ぴよぴよカウンセリング 心と身体と魂を繋ぐよろこび

理想のライフスタイルを確立するサポートを、自立を目指すあなたと共に、自らの学びと成長を現実的に達成して行く、今ここから。

繰り返される不審感

2007年10月05日 | へにゃちょこカウンセリング日記
「不審感」「不信感」どっちもふしん感なんだけど、意味が少し違う。
不信感の」不信は、信用が無い意味の不信で、不審は疑惑の意味。
「不審感」を何度も体験すると、「不信感」になるのだろうね。


今、私の仕事での係わりの深い人達の精神面が不安定で、その中でも「不審感」を募らせている人がとても多い。
「また・・・・・」「どうせ・・・・・」「きっと・・・・・」
こんな言葉が、話の前にくっついている。
そうよね、何回も同じ話をしつづけて、それでも改善してくれた気がしなければそう感じるのも仕方が無いよね。
だんだん、やる気が失せて仕事に行くのが億劫になる。そして、体調を崩してしまうケースが多発。
誰が悪いと責任を貸せても問うても、その先に解決策は無いようなきがする。
その人が謝れば明日から仕事が楽しくなるのかも解らないし。
実際の希望が謝って欲しいって事なら別だけど。
不審感を克服するには、達成感「成功体験」が必要なのではないかな。
不審感のうまれた過程を考えると、その逆を何度も体験すれば元に戻るのではとおもうからだ。
今までは失敗と感じいていたことも、成功した!と思えるように価値観の変容も必要になるかもしれない。
とにかく、色んなはなしをできるだけたくさん聴いて、そこから当人の気持ちに添った答えを一緒に見つけていければいいなと思うけど、あっちもこっちも両方の立場を知っている私が話を聴くには力及ばずだ。
今の私は、私情を挟まずに聴ける関係性を結べる相手のみ、カウンセリング可能。
まだまだ、ひよっこ感を感じずにはおられないのでした。


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ロープレ

2006年04月08日 | へにゃちょこカウンセリング日記
学校以外の場所でのロープレ勉強会に参加したことがなかった。
私がお世話になっている先生が、薦めてくれて今回参加した勉強会は、産業カウンセラーさん達が中心となって進めている勉強会だった。
先生は、私の先生のそのまた先生である宮田先生。
今まで出会った男性のカウンセラーの中で、一番先生らしい先生だと感じた。
自分は未熟で、まだまだ何だという事実をすんなりうけいれられるくらいボロンチョだった。
先に一組ロープレをした。
設定は40分。
カウンセリングらしいカウンセリング。
方向も、読みも深い。
初めての大人のロープレを見せてもらった感じがした。
今まで私はなんて低レベルだったんだろうって気が付いた。
一回目のカウンセリングで出来ること、それは共感するということ。
一生懸命傾聴して、しっかり共感することが、大切。
時間が掛かるのだから、40分で出来ることはこれくらいなのだ。
問題を解決したり、クライエントを簡単にラクにさせることは、難しいのだ。
パラドックスにハマって、考えてはいけないことを一生懸命考えてた。
そのことに気が付いた大きな進歩だった。
今月も参加予定だ。
産業カウンセラーの資格を取ることを決意した。
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未来想定図

2005年08月31日 | へにゃちょこカウンセリング日記
そろそろ夏も終わりに近くなってきました。
私の仕事も、少し落ち着きを取り戻している状態。
でも、来月私の右腕が居なくなる。
それに伴って、今月は新しい右手となる人材を発掘しなければいけない。
右手どころか私の代わりになる人材。
今年一杯で今の仕事にけりをつけるつもりだった。
でも、なかなかそう上手くはいかない。
それでも、時間は流れていくからこのまま何もせずに時間を重ねていくのはいやだ。

カウンセリングを勉強して、実際外注講師をさせてもらって、経験はすこしづつだけれどもつんでいる。
私のこれからの仕事は、カウンセリングを中心に活動していきたいと思っている。
そのために、出来るだけお金を賭けずに技術をみがくとゆうか、経験をつむというか、視野を広げるとゆうか、色々なところに今から根回ししておこうと、活動を開始した。

