ぴよぴよカウンセリング 心と身体と魂を繋ぐよろこび

理想のライフスタイルを確立するサポートを、自立を目指すあなたと共に、自らの学びと成長を現実的に達成して行く、今ここから。

スピリチュアル・コンベンション

2005年03月26日 | 今感じる気持ち
以前、同じ学校の方のHPで、「すぴこん」の存在を知った。
で、今日そのスピコンが大阪の天満橋で開催されているのを知って出かけてみた。
はじめは友達と行くはずだったのだけど、今日になって一緒に出かけてくれる友の都合がわるくなって、実際に出かけるのかどうしようか迷ったんだけど、独りでいってもいいかなと思うほど、興味があったので、お金もあまり無かったけど出かけてみた。
会場は、色々な催し物を開催しているOMMビルで、コンベンションは、奥のそのまた奥のわかりずらい場所で開催されてた。思ったよりも一つのブースが小さく、なんだかごちゃごちゃして、分かりずらかったし、一人ではやはり肩身が狭かった。
入り口で、1500円払って入場し、そこからどうしたらいいのかさえ分からない状態でぐるっと一週。そして、また一週。結局三週回った。せいぜい5分くらいしか経ってない。オーラソーマや、タロット、ストーンセラピー、その他色々なスピリチュアルな世界のものがたくさんあった。でも、ほとんどのものに興味を示せなかった。どうしたもんか・・・とぐるっと見渡すと、入り口付近に暗幕の前にカメラがセットされているブースが在った。オーラの撮影をしてもらえるそうだ。しかも鑑定説明書付き。私ははじめからこのオーラ写真はとってみたいと思っていたのだ。やっと興味の対象が見つかった。3000円コースと、8000円コースがあって、金の無い私は安いほうを選択し、生まれて初めて自分のオーラを見ることができた。全体的に青い。他にも紫。そのまだらな混ざり具合や色合いで、どんなじぶんが分かるのだろう?結果、ほほ~っと思うことが一杯書かれた鑑定書を頂き、即座にその場を立ち去った。
私が今実際に行動していることと、自分が根本的に持っている資質は合致している。しかし、自分の内に秘めたエネルギーを全て使いきってしまいそうなくらい色々なことを同時にこなしすぎて、とても疲れているらしい。まずは、一息入れてエネルギーを蓄積してから、再度スタートするほうがよいという結果だった。なるほどね。納得いく回答だった。
私のチャクラはその半分しか活性されていないようだ。もっと活性させるには、スカイダイビングなんかどうですか?と、担当の方にお勧めされたけど、それはどうだろ?もっと簡単に出来ることを提案してほしかったなぁ
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勉強+報酬

2005年03月24日 | へにゃちょこカウンセリング日記
添削を始めてからもうかれこれ半年ほど経つ。
今年に入って、SVがなくなって、自分で添削をするようになった。
人の勉強を手伝うことは、それはそれで大変だ。
方向性や、強く理解してもらいたい箇所を自分が理解していなければ、
間違った形で生徒に伝わることになる。

SVが付いている間は、自分の理解が間違っていても大丈夫。
そのことに、今のうちに気が付くための期間だから。
間違いたくないと、はじめのほうは思っていたけど、
いつからか、思いっきり自分なりのコメントを書いて、
見てもらって、こことこことの理解が少し違っているよとか、
この書き方では分かりにくいとか、本当に相手に添ってのコメントなのかとか、
いろいろとチェックしてもらった。
そのチェックのおかげで、今の自分の添削に自信を少し持てている。
勉強してきた自分の知識を照らし合わせる作業と、長期にわたって生徒とかかわることの
大切さ、カウンセリングの真髄を少し垣間見たような感じ。

カウンセリングは誰が受けにくるのか分からないし、
そのクライエントさんとも長くかかわれるとは限らない。
でも、心理学という勉強を通して、自分を知っていこうとする人物に自分が深くかかわっていくことが出来るこの機会を、今はとてもありがたく感じる。

今月、独りの生徒がコースを終了した。
初回の4回コースなのだけど、一番カウンセリング色の強いコースなのだ。
もちろん、過去に私自信がこのコースを体験し、辛いことも、嫌なことも、びっくりすることも乗り越え、かわいい自分や、頑張ってる自分に出会えた。私にとってはもっともっと先に自分に進んで行きたい気持ちに駆られる一ヶ月だった。
みんなそれぞれ、違った感覚でこのコースを終了していく。
私の生徒は有意義な一ヶ月になってくれただろうか?

