一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
投射
オリンピックがはじまりました。不可解な判定がネットをにぎわせています。人間がすることだから仕方ないかもしれません。
オリンピックにむけてどんなに努力をしたとしても結果がなかなかついてこないのはさぞ悔しいことでしょう。
でも凡人の私達からするとオリンピックに出れるだけでも奇跡だと思えてしまいます。
金メダルをとることばかりをとりあげてしまいますが負けの美学もあることを忘れてはなりません。
判官びいき という言葉があるように人は逆境に打ちひしがれてもなんとか立ち直っていく姿を応援したくなるものです。負けたとしても心の中で同情しているのが人間です。
ただその後をみたいと思うのも事実です。次の大きな大会で活躍しているとしたらこの人は本当のアスリートだということを証明したことになります。
ほんの少しの何かで勝ち負けがきまる。
人はそこに自分自身を投射して感動するのかもしれません。
是非、国民のためというより自分自身のために悔いなき戦いを期待します。
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