カウンセリングにプラスしたいエッセンスとして、アロマの知識とマッサージ技術を勉強したいと考えている。
カウンセリングだけでは、楽になったという明確な実感がわき辛い。だから、身体である程度感じられるように、座ったままで出来るマッサージや、嗅覚から感じるリラックスなどを、カウンセリングにとりいれたいと思う。

これからは、アートも勉強してグループワークも始めたいと思う。
子供と親とのコミュニケーションの場にちょうどいいと、自分がやってみて思った。
子供の気持ちに触れることが、なかなか出来ない大人が増えているように思う。
絵をとおして、少しでも子供の内面に触れることが出来たら、お互いもっと寄り添えるのではないかと感じる。
そんな、仕事をこれからはしていきたい。
きっとお金は儲からないだろう。
でも、楽しく充実した毎日を過ごせると思う。
自分がしたい仕事、夢、そんなビジョンが少し明確になっている気がしている。

自分が提案するカウンセリング体験のレジメを、今作成中。
教育分析を受けながら、完成させていきたいと思う。
来年は本格的に活動開始だ。

お金貯めとこう。


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アセスメント

2005年06月20日 | へにゃちょこカウンセリング日記
最近、とんとご無沙汰のカウンセリング。
ロープレのように、フィードバックをしてもらえるようなカウンセリングをしていない。
自分なりに、「聴く」という行動を取ることも少ない。
自分自身も、カウンセリングを受ける機会がない。

「そんな気にならない」が一番の理由で、カウンセリングから遠ざかっている。
でも、この頃やっとカウンセラーの目線で話を聴いている自分を発見する。
視線、仕草、口調、全てを意識しながら、相手の話を聴く。
聴いて、感じる。なにを伝えたいのか、何を分かってほしいのか。
どんな風に感じているのか。私は何を聴いてあげられるのか。
そんなことを思いながら、人の話を聴くと、素直な自分を感じるのと同時に、冷静な自分にも出会う。
普段、ばたばたしているので、落ち着いた自分に出逢えると、嬉しい。
人の気持ちを聴いているときは、自分のことを考えないで済むからなのかなぁ。

カウンセラーとて、一人の人間。
自分の問題はそれとして抱えたままで、解決すらできなくても、人の話は聴く。聴いて寄り添える。
クライエントのための優しい自分になれる。

自分にはやさしくなれないのに・・・・

アセスメント。心理学では「査定」という意味がある。
クライエントの問題状況の客観的全体像を捉え、査定(アセスメント)する。
アセスメントには、問題状況の性質や、クライエントを取り巻く環境、まだ話していない問題の前触れ、クライエントが利用できる環境的資源、問題そのものが新たな機会となりうる方法などがあり、全てを視野に入れながら、問題に思っていることを明確にしていくのだ。この問題はクライエント自身が理解する必要がある。アセスメントは、今後、どのようにすれば、クライエントが自分を理解出来るのかを査定することなのだ。

こんなことを考えていたら、ふと、「今の私の査定は一体どんな感じなのだろう。」と思ってしまった。

自分のことをもっと知りたいと思っている人は少なくないだろう。
私が感じる私、私が感じるあなたを、あなたが知りたいと思ったら、お話しを聴かせてください。
私も、もっと色々なあなたが知りたい。
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ロープレ

