私は大阪府出身なのですが、何故か四国の方と縁が深いです。
うちの父は徳島出身、母は香川出身です。
どちらも四国から上阪してきて結婚しました。
私達姉妹は、生まれてから今までずっと堺市で暮らしています。
小さな頃は毎年香川県の母方の実家へ行くのが恒例。徳島には数回の思い出しかありません。
香川とは比べ物にならない位のど田舎で、風呂は五右衛門風呂、納屋で蚕を飼っていたり、常、見たことのない虫達と遭遇するわで、都会育ちの私には怖い思いをした思い出が印象的です。
父は何人兄妹か今でもちゃんと知らない私ですw
ずっと祖父だと思っていた人が、叔父さんだと知ったのは結婚の前位でしたし。
母は6人兄妹で、うち5人が女性。
親戚が集まるとそれはそれは賑やかでしたw
でもそれは唯一の長男、いさむおっちゃんがいた頃の話です。
亡くなったのは私が結婚する前の事でした。
その後、祖母が亡くなり、毎年帰っていた香川にも行かなくなりました。
幼い頃の刷り込みと言いますか、香川県民のあるあるといいますか、、、
事あるごとにうどんを食べる。
おやつがわりにうどん、毎食前にうどん、小腹空いたらうどん。。
台所には、うどん玉が並んだせいろが10段位積んでありました。
建設業をしていたということもあったかもしれませんが、小さな私にとっては、この家の人はうどんは欠かせないのだと思っていました。
今は、徳島の実家に帰る方が増えたようです。私はどちらにも顔出してません。
御墓参りも何十年もご無沙汰ですが、ここからいつもありがとうと伝えています。
高校を卒業して、専門学校へ通うようになって、卒業間際に知り合ったのが旦那さんです。
彼も実家は小豆島で香川県民です。
まさか、結婚するとはその時は思ってなかったですが、また四国の親戚が増えました。
私の母は昔からオシャレでした。
父と結婚する前は、最先端のファッションを楽しんでいたんじゃないかな。
理容師ってのもあり、髪型や服装にも気を使っていたと思います。
母の姉が、服飾をしてたのもあって、オシャレで可愛いツーピースやワンピースを幾つも持っていました。
着なくなってからも、洋服タンスには捨てずに残ってて、私が着れるならと譲ってくれましたが、母は小柄で、私にはサイズが合わなかったのが残念で仕方ありませんでした。
両親は2人とも理容師で、80目前の今も理容店を営んでいます。
いつものスタイルは、白衣にジーンズ。
母は昔からラングラーのジーンズを履いていました。
今思うと、こどものころから私もいいGパンを履いてました。
母と一緒にジーンズショップへ買いに行くのが楽しみでした。
中学生、高校生になってもGパンはラングラーでした。
定番のストレート、高校生の頃流行ったショッパーズw、ウエストの位置がどんどん下がって、スキニージーンズが流行りだして、今はまた一回りした感じで、腰からウエストにボタンの位置が上がってきた。
価格もどんどん高額になって、2万円出しても買えないブランドが増えてます。
ラングラーのジーンズは、履き心地が好きでした。
生地の固さというか、しっかり伝わってくる感じ。
だけど、ラインは女性らしく見えて脚を綺麗に見せてくれる。
今はもうラングラーのジーンズは一本もありません。
購入するGパンはラングラーから、45rpmになり、その後ディーゼルに変わりました。
体型が変わってから、サイズが変わって今迄のジーンズをはけなくなりました。
その後も、綺麗にはけない気がして長い間新しい物を買えませんでした。
UNIQLOや、通販で、楽にはけるものを買って、はいたりはしてましたけど、自分の中で折り合いつけてた感じです。
好きなものを選ぶという事は、それ自体がとても気持ちのいい事。
選んだ物が自分にふさわしいかという気持ちが湧くのは、そこに他人によく見られたいという比較する気持ちがあるから。
UNIQLOでも、ディーゼルでも、はいている自分が心地よければそれでいいのです。
ディーゼルの生地は、以前の感覚ではラングラーに似ていました。
生地に遊びがほとんど無い。
でも、はいているうちに自分のラインに合ってくる。自分だけのジーンズになる。
昨日、久々にディーゼルでジーンズを買いました。
生地の素材が変わってて驚いた。
どれを試着してもある程度柔らかく履き心地が既にいいんです。
その中でも、硬めの生地のを選んで買いました。
サイズは2サイズアップしてましたけどw
ジャストサイズでも心地いい。
無理の無い自分とシンクロしているようで嬉しいです(^^)
買い物ひとつでも、思いは深まります。
