ぴよぴよカウンセリング 心と身体と魂を繋ぐよろこび

理想のライフスタイルを確立するサポートを、自立を目指すあなたと共に、自らの学びと成長を現実的に達成して行く、今ここから。

ブランドの力

2005年06月26日 | 今感じる気持ち
私の会社には、BRANDINGという言葉がある。
ブランディング・・・なんか、高級感あふれる言葉でしょ?
ブランドとして恥ずかしくないレベルのサービスを提供できるよう、ブランド意識を従業員一人ひとりが大切にすることで、お客様が感じられる優越感に近い気持ちも、満足させることが出来るといったこと(少し簡潔にしてます)が、マニュアルには書いてある。
な~るほど・・・
確かに、うちのお店の名前を聞くと、高いレベルのサービスを受けられると思ってしまう。
そういった気持ちが大きいと、少しのミスも大きなダメージへと変貌する。
立ち食い蕎麦屋が、どんぶりに指を突っ込んでもあまり気にならないけど、老舗の蕎麦屋で同じ事をされたら、ショックが大きいように思う。
私は毎日、そんな顧客意識と戦っている。

千差万別色んなブランドがあって、みんな知っているブランドもあれば、マニアックな分野の人に特別なブランドもあったり・・・
私は、女性が大抵知っているブランドにあまり興味がない。
お財布も、鞄も、靴も、百貨店の高級店のならびにあるブランドのものは買ったことがない。
でも、最近少し興味が出てきた。
何か高いものを身につけることで、自分の価値が少し高くなったような錯覚を覚えることがあったから。
意識的に、高価なものを身につけられる自分は特別な存在なのだと思えたりするからなのだ。
これって、浅はかなのかもしれない。
でも、こんなことでも、自分に自信がつくのならいいかって思う。

人間の価値は、持ち物で決まるわけではない。
どんな服を着ていても、いい服に見える人が居る。
極端な話、百均で買ったものもその人が持っていると、ブランド物に見えたり・・・
それは、個人のブランド力だといえるだろう。
魅力ある人ほど、ブランドの力は借りない。
自分がいいと思えるものを、大切にしているように思う。

私はまだそんなに、自分に自信が持てないので、たまにブランドの力を借りる。
気合を入れたいときに、ちょっとだけいい服を着る。
見た目にはシンプルで分からなくても、自分なりのブランドを立ち上げる。
そんなこだわりは、もっていたいと思う。

人から見られる自分を意識している私を、大切に出来る自分にとりあえずなろう。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アセスメント

2005年06月20日 | へにゃちょこカウンセリング日記
最近、とんとご無沙汰のカウンセリング。
ロープレのように、フィードバックをしてもらえるようなカウンセリングをしていない。
自分なりに、「聴く」という行動を取ることも少ない。
自分自身も、カウンセリングを受ける機会がない。

「そんな気にならない」が一番の理由で、カウンセリングから遠ざかっている。
でも、この頃やっとカウンセラーの目線で話を聴いている自分を発見する。
視線、仕草、口調、全てを意識しながら、相手の話を聴く。
聴いて、感じる。なにを伝えたいのか、何を分かってほしいのか。
どんな風に感じているのか。私は何を聴いてあげられるのか。
そんなことを思いながら、人の話を聴くと、素直な自分を感じるのと同時に、冷静な自分にも出会う。
普段、ばたばたしているので、落ち着いた自分に出逢えると、嬉しい。
人の気持ちを聴いているときは、自分のことを考えないで済むからなのかなぁ。

カウンセラーとて、一人の人間。
自分の問題はそれとして抱えたままで、解決すらできなくても、人の話は聴く。聴いて寄り添える。
クライエントのための優しい自分になれる。

自分にはやさしくなれないのに・・・・

アセスメント。心理学では「査定」という意味がある。
クライエントの問題状況の客観的全体像を捉え、査定(アセスメント)する。
アセスメントには、問題状況の性質や、クライエントを取り巻く環境、まだ話していない問題の前触れ、クライエントが利用できる環境的資源、問題そのものが新たな機会となりうる方法などがあり、全てを視野に入れながら、問題に思っていることを明確にしていくのだ。この問題はクライエント自身が理解する必要がある。アセスメントは、今後、どのようにすれば、クライエントが自分を理解出来るのかを査定することなのだ。