2005年04月12日 | へにゃちょこカウンセリング日記
今年に入って、人と直接対面するカウンセリングを私はしてなかった。
4ヶ月たった今でも、自らまだやろうとは思えない。
勉強会の後、ロープレのお誘いを受けた時、正直ためらった。
今、私は人の話を聴けるほどの余裕が心にあるのかどうか・・・
カウンセリングは、安易に出来るものではないから、人の話を「聴く」ということは、とても難しいことだから、自分のことで精一杯のときなんて、何もかもじぶんに置き換えて考えてしまわないかとか、ずべて自分の価値観で判断してしまわないかとか、そういったことが頭に浮かんで返事が出来ない何時間があった。
だけど、本当に自分が仕事でカウンセラーとしてやっていくのであれば、今のような状態の時きも在るかもしれない。そう思ったら、こんなときの私がカウンセリングをした場合どのような状態になるのか知りたくなった。練習だから出来ることなのだけど、だからこそ今しか体験できないかもしれない。前向きな自分を発見すると結構尾勢いも付くもので、自分と向き合う上でも今がいい機会だと参加を決意した。

当日、午前中は添削者のための勉強会。参加したのは3名。私以外は、まだ勉強段階で添削は未経験の方ばかりだったので、添削する前の基礎的な心構えや、ものの見方、コメントの留意点などを詳しく講義してもらった。添削を仕事としている私にとっては、添削を実際にする前にこのような機会を作ってもらえたら、とてもありがたかったのになぁと感じた。今、一緒に参加している人たちはとても良い経験になったのではないかと感じた。この企画は私が提案者なので、自分でも良かったと思えた。今実践しているからこそ、知っているほうがいい部分もわかる。そういう部分を丁寧に講師の方が時間をかけて説明してくれたのでありがたいなぁと思った。
次回の企画はまだ未定だ。早急に予定を組みたいとおもう。

食事タイムを経て、ロープレの時間。
独りづつ時間を区切って、カウンセラー、クライエントを交互に演じる。
普段、何気に話を自然に聴ける皆さんも、ロープレになると肩に力が入り、意識が違うところにとんでしまう。それは、「私はすばらしいカウンセラーに見えているかしら?」とか、「この質問は、クライエントにどれだけ私がすばらしいと思ってもれたかしら?」という心理に行き着く。
人が見ているから、よく見られたいといった気持ちが無意識に現れる。うまくやろうとするから、しっかり相手の気持ちに寄り添えない。
講師が、今の話を聴いて何を感じていた?と聞かれると、大抵がクライエントの気持ちを自分がどのように感じていたかを答える。講師が一番聴きたいのは、そのときに感じていたカウンセラーの気持ちのほうだ。一杯一杯のときは、言葉を深く理解する力も弱まる。そのことに自分が気が付けたことで、以前よりも少しだけ前進できているのかもと感じる。
講師に言わなくても、言えなくても、自分自身で理解できていれば言葉にしなくてもいいと私は思う。受止める力。自分を許す力。認める力を、私は磨いていかないとなぁと常々感じる。

心に余裕が無くても、人の話は聞ける。聴く事はできても、共感する言葉がなかなかでない自分を体験した。急かす自分。クライエントの痛みを見逃す。質問に対して返ってくる答えが曖昧だったり、話を変えたりする場合、質問が分かりづらかったのかもしれないという判断とともに、答えたくないのかもしれないという選択肢も持っている必要がある。そんなときは慎重にならないと・・と学習した。
いい勉強会だった。



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勉強+報酬

2005年03月24日 | へにゃちょこカウンセリング日記
添削を始めてからもうかれこれ半年ほど経つ。
今年に入って、SVがなくなって、自分で添削をするようになった。
人の勉強を手伝うことは、それはそれで大変だ。
方向性や、強く理解してもらいたい箇所を自分が理解していなければ、
間違った形で生徒に伝わることになる。

SVが付いている間は、自分の理解が間違っていても大丈夫。
そのことに、今のうちに気が付くための期間だから。
間違いたくないと、はじめのほうは思っていたけど、
いつからか、思いっきり自分なりのコメントを書いて、
見てもらって、こことこことの理解が少し違っているよとか、
この書き方では分かりにくいとか、本当に相手に添ってのコメントなのかとか、
いろいろとチェックしてもらった。
そのチェックのおかげで、今の自分の添削に自信を少し持てている。
勉強してきた自分の知識を照らし合わせる作業と、長期にわたって生徒とかかわることの
大切さ、カウンセリングの真髄を少し垣間見たような感じ。

