ぴよぴよカウンセリング 心と身体と魂を繋ぐよろこび

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My wark

2005年12月17日 | ワーク、セラピー体験
先月、ゲシュタルトで有名な先生のワークに参加してから一月。
前回のワークは私の中で、時間がたつにつれて散々なものになっていた。
ただ一言、怖かったぁ。
受け入れてもらえた感がなかったし、押し付けられたような印象しか残ってなかった。
大金をはたいて外人のワークを受けたのに、失望するってついてないなっておもってた。
これも経験のうちだと解釈したけど、もしもゲシュタルトがこんな形ならば、私はこれからも、ここに居ることは無理なのかもしれないとさえ思えてた。

今日は前回の振り返りを兼ねたワークの日。
あの外人はもういない。
前回のワークについてみんな疑問に思ったことや、感じたことを発表する。
私も正直に、終始気分が悪かったことを告げた。
みんな、それぞれ違和感を感じていたようだ。
前回のワークは私の目指しているゲシュタルトではないなって、思えた瞬間、今日はワークに参加するって心のどこかで感じてた。

一人目のワークは、寝てた。
うとうとして、眠かった。
夢まで見たくらい、真剣に寝てた。
二人目のワークで、自分の中で忘れてた記憶がよみがえった。
気づかなかった感情にも火が付いて、涙が出た。
今日、最後になろうかというワークを、私が受けようとおもったのは、二人目のワーカーがきっかけだった。
思い出したくも無い記憶。
それはワークの題材にはしたくなかった。
あえて、外して仕事関連の題材にした。

「アリガトウ」感謝の言葉。
言葉を言うことは簡単だけど、気持ちをうまく込められない。
本当にありがたいと普段は思っていても言葉に出来ない。
感謝できない日常。
それを打破する気づきを求めた。
言いたいことを、伝えることをためらう私。
それは、相手が傷ついたり嫌な思いをする、もしくは困らせてしまうんじゃないかといった思い込みが邪魔していることに気が付いた。
私が自分で怒った口調だと思って発言した言葉は、実際相手には怒っているようには聞こえていなかった。
思いを伝えるということの難しさと簡単さを、今日のワークで体験した。

それと、もうひとつ。
これは自分でも驚いたけど、避けたつもりの記憶をさらけ出す羽目になった。
思いっきりガードしていたつもりだった。
とってもみじめな記憶。
恥ずかしい、悲しい記憶。
これを人に話すことにとても抵抗があったから、敢えて避けてきた。
多分、心理学を勉強し始めた頃にすでに自分のどこかにあったこの記憶は、本当に頑なに拒絶してきた感情の塊だった。
本物のファシリテーターに出逢って、今日私は新しい私になった。
子供に伝えたかった気持ち。
両親に伝えたかった気持ち。
素直にいえなかった「アリガトウ」「ゴメンネ」
ちゃんと言えました。

今日、あの場所に居てくれたみなさんに感謝します。
暖かく見守っていてくれて、「よかった、感動した」って言ってくれて、
「ありがとう。」

みどり先生、ほんとうにありがとう。
あなたに出逢えた私は、幸せです。

心からありがとうが言える今、私の全てが素敵に見えます。






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ご挨拶

2005年12月16日 | 今感じる気持ち
今年も残り半月を切った。
私はこの一年で何回新しい出会いがあったんだろう。
触れ合いを通じて新しいことに出逢える。
未経験だったことを、体験する。
焦ったり、傷ついたり、泣いたり、怒ったり、悔しんだり、怒鳴ったり、絶望したり、笑ったり、楽しんだり、感心したり、感動したり、嬉しかったり、愛おしんだり、色々な感情を体験したのと、幸せな日々をおくれたこと、大切なものをなくしたことも。
厄があけて、それなりに人生がまわり始めてる。
別れがあって、出会いがある。
今新しい出会いの渦の中に居る。
来年は、今年よりも一年大人の自分で過ごせそうだ。
足踏みしなかった自分を褒めたい。
頑張ったね。ありがとう。
来年もよろしく。
コメント (3)
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家族の関係性

2005年12月07日 | カウンセリング体験
友達と雨の昼下がり紅茶とケーキの店で3時間話しこんだ。
彼女はつい最近仕事をやめたばかりで、今とても自由な時間を過ごしている。
現役の頃は、とてつもなく余裕のない毎日を過ごしてたから、今が素晴らしく幸せなのだといってた。
しがらみから開放される一瞬って、どんな気持ちなのだろう。
一人で暮らす彼女は、あまり実家に行かない。
遠すぎる距離でもないけど、居辛いのだそうだ。
家族との関係性で悩んでいる人は少なくは無い。
自分と、親兄弟との関係は正常ではないと感じている人はたくさん居るのではないだろうか。
正常っていっても、一体どれが正常で、逆に異常ってどこからが異常なのかがはっきり区別が付くわけではない。
ただ、世間で言う理想の親子像みたいなものが自分の中にあって、それにそぐわなければ異常だと感じてしまうのではないだろうか。
親は子を、子は親を大切にする。家族は無条件で自分をうけとめてくれるものだと思いこんでいたら、そうでない現状は異常であり、問題になる。
親だからこうしなければいけないとか、子供だからこうしなければ行けないっていうのは、本当は決まっているわけでは無い。
ただ、態度や経験や環境で悲しい気持ちが残ったり、残念に思ったり、悔しかったり、恐怖する気持ちは当然起こる。それが、自分を苦しめる原因のひとつとなる。

親も人間で、自分とは違う。だから性格が合わないこともありえる。
いつか分かり合えることが理想だけど、そうなれないことも実際にはある。
無理して歩み寄って疲れ果てるより、あえて離れるという行動も選択肢の一つにあっていいと私は思う。
自分と家族について話す彼女の眼は真剣で、時折涙も浮かべ、彼女の感じている気持ち全部がストレートに心に響いてきて、久々に、「話を聴く」という行動が出来たと実感した。
このところ、カウンセリングから少し離れていた。
まったく人の話を聴くことが出来ない状態だった。
自分に余裕がなかったから。
今、彼女を通してカウンセラーとしての私の復活を感じる。
ロールプレイ、そろそろ始めようと思う。



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