一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
内蔵
人は生きること、ただ生きるそれだけなのに簡単ではないような気がするのです。
お金がなければとにかくお金の為に必死に働く。病気になればとにかく健康になることを祈りながら回復を願う。
人間関係に苦しんだら、頭の中でどうすればいいか自問自答しながら心を病む。
家族が辛い思いをしていたらとにかく自分のできる精一杯をしようと頑張る。
ただ生きるだけでも次から次へと問題が出てきてしまいます。あの温泉でも入りながら大自然をながめてリラックスするなんて心に何もひっかかるものがなければ可能ですがそうでなければどこに行ったって同じことになってしまうのです。
つまり逃げ場がない。安らぎがない。ゆとりがない。
本当にこれではにっちもさっちもいきません。
妄想なのだろうか。急にいろいろな場面がリアルに映像としてうかんできます。
歴史の一場面とか、その当時の人々の生活の様子とか。
多分、どんな時代でもこの生きることは苦しみという前提は変わらなかったような気がします。
そして私の生も宇宙の記録の中に内蔵されていくのでしょう。
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