カウンセリングは誰が受けにくるのか分からないし、
そのクライエントさんとも長くかかわれるとは限らない。
でも、心理学という勉強を通して、自分を知っていこうとする人物に自分が深くかかわっていくことが出来るこの機会を、今はとてもありがたく感じる。

今月、独りの生徒がコースを終了した。
初回の4回コースなのだけど、一番カウンセリング色の強いコースなのだ。
もちろん、過去に私自信がこのコースを体験し、辛いことも、嫌なことも、びっくりすることも乗り越え、かわいい自分や、頑張ってる自分に出会えた。私にとってはもっともっと先に自分に進んで行きたい気持ちに駆られる一ヶ月だった。
みんなそれぞれ、違った感覚でこのコースを終了していく。
私の生徒は有意義な一ヶ月になってくれただろうか?

カウンセラーとして、初めての報酬を今月いただけるようだ。
新たな一歩として、自分の成果として、この報酬は宝物のように感じる。
すぐに使わずに、大切に貯金しようと思う
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添削好調

2004年12月03日 | へにゃちょこカウンセリング日記
学校の仕事をはじめて二ヶ月目。
添削作業は好調に進んでいる。
先月添削を終えた生徒さんは、次のコースへ進むことを決められて、
引き続き、私が基礎コースを添削することになった。

先生といわれることに慣れていないせいか、
おこがましいというか、恐縮した気持ちになる。
と、同時に自信や、優越感に似た気持ちも同時にわいているように感じる。
「先生の言われた言葉で、とても涙がでました」
「先生のこの言葉がとても気に入りました」
など、いろいろな嬉しいコメントをいただくと、
嬉しくて天狗になりそうになる。

優越感が沸いていると感じたときは、手を止める。
客観的に自分を見つめなおす。
「教えてあげる」という気持ちは
私は添削の際には必要がないと思うから。
「楽にいきましょう」って気持ちでコメントをしている。
私も、同じように勉強してきた。
その後を、彼ら、彼女らがまた続こうとしている。
苦しいこと、辛いことを乗り越えて、
自分と向き合ってここまできた私の今を、
彼女たちも、彼女ら自身の目線で通過することだろう。
そのときに、少しでも早く楽にそこが通過できるように
私は、コメントを書いている。

経験はまだまだ浅い。
でも、私は私のできる範囲で心理学とかかわっていきたい。
カウンセリングを勉強できてよかったと思っている。
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添削仕事、一段落

2004年11月01日 | へにゃちょこカウンセリング日記
先月の第一週月曜日から4回にわたっての通信コースの添削作業が終了した。

学校の卒業テストを受けてから、幾日もたたない間に回ってきた仕事。
自分にほんとうにそれだけの力があるのか・・・ものすごく不安ではじめたこの仕事。
今までとはわけが違う、練習ではない。本当の意味でのお仕事なのだ。
スーパーバイズが付いている間、報酬はないけれど、確実にお金が発生しているのだから、と思うと気合が入った。

毎週送られてくる回答を、怖いと思いながらも楽しみにしていた。
生徒さんとのメールでのやり取りは、会って話すよりも難しい。
表情や、声のトーンもわからない。文章から読み取れる状況しかわからない。
だらか、いろいろなパターンをすべて書き出す必要性があった。

参考にしてねと渡された資料の回答例よりも、私は毎回3~4ページ多い返答となっていた。
最終は、倍近くの枚数となった。

初めての添削は、自分にとってとても気づきの多いものだった。
生徒と一緒に、自分への気づきもあり、また、今まで勉強してきた知識をフルに生かせる場なのだなぁって改めて感じた。
いろいろな分野の理論復習や、内容確認や・・・私が普段面倒くさくて省いてきた作業をまるであたりまえのようにこなせている自分が居た。
それは、とても嬉しい気づきでした。できるんだなぁわたしも。そう思えた一瞬でした。