こんなことを考えていたら、ふと、「今の私の査定は一体どんな感じなのだろう。」と思ってしまった。

自分のことをもっと知りたいと思っている人は少なくないだろう。
私が感じる私、私が感じるあなたを、あなたが知りたいと思ったら、お話しを聴かせてください。
私も、もっと色々なあなたが知りたい。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

開示表現と、心の安定と不安定のバランス感

2005年06月16日 | 今感じる気持ち
心を開示することは時には必要なことかもしれない。
でも、何もかもを言葉にしていってしまうと、相手を傷つけてしまうこともある。
実際、私は無意識によくそういった行動をしているようだ。
多少、意識はするものの、浮かれているときは忘れている。
自分が言われて悲しくなるようなことは、いうべきではない。
言葉にする前にもう一度、自分に反覆してみる必要がある。
毎日、寝る前に一日のことを思い返す。
一番印象に深いことは、決まって自分が後悔し、反省しているところなのだ。
人がどう受け取っているのかは分からない。もしかしたらなにも感じていないのかもしれない。でも、自分は少し後悔なり反省なりしているところなのだ。だからこそ、心に残る。
今日の反省は、明日の自分のプラスになる。と信じたい。
簡単には行かないけれど、毎回「想う」ことを繰り返すことが私の先に繋がればいいと思う。
他人の反応を窺がわずに、生活が出来ているこのごろは、毎日が少し楽になった気がする。
それは、「安定」と表現していいくらいかもしれない。

心の安定感は、何をもって「安定している」というのかは、人それぞれ感じ方が違うので分からない。
私のイメージでは、安定の後ろには不安定が居て、不安定の後ろには安定が居る・・・・と、前に習えをした「安定」と「不安定」が無限に並んでいる図が見える。

今、列の一番前にいるのは安定。
毎日の仕事量は変わりなく、私生活も変わりないのだが、安定している。
毎日が楽しいと感じられる。自宅に居ることが苦ではない。
それは、私にとって「安定」といえる。

独りの時間を有意義に過ごせる何かがあることが、安定した毎日を送るための一番の条件なのかもしれない。
私を嫌いな私が今は小さくなっている。
誰かに、「私、今とっても楽しいんです!」って叫びたくなる。
こんな毎日の裏側に、不安定な気持ちが隠れていて、たまに「これでいいのか?」ってこずかれる。
「いいわけないじゃん!」って怒鳴られる。
それで、熱が冷める。

私はこうやってバランスをとっている。
浮かれすぎないように、凹まないように。
微妙なバランスをこれからも取り続けるのかなぁ。

随分長い間、不安定が先頭をキープしていた。
不安定は一度先頭になると、なかなか後ろへは譲ってくれないのだ。
逆に、安定はすぐに譲ってしまう。
やっと、順番が回ってきたのだから、今度はたやすく場所を譲ってほしくない。
こんなことを、なんとな~く考えている日常なのです。






コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

過去からの贈り物

2005年06月13日 | カウンセリング体験
ずいぶん長い間、カウンセリングから離れていたように思う。
でも、実際は二ヶ月足らずのことでしかない。
そんな風に感じるのは、私の中でのカウンセリングが身近になりつつあるからなのかもしれない。

勉強し始めたころは、授業をこなすことをがむしゃらにやってきたけど、いざそれをクリアしてしまったときに、なんともいえない不安感がよぎった。
次に何をすればいいかわからなくなったから。
私の目的や、目標はいったいなんなのか、見失ってしまった。心の勉強は本当にきりがない。
どこがゴールということがないから、どこまで行っても先がある。
そんなことを考えると、途方もなく無力な気持ちになるけど、それを克服することもまた私の生きる意味なのかもしれない。

土曜日に、久々にカウンセリングのロープレをした。私はクライエント役のみのロープレたっだので、気が楽だった。
今、抱えている自分の気持ちを言葉にして人に伝える。
それは、自分の心に反覆するような作業でもある。
過去の出来事をまた思い返している。それは、無理やりなようにも思える。無理やり思い出して苦しんでいる自分に出会う。「忘れてはいけない」と、自分に言い聞かせている。忘れていい出来事を、忘れてはいけないと自分に言い聞かせているのはなぜ?
そこには、自分にとって必要、大切なメッセージがあるのだろう。
今は、まだよくわからない。なにが必要で、何が大切なのか。

