ぴよぴよカウンセリング 心と身体と魂を繋ぐよろこび

理想のライフスタイルを確立するサポートを、自立を目指すあなたと共に、自らの学びと成長を現実的に達成して行く、今ここから。

受容の大切さ

2007年08月31日 | カウンセリング体験
久しぶりのお休日にお仕事交じりのお出かけを持ちかけて了承してもらえた私の親友である、妹が行きの車中で大泣きした。
きっかけは、とっても些細な会話からだった。
人は疲れていると、心がササクレ立って棘棘しくなってしまうのかもしれない。
そんなことでイライラしなくても・・・・とか私が思うことも、いまそこに思えない相手がいて、思えない理由が必ずあることを私はわすれていた。
聴き逃してた。気づかなかった。
頑張っても頑張っても終わらない。
余裕の無い日々がいつまで続くのか、自分の努力をわかってくれる人が居るのか?評価してくれる日が来るのか?
そんなことを考えると、なんで自分だけ・・・って腹が立ってくること、私も経験してる。
強要されてやらされているわけではないけど、でも理解して欲しい、ねぎらって欲しい。そういう気持ちってみんな持ってる。
「褒められたい」「認められたい」心の底にある気持ち。
私がもっと彼女側の話を聴いてあげていれば違う意味で愚痴ってスッキリしたのかもしれないけど、それではまた同じ気持ちが蓄積することになるから、
今回は気持ちが決壊したことで、本音で話してもらえたからその分少し好転したのではないかと感じる。
CP・ACの高い彼女。
一番ストレスが溜まりやすい性格。
休憩を手抜きと感じる傾向にあるし、他人の評価よりも自分の気持ちを大切にしてもらえたら・・・・
自分をもう少し中心に持ってきた考え方をしてもらいたいなって心から思う。
大好きな大切な人だからね。
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傾聴体験

2007年08月28日 | カウンセリング体験
ロープレサボってるけど、最近それに近い体験ができる機会が増えてる。
仕事での関わりなんだけど、WORKHOLCKな人がかなり多くて、悩みや苦しさを感じる以前にうまく表現できなくて、体調を崩すケースが急増してしまっている。
現に同じ会社に2人。
私自身その人のヘルプで遠方に派遣されているんだけど、その道中の車内での会話はある意味カウンセリングに近い。
相手を思いやる気持ちが、相手にうまく伝わらなかったり、結果が思わしくなかったりを繰り返すことで、どれだけ心を挫かれ精神を疲れさせるのかを改めて感じている。
善と悪、同じ事柄でも人の判断でどっちにもころぶ。
感じ方で変わる答えを、色んな方向でたくさん持っていればその分楽なのだと思う。
「腹立ちますよね」って言葉に、「腹がたってるのかな?」の返答。
相手の言葉から感じた答えをそのまま相手に投げかけたら、疑問符で帰ってきた。
こういう場合は、スッキリと当てはまっていないということだから、もっと当てはまる気持ちを感じてもらえるように言葉を促す。
「あいつが辛いのは解ってるし、自分の出来ることを精一杯してあげたいと思ってしてるけど、こうしてがんばってもまた同じこと繰り返すかもしれないと思ったら、もうしんどいねん。また同じこと繰り返すのはいややなって思うねん」
もっと聞いてみたら、なんと答えが見つかった。
私が「腹が立っている」と感じていた気持ちは、「しんどい」だった。
相手の為に頑張っている自分と間逆の感情「もう顔も見たくない」「何もはなしたくない」は、心挫かれた疲労感、挫折感、不安感の叫びなのかもしれない。
その私の言葉に納得したように、「そうや!しんどいねん!!そうか、しんどいねんな・・・」って自分の気持ちに気がついたあと、少しの沈黙の後、自分の気持ちに決心がついたようだった。


こいう体験はなかなか出来ないとおもう。
今日はいい傾聴ができたと思う。



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課題をこなす

2007年08月22日 | 今感じる気持ち
自分の人生を窮屈と感じるのは、これで何度目だろう。
そもそも世間からすれば、私は自由人に近い主婦だと思う。
なのに、自分からすれば窮屈なのだ。
「なにが!贅沢な!!!」って、思う人はたくさん居ると思うし、自分でもそう思う。なのに窮屈感はぬぐえない。思えててもなくならない。
人の心なんてわかんないものなのだと、改めて実感。

何が私にそう感じさせるのか・・・・・こういうのを知るためにカウンセリングはあるのよね。
でも、自分で自分をカウンセリングはなかなかできないから、そんなときはアートで自分の内面を出したり、コラージュに没頭したりすることで、なんとなく落ち着きを取り戻せたりする。
モヤモヤしている気持ちが明らかにはならないけど、スッキリ感は少しはあるからこれって、自分にとって無駄な勉強ではなかったなと、また改めてそう思う。

人生に無駄は本当にないんだね。
それが当初予定していた本質を大幅に反れていたとしても、自分にとって無駄な出来事なんてないということが、体験を通して確実に私の中で強化されている。
今日在った嫌なことも、この先の自分の何かに繋がってる。
今はマイナスに思えることでも、それはその先のプラスに繋がっている。
そう思えるとものすごく楽なんだけど、思えない時の方が多いから、苦しんだりするんよね。
今をじっと耐えたり、やり過ごすことが自分の課題なのだとすると、できるだけ楽に課題をこなせるようにサポートするのが、カウンセラーで、私はその勉強をもう何年も前から始めているのに、サボってばっかりでなかなか前に進まない。
怖いんだな。人のことよりも自分が傷つくことが。
最近はっきりとそれがわかってきた。
この事実を言葉にできるようになったってことが、また一歩成長できたってことなんだろうか。

必要とされたいのに、求められると逃げ腰で、表面的に繕って実際は関わろうとしない。人のせいにしていたい。自分はいい人と思われていたい。
自分の中にある気持ちは人に反映される。
自分にない感情は他人に対しても感じない。
相手の立場に自分を置いたとき、自分だったらこう思うなってことをそのまま相手の気持ちとして無意識にだけど考えるから自分が悲観的だったりすると、マイナスな捕らえ方しかできなくなってしまう。実際はそうじゃないかもしれないのに。


いろんなパターンがあって自分の答えだけが答えじゃないって思えたら少しは気持ちも違ってくるかもしれない。
いろんな答えをもって、柔軟な心で人と話せるように心がけよう。
それにはまず、人の話を聴ける人になろう。
それが第一歩で、最強の課題かな。








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