生徒の回答と、私の内面は少し似ているようにも感じていた。
私は自分があまり好きではない。
でも、反動形成からか普段は自分が大好きで大切にしていると思っている。
教育分析で自分が新たに気が付いた自分は、潔癖なところがあって、世間の常識を守れない自分が許せなかったり、
やさしくない自分や、自分のために行動する自分を認められない。
他人がしても、いいじゃん!って思えることも、自分が同じ事をしたら、×をつけてしまう。
そんな私には、今回の添削は自分自身への添削とも言えたのではないか?と感じている。

SV修正を掛けられることなく、そのまま生徒に送ってもらえたことが何より嬉しかった。
教育分析の先生には何度か電話でアドバイスを受けた。
やっぱり、足りない目線がまだまだ私にはある。
今回、とっても勉強になった。
本当に有意義な一ヶ月でした。

休むひまも無く、今月また8日月曜日から次の添削は始まるのだった。^^;
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交流分析

2004年10月13日 | へにゃちょこカウンセリング日記
今、私は通信講座の添削をしている。
これは、全4回、1ヶ月をかけて自分を知り、心理学を少しだけ学ぶとゆう講座だ。
それに、交流分析を活用している。

交流分析とは、アメリカの精神科医エリック・バーンが創案した理論で「TA」と略されている。
TAの特色は、多くの人々に理解しやすく出来ているとゆうところだ。
心理学の中でも、メジャーな部類の理論で、思考、感情、行動などを、「今、ここ」とゆう次元で捕らえて記号や図式を使って表す。エゴグラムとゆうグラフが有名。

TAでは、人間の心の中には5つの心があると考る。
CP、(厳しい批判的な心)
NP、(優しい思いやりの心)
A、(冷静で客観的な心)
FC、(自由で天真爛漫な心)
AC、(従順な心)

最近思うことは、何事も「分析する」とゆう行動を私は今まで
実際にしているつもりでもしていなかったのだとゆうことに気が付いた。
冷静に、公平に、客観的な自分で物事を見れていなかったとおもう。
それは、自分を手前において判断していたから。
「自分はこうだから、それはおかしい」とか、狭い自分の意識の中で相手のことを判断していた。
まず、それに気が付けたのは、先生の勧めで「A」を上げる練習を重ね、
数々の結末を想定できるようになったり、型にはまった考えをしなくなったからだろう。
なので、やっと本来の「分析する」とゆう行動が取れるようになったような気がしている。
そこから、添削が始まる。
添削は、心理学の勉強に興味を持っている人に対してのはじめ書きとゆうか、
心理学に対して本当に興味が持てるか、自分の気持ちを確かめるための、投げかけのような作業だなぁと感じている。
だから、とても大切なのだ。
初めてのカウンセリング作業に近い。
人によって、勉強色を強めたり、カウンセリング色を強めたり、その人に合った添削方法をとる。
その見極めも自分にゆだねられている。

いろいろな自分に出会い、いろいろな自分とともにすごせるようになって、
カウンセリング中も、そのいろいろな自分と対話しながら、相手の言葉や態度に反応している自分の気持ちにも気づき、冷静に対処できるように多少なっている。
マンツーマンでカウンセリングをするときは、これの何倍もの視点が必要だ。
カウンセラーは忙しいのだ。一時間とゆう枠組みの中で目一杯精神を集中させる。
自分が聞きたくて、興味本位に質問を投げかけたりするのは、カウンセリングではない。
クライエントのための時間なのだ。クライエントが楽に過ごせるようになるための時間だから、
先のクライエントのためになる質問を投げかけたい。
そんなことが解ってくると、料金の高さも腑に落ちる。
自分のためにここまでしてくれるのなら、と思える。
だけど、カウンセリングを受けにくる人たちはここまで理解してくるのではないだろう。

それでも、カウンセリングを必要とするとゆうことは、その苦しみや辛さがとても厳しいとゆうことなのだなぁ。
そんな基礎的なことをいまさらに思うこの頃です。

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