屈託なく、人を信じていられる私は今はここにはいない。
疑いが、自分を支配している。
受け止めてくれる人が、身近にたくさんいるのにそれ自体を受け止めるだけの器が私にはない。
それは、自分が自分を受け止められていないから。
大切にしてもらえるような人間ではないと感じるから。
裏切りを通して、私が経験したことから得た気持ち。絶望感。
こんな気持ちを、私の周りの誰にも味わってほしくないと思う。
だから、自分がその火付け役になってしまうことを一番恐れている。
大切な人を、傷つけてしまったら、私はもっともっと自分が嫌いになるだろう。
どうすれば、自分をこんな自分でもいいと思えるようになるのだろう。
見た目には、自信のある女に見えるかもしれない。でも、実際は誰よりも自信がない。
私の素敵なところを、もっと見ることができるようになりたい。

自分の今の状態を、正確に自分で感じられている。
どんなことが、自分を足踏みさせているのかもわかっている。
克服すべきは、私の中にある。

大好きな人に抱きしめられると、とても幸せな気持ちになる。
「アイシテイル」といってもらえる自分に、少しだけ自信を持てる。反面、不信感も抱きながら。
それでも、そんな気持ちに触れ合える交流を今の私は必要としている。
これだけは、私を解ってあげられられている、正直で、精一杯の気持ちかもしれない。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホステージ

2005年06月09日 | 今感じる気持ち
昨日、映画を見に行ってきた。
「ホステージ」という映画だった。
本当は、「フォーガットン」を見たかったのだが、レヴューがあまりにも悪かったので、見るのを辞めた。レディースデーで安いとはいえ、お金を払うのだから、見る映画は選びたい。

なんとなく、内容は知っているつもりでいた。
なのに、私の意表をつき、始まりからとても心が苦しい辛い展開になってしまった。
本当の最後まで、苦しい気持ちが消えなかった。最後は一応ハッピーエンドであったが、私の心はハッピーではない。
「ミスティックリバー」を見たときも、同じような気持ちになった。
時間が経って、なんとなく思うことは、無心のままで、映画をもう一度はじめから見たいなぁということだ。

コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アサーション的会話

2005年06月01日 | 今感じる気持ち
仕事での係わりで、意思の疎通ができていない人が居て、その人とのコミュニケーションをずっと避けていたけど、近頃回りの人たちも同じように不満を口にするようになって、私自身、動き出す時期がやっと見えた感じがして、新しいフェアが始まる前日の今日、話をする機会を持った。
話をする上で、同じ立場の人から助言や意見を貰って、色々な方向から話の内容をまとめて、整理した。私が一番言いたいこと、それは「不満」ではなく「お願い」だ。
そのお願いの一つが、最低限のコミュニケーションはメールではなく会話でとりたいということ。

嫌なやり取りはとかくメールで済ませてしまう時代になっている。
反論されることもなく、一方的に言いっぱなしですませられるからね。
それが、私的にやりきれない気持ちに繋がってしまう。
メールでいい内容のときも確かにある。でも、電話したときは、電話で対応してほしい。
実感しているが、実際のやり取りなしに流される情報は良い情報が少ない。
出来るだけ、直接の会話で物事を決めたり、相談したりしたいのだ。

アサーション的な会話で、まとめた内容を話した。
彼女は彼女で、腑に落ちない気持ちを抱えながらも、会社とお店に挟まれて頑張っているようだ。
会社は数字を確保しないといけない。だから、数字が取れるところに力を注ぐのも分かる。でも、会社の顔であるSHOP自体に価値がなくなれば、それ自体も揺らぐことになる。
従業員が商品の構成に不信感を持つような日常はおかしい。それこそ、消費者に不信感を与えるような商品作りのようなきがする。この点は、私が会社に対して感じている気持ちだ。
彼女も、黙って聞いてくれた。「決まったことはやってください」というスタンスは、今日は見られなかった。
心配していたようなぶつかり合いもなく、自然に話は進んで、私もやっと少しあったかくなった気がした。

この頃、色々とおせっかいを焼いてくれる大型店の店長から、今日もまた連絡があった。
彼は、彼女の代わりに自分が動くことで自分の意見を主張しているようだ。
それも、ありなやり方なのだなぁと思う。
面倒くさがりな私には向かない方法だなぁ。

とにかく、明日っから売りまくるぞ!








コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする