺)

工業団地の脇の一番高い丘へ登ってみると、嘗て一帯にあった古墳群を集めて復元
してあった。 “粟塚古墳の丘”と名づけられているが、まるで古墳の団地だ!

(粟塚古墳の丘の全景、概略図→説明)
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目的の“加茂倉田遺跡”は? と探すと、何と古墳の丘の一番南東の隅に
“正福寺裏山1号古墳”のみ移築してあった。 どうやらその他の遺跡は移築され
なかったらしい!

(正福寺裏山1号古墳の石室と暗渠排水溝→説明)
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さて、今回の目的はその移築されなかった土壙墓群なのだが、説明板の中に航空
写真が載せられていた。

この土壙墓(素堀り又は木棺を埋葬した墓)群、弥生時代後半から古墳時代前期に
かけて造られたもので114基あるそうだ。

面白いのは、この土壙墓群に乗っかっている、桃色で示した3基の石棺だ。
2基のみ人骨が見つかり、いずれも青年女性のもので、やはり当時から女性上位だ
ったらしい! 
しかも、1の方は鼻が高く、2の方は平べったい顔をしている事から、前者は九州系
で後者は備後系の人間である可能性もあるらしい。 当時既に九州と往き来があっ
たのだとしたら驚きだ!

私の妻は典型的な備後系の顔で、お世辞にも美人とは言えない! 
九州系の人間は鼻が高いのだとすると、或いは美人が多いのだろうか? 何時か行
って確かめてみるとしよう!