一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
悲鳴
この世の景色が輝いて見える時は「あー生きていて良かった」と心から思える時です。
反対に何も輝いて見えない時、それは「死にたい」と心が悲鳴をあげている時だと思います。
それは生きていればいろいろなことがあります。良い時もあれば悪い時も。それにどうにもならない時もあるのです。その時はとにかくじっとするしかありません。
がんばれない自分を責めてはいけません。生きているだけでもすごい状態なのです。
眠れぬ日々。何を食べてもおいしくなく、食べることさえもできない。そんな時は一度、自分自身をふりだしにもどして丁寧に優しく自分と接する必要があります。
自分はよくできた。よくやっている。ここまでできているのは奇跡だと。
いつか景色が輝いて見えるようになります。でもそれはいつだとはわかりません。
ただ神仏はいつまでもその日がくることを応援しています。
その時は一緒にきっと泣いてくれるはずです。
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