疾風怒濤の80年代

日本中が熱い風に包まれていた1980年代
そのころの音楽・映画・テレビなどを語る30代のための
広場です!

「武士の一分」について一考察

2006年12月11日 22時49分53秒 | 映画・ドラマ
昨日、山田洋次監督の「武士の一分」を見ました。
藤沢周平文学の特徴である、美しい四季の描写や、
武士が武士になる前の青春時代を丹念に描く人物描写などが、非常に忠実に
再現されていて、巨匠の晩年の傑作という雰囲気が漂っていました。

木村拓哉もがんばっていて、彼としては出し切った感じでしたね。

全体的に非常にいい作品だということを前提に置いた上で、気がついたことを書きます。

木村拓哉という俳優は、その卓越した美貌があり、さらにテレビドラマの王であるがゆえに、「テレビドラマの演技」の第一人者です。
「テレビドラマ」は一度に5台のカメラで、芝居を切らずにとっていくマルチカメラシステムで撮られています。
特徴として、おおきく2つ挙げられます。
一つは、芝居を切らずに丸ごと捉えられるという点。二つ目は、細かいアップショットが多くなるという点です。
特に、後者は「テレビ」が明るい室内で、比較的小さな画面で見られることを前提としているため、視聴者をひきつけるために近年、益々アップショットの比率が増えています。

そういう撮り方をするときに、演技として一番有効なのは目線の動きと、上半身、特に肩の体重移動なのです。なぜなら、人間のアップショットは、すなわち上半身の映像と置き換えることができるからなのです。

これは呼吸一つ、瞬き一つで感情をたくみに演じ分けられるという利点があります。木村拓哉という俳優は、この演技法の王様なのです。

その彼が、今回時代劇の中に入りました。
実は逆に時代劇は、腰の体重移動が非常に重要になるのです。
これは、舞台劇の俳優ともともと親和性があるのです。舞台劇も体の運び、
とくに下半身の体重移動は重要なファクターの一つですからね。

そこで、今回共演者に、笹野高志、坂東三津五郎といった、超一流の舞台俳優が揃い、さらに宝塚歌劇出身の壇れいが加わったことで、非常に舞台劇っぽいつくりに
なっていました。
いわば、木村拓哉は今回アウェーの戦いを強いられたのです。

結果として、木村拓哉は彼が持てる力は発揮したと思います。しかしやはりホームの役者に囲まれると、ちょっと分が悪かったかしら?と思いました。
逆に壇れいが、映像演技がはじめてなのに、非常に光って見えたのも、そういうわけで、さらに山田監督は相当意図的に、壇れいの腰から背中のラインで芝居をさせていました。

もちろん、盲人で「静」であることを強いられる役で、だからこそ「テレビの王様」を山田監督はキャスティングしたのでしょう。でもこれは、難しい役ですよ・・。ホント こんなアウェーでよくやりましたよ・・・。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 金正日総書記 なんと ゴル... | トップ | アジア大会サッカー決勝 カ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

映画・ドラマ」カテゴリの最新記事