毎日、何かに感動しています☆
うちの父は徳島出身、母は香川出身です。
どちらも四国から上阪してきて結婚しました。
私達姉妹は、生まれてから今までずっと堺市で暮らしています。
小さな頃は毎年香川県の母方の実家へ行くのが恒例。徳島には数回の思い出しかありません。
香川とは比べ物にならない位のど田舎で、風呂は五右衛門風呂、納屋で蚕を飼っていたり、常、見たことのない虫達と遭遇するわで、都会育ちの私には怖い思いをした思い出が印象的です。
父は何人兄妹か今でもちゃんと知らない私ですw
ずっと祖父だと思っていた人が、叔父さんだと知ったのは結婚の前位でしたし。
母は6人兄妹で、うち5人が女性。
親戚が集まるとそれはそれは賑やかでしたw
でもそれは唯一の長男、いさむおっちゃんがいた頃の話です。
亡くなったのは私が結婚する前の事でした。
その後、祖母が亡くなり、毎年帰っていた香川にも行かなくなりました。
幼い頃の刷り込みと言いますか、香川県民のあるあるといいますか、、、
事あるごとにうどんを食べる。
おやつがわりにうどん、毎食前にうどん、小腹空いたらうどん。。
台所には、うどん玉が並んだせいろが10段位積んでありました。
建設業をしていたということもあったかもしれませんが、小さな私にとっては、この家の人はうどんは欠かせないのだと思っていました。
今は、徳島の実家に帰る方が増えたようです。私はどちらにも顔出してません。
御墓参りも何十年もご無沙汰ですが、ここからいつもありがとうと伝えています。
高校を卒業して、専門学校へ通うようになって、卒業間際に知り合ったのが旦那さんです。
彼も実家は小豆島で香川県民です。
まさか、結婚するとはその時は思ってなかったですが、また四国の親戚が増えました。
私の母は昔からオシャレでした。
父と結婚する前は、最先端のファッションを楽しんでいたんじゃないかな。
理容師ってのもあり、髪型や服装にも気を使っていたと思います。
母の姉が、服飾をしてたのもあって、オシャレで可愛いツーピースやワンピースを幾つも持っていました。
着なくなってからも、洋服タンスには捨てずに残ってて、私が着れるならと譲ってくれましたが、母は小柄で、私にはサイズが合わなかったのが残念で仕方ありませんでした。
両親は2人とも理容師で、80目前の今も理容店を営んでいます。
いつものスタイルは、白衣にジーンズ。
母は昔からラングラーのジーンズを履いていました。
今思うと、こどものころから私もいいGパンを履いてました。
母と一緒にジーンズショップへ買いに行くのが楽しみでした。
中学生、高校生になってもGパンはラングラーでした。
定番のストレート、高校生の頃流行ったショッパーズw、ウエストの位置がどんどん下がって、スキニージーンズが流行りだして、今はまた一回りした感じで、腰からウエストにボタンの位置が上がってきた。
価格もどんどん高額になって、2万円出しても買えないブランドが増えてます。
ラングラーのジーンズは、履き心地が好きでした。
生地の固さというか、しっかり伝わってくる感じ。
だけど、ラインは女性らしく見えて脚を綺麗に見せてくれる。
今はもうラングラーのジーンズは一本もありません。
購入するGパンはラングラーから、45rpmになり、その後ディーゼルに変わりました。
体型が変わってから、サイズが変わって今迄のジーンズをはけなくなりました。
その後も、綺麗にはけない気がして長い間新しい物を買えませんでした。
UNIQLOや、通販で、楽にはけるものを買って、はいたりはしてましたけど、自分の中で折り合いつけてた感じです。
好きなものを選ぶという事は、それ自体がとても気持ちのいい事。
選んだ物が自分にふさわしいかという気持ちが湧くのは、そこに他人によく見られたいという比較する気持ちがあるから。
UNIQLOでも、ディーゼルでも、はいている自分が心地よければそれでいいのです。
ディーゼルの生地は、以前の感覚ではラングラーに似ていました。
生地に遊びがほとんど無い。
でも、はいているうちに自分のラインに合ってくる。自分だけのジーンズになる。
昨日、久々にディーゼルでジーンズを買いました。
生地の素材が変わってて驚いた。
どれを試着してもある程度柔らかく履き心地が既にいいんです。
その中でも、硬めの生地のを選んで買いました。
サイズは2サイズアップしてましたけどw
ジャストサイズでも心地いい。
無理の無い自分とシンクロしているようで嬉しいです(^^)
買い物ひとつでも、思いは深まります。
毎日、何かに感動しています☆