先月、ゲシュタルトで有名な先生のワークに参加してから一月。
前回のワークは私の中で、時間がたつにつれて散々なものになっていた。
ただ一言、怖かったぁ。
受け入れてもらえた感がなかったし、押し付けられたような印象しか残ってなかった。
大金をはたいて外人のワークを受けたのに、失望するってついてないなっておもってた。
これも経験のうちだと解釈したけど、もしもゲシュタルトがこんな形ならば、私はこれからも、ここに居ることは無理なのかもしれないとさえ思えてた。
今日は前回の振り返りを兼ねたワークの日。
あの外人はもういない。
前回のワークについてみんな疑問に思ったことや、感じたことを発表する。
私も正直に、終始気分が悪かったことを告げた。
みんな、それぞれ違和感を感じていたようだ。
前回のワークは私の目指しているゲシュタルトではないなって、思えた瞬間、今日はワークに参加するって心のどこかで感じてた。
一人目のワークは、寝てた。
うとうとして、眠かった。
夢まで見たくらい、真剣に寝てた。
二人目のワークで、自分の中で忘れてた記憶がよみがえった。
気づかなかった感情にも火が付いて、涙が出た。
今日、最後になろうかというワークを、私が受けようとおもったのは、二人目のワーカーがきっかけだった。
思い出したくも無い記憶。
それはワークの題材にはしたくなかった。
あえて、外して仕事関連の題材にした。
「アリガトウ」感謝の言葉。
言葉を言うことは簡単だけど、気持ちをうまく込められない。
本当にありがたいと普段は思っていても言葉に出来ない。
感謝できない日常。
それを打破する気づきを求めた。
言いたいことを、伝えることをためらう私。
それは、相手が傷ついたり嫌な思いをする、もしくは困らせてしまうんじゃないかといった思い込みが邪魔していることに気が付いた。
私が自分で怒った口調だと思って発言した言葉は、実際相手には怒っているようには聞こえていなかった。
思いを伝えるということの難しさと簡単さを、今日のワークで体験した。
それと、もうひとつ。
これは自分でも驚いたけど、避けたつもりの記憶をさらけ出す羽目になった。
思いっきりガードしていたつもりだった。
とってもみじめな記憶。
恥ずかしい、悲しい記憶。
これを人に話すことにとても抵抗があったから、敢えて避けてきた。
多分、心理学を勉強し始めた頃にすでに自分のどこかにあったこの記憶は、本当に頑なに拒絶してきた感情の塊だった。
本物のファシリテーターに出逢って、今日私は新しい私になった。
子供に伝えたかった気持ち。
両親に伝えたかった気持ち。
素直にいえなかった「アリガトウ」「ゴメンネ」
ちゃんと言えました。
今日、あの場所に居てくれたみなさんに感謝します。
暖かく見守っていてくれて、「よかった、感動した」って言ってくれて、
「ありがとう。」
みどり先生、ほんとうにありがとう。
あなたに出逢えた私は、幸せです。
心からありがとうが言える今、私の全てが素敵に見えます。
前回のワークは私の中で、時間がたつにつれて散々なものになっていた。
ただ一言、怖かったぁ。
受け入れてもらえた感がなかったし、押し付けられたような印象しか残ってなかった。
大金をはたいて外人のワークを受けたのに、失望するってついてないなっておもってた。
これも経験のうちだと解釈したけど、もしもゲシュタルトがこんな形ならば、私はこれからも、ここに居ることは無理なのかもしれないとさえ思えてた。
今日は前回の振り返りを兼ねたワークの日。
あの外人はもういない。
前回のワークについてみんな疑問に思ったことや、感じたことを発表する。
私も正直に、終始気分が悪かったことを告げた。
みんな、それぞれ違和感を感じていたようだ。
前回のワークは私の目指しているゲシュタルトではないなって、思えた瞬間、今日はワークに参加するって心のどこかで感じてた。
一人目のワークは、寝てた。
うとうとして、眠かった。
夢まで見たくらい、真剣に寝てた。
二人目のワークで、自分の中で忘れてた記憶がよみがえった。
気づかなかった感情にも火が付いて、涙が出た。
今日、最後になろうかというワークを、私が受けようとおもったのは、二人目のワーカーがきっかけだった。
思い出したくも無い記憶。
それはワークの題材にはしたくなかった。
あえて、外して仕事関連の題材にした。
「アリガトウ」感謝の言葉。
言葉を言うことは簡単だけど、気持ちをうまく込められない。
本当にありがたいと普段は思っていても言葉に出来ない。
感謝できない日常。
それを打破する気づきを求めた。
言いたいことを、伝えることをためらう私。
それは、相手が傷ついたり嫌な思いをする、もしくは困らせてしまうんじゃないかといった思い込みが邪魔していることに気が付いた。
私が自分で怒った口調だと思って発言した言葉は、実際相手には怒っているようには聞こえていなかった。
思いを伝えるということの難しさと簡単さを、今日のワークで体験した。
それと、もうひとつ。
これは自分でも驚いたけど、避けたつもりの記憶をさらけ出す羽目になった。
思いっきりガードしていたつもりだった。
とってもみじめな記憶。
恥ずかしい、悲しい記憶。
これを人に話すことにとても抵抗があったから、敢えて避けてきた。
多分、心理学を勉強し始めた頃にすでに自分のどこかにあったこの記憶は、本当に頑なに拒絶してきた感情の塊だった。
本物のファシリテーターに出逢って、今日私は新しい私になった。
子供に伝えたかった気持ち。
両親に伝えたかった気持ち。
素直にいえなかった「アリガトウ」「ゴメンネ」
ちゃんと言えました。
今日、あの場所に居てくれたみなさんに感謝します。
暖かく見守っていてくれて、「よかった、感動した」って言ってくれて、
「ありがとう。」
みどり先生、ほんとうにありがとう。
あなたに出逢えた私は、幸せです。
心からありがとうが言える今、私の全てが素敵に見えます。