カウンセラーとして、初めての報酬を今月いただけるようだ。
新たな一歩として、自分の成果として、この報酬は宝物のように感じる。
すぐに使わずに、大切に貯金しようと思う
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感想文

2005年03月22日 | 今感じる気持ち
好きな作家が居て、その人の本を読む。
なんだか、自分の世界と少しだけ似ていることと、自分があこがれている生活をその人が送っていることで、好きなのかもしれない。
本に良く出てくる言葉がある。「傲慢」「光」「繋がる」
傲慢の、意味はあまりちゃんと把握していない。でも、この人が傲慢と使うたびに、なぜだかものすごく嫌な気持ちになる。

実は、この作家の本を読んで、私は心理学に興味を持った。カウンセラーになりたいと思ったのもこの人の本がきっかけだった。今でも、それははっきりと覚えている。「コンセント」という作品にカウンセラーが登場する。そのカウンセラーになりたいとかいったことではなく、カウンセリングの描写に興味を持った。する側ではなく、受ける側に興味を持ったのだ。
物語の内容は、結構エロかったとおもう。
なのに、なぜだろう。私が心理学を選択したのは・・・。謎。

行動することの簡単さと、持続することの難しさを私は心理学で学んだ。
今では、違った目線で同じ小説を読むことが出来るだろう。
もう一度読み返してみようかなぁと、この頃ふと思う。そこには、どんな気持ちがあるのかなぁ。
書くことで、自分を表現できるって羨ましい。自分が言わんとしていることや、感じていることを、文章でうまく人に伝えることが出来たらなんてすばらしいのだろうと思う反面、怖いような気もする。色々な人が本を読んで色々なことを考え、受止める。そんな影響力って、怖い。
そこまで責任を負うことは無いのかもしれないけど、自分の気持ちを伝えるって、難しいなぁと思う。うまく伝えられるかどうかは分からないけど、せめて自分が納得できるように伝えられたらと思う。
このブログって、そんな意味ではちゃんと書けていると実感できるなぁ~
知らず知らずのうちに色々な人に立ち寄って読んでいただけている。
平凡な人間の生活や、日々の感想だけど、読んでくれる人が居るとなんだか嬉しい。
コメントがあると、とても嬉しい。
面識が無くても、人との繋がりって暖かい。
幸せを感じる私が居る。
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アートセラピー(コラージュ2回目)

2005年03月19日 | ワーク、セラピー体験
今月は月初めから体調を崩し、予定通りの仕事も勉強も出来ずに居た。
今日は、今月初めてのセラピーとなる。
病人になると、普段とは違った意味でとても弱い自分が現れる。謙虚な気持ちになるし、神様も現れる。私の場合、神様は自分がどーしても叶えたい願いのあるときに必ずと言って良いほど登場する。そして、かなったときに感謝して、そしてすぐに居なくなってしまう。というよりは、一時の信仰というかんじだろうか。例えば、急におなかが痛くなって、どうしてもトイレに行けない状態のとき、「神様どうかこのおなかの痛みを消してください!せめて、トイレのあるところまでもつようにしてください!今までした悪いことはもう、しません。ごめんなさい。他には何もいりません。どうかこの願いだけを叶えてください。」的なことを、心の中で唱える。すると、わりと高い確率で願いが叶う。腹痛に関しては100%だ。
今回の病気も本当に長引いたし、こじれて辛い思いをしながら、それでも仕事は休めず、頑張った結果、思わぬ病気へと発展してしまった。30%の確率で薬では完治しないとまで言われてしまって、そうなると、手術しか治る手段は無いらしく、ものすごく怖い。
そんな中、今日はどんな結果がアートででるのかなぁと思いながら、朝出かけた。
今日のアートはコラージュで、私は2回目だ。正確には授業で一回したので3回目。
コラージュとは、切り貼りという意味で、雑誌や、パンフレットのなかから自分の好きな絵や写真や文字を切り貼りしていく。貼り方に決まりは特に無い。好きな場所に好きな張り方で貼っていくだけ。その過程、つまり、切り抜く対象を探す作業や、切り抜くという行動を楽しむ事が、このコラージュの一番の楽しみだ。切り抜いた絵は 自分を表す一部となる。気になった絵をどんどん張っていくと、自分の内面が画用紙に現れる。納得できるものもあれば、しっくりこないときもある。物足りないと感じるその気持ちに、自分が寄り添ってみる。みなでシェアリングし、新たな発見があることもある。なにも考えずに表現した作品なのに、そこには今の自分が少しだけ見え隠れする。

私の一度目のコラージュはスタイリッシュなイメージで都会にあこがれる自分が表現されていた。でも、現実もきっちり自分の中に持っていて、憧れと、現実をちゃんと区別できている自分も発見できた。今回の作品は、全体的に整理整頓したいといった印象があった。四角や、無機質な建物、家具、数がそろった雑貨、そして、内面を表す左下部には、イングリッシュガーデンの写真があった。
全体的にまとまりのある綺麗なコラージュに出来上がった。
四角は丸よりも有効にその面積を使用することが出来るという意味がある。最大限の容量を使って、私は自分に何を取り込もうとしているのだろうか。それとも、自分を最大限に使って習得したものを見栄え良く、綺麗に整理整頓したいと感じているのかもしれない。心の深い部分はいい意味で癒されて安らげる場所となっているようだ。新しい、何かを自分が始めようとしているように感じた。そのために自分の中のこまごましたものを整理したいと感じている。そんな風に作品を解釈してみた。

今日の参加者は4人。いつもよりも少しだけ多い。やっぱり多いと楽しい。色々なコラージュを見ながら、色んな気持ちが沸いてきた。人のコラージュで気づく気持ちなんかもあるのだ。
アートは、本当に自由な自己表現だ。誰の批判も中傷も、押し付けも無い。そこには自分自身を表現するといった事柄だけがある。話が苦手でも、なにも話さなくても、絵をみて感じる自分を感じるだけでも、きっとなにか新しい自分に出会えたり、気づいたりするよい機会となるかもしれない。子供と一緒にやってみようといつも思うのだけど、なかなか実行できないで居るのだった。

来月は一体どんなアートを体験できるのか楽しみだ。
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本音と建前

2005年03月15日 | 今感じる気持ち
人に、自分がキツイと感じる言葉を伝えないといけないとき私はためらいを感じる。それでも言わなければ前に進まないから無理やり言ったあと、自分を責めたりごまかしたり、相手にどう思われているかを心配することが常だった。
最近では、そういった行動を自分がとることがあまり無くなった。
相手が、どう思うかは相手の問題。それよりもまず、自分がどう思っているのかを先に考えるようにしたら、自然に辛さが和らいだ。
最近あった出来事では、頼りにしている従業員に引き抜きの声が上がって居ることを、本人から相談された。それ自体、お店としてはものすごく困る。しかし、彼女が求めている条件を相手側がそろえられるのであれば、彼女にとってはそっちの方がいいのだ。私は彼女が好きだし、幸せになってもらいたい。でも、抜けられると困るし、声をかけた会社側には腹立ちは感じている。もし、彼女が店をやめて就職したとしても、毎日顔を合わせる同じ場所の違う会社で働くことになるのだ。穏やかな気持ちで接することは私には少し辛いことになりそうだ。
自分の気持ちも、彼女の幸せを願っていることも伝えて、彼女が公平に未来を選択できるように今日話をした。
「まず、一番に話してくれてありがとう。出来る限り、私はお店で働いてもらいたいと思っているのだけど、正社員という立場をこのお店で取られてあげることは出来ないから、それが一番の目的ならばうちのお店は期待に添うことはでいないね。でも、福利厚生をしっかりつけてって形なら、オーナーに話を通したし、固定給にはなると思うけど、金額もきっちり出してもらうようにするから、その辺を比べてもらってえらんでくれたらいいいと思う。ただ、もし、あっちに就職するとなったらね、
今までのように、ニコニコ仲良くは出来なくなるかもしれないね。会社的には裏切られることにあたるからね。お店は少なくともしばらくは困るし、その辺のけじめなりは自分にきっちり持っていてほしいと思ってる。私も、喜んで送り出すわけではないということを分かっておいてね。」
彼女は、少し疑問を残したような表情をした。分かっていないのかもしれない。
でも、自分が言いたいことは言えたし、こっちが出来るだけのフォローはした。これでも、去っていくのならそれは仕方の無いことだ。彼女の人生だし、彼女が求めているものがここにないのなら仕方が無い。そう、自分で納得した。私自身、彼女と一緒に仕事が出来てよかったと感じている。そんな人柄を持つ彼女だからこそ、リスクを覚悟で引抜があるのだとも思う。それだけ魅力のある人材を手放すことになるのは本当に惜しい。私は、彼女が選択をきめて次のステップへ進んだとしても、出逢った事実はそのままで、仕事から離れたまた違った関係で彼女とかかわっていけるのだと感じている。人を想う事ってこういうことをいうのかなぁと自分で感じていた。
コメント (3)
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