葛生のご自宅に着くと、喪服を着た大勢の人達がいた。
お花がたくさんたくさんあった。
お仕事で大活躍されていたのがよくわかる。所狭しと何段も何列も花があった。
「会社はもっともっと奥の方にもこの一体あるんだよ」と地元のA君が教えてくれた。
でもこの一体ってどんな一体なのよ。でか過ぎるよ。
仕事関係の方々も多く参列しているから、見分けるのが大変だ。
スキー部のOBはいるだろうか。
すると白髪が随分増えた懐かしい顔が目に入った。
最初はわからず通り過ぎるところで、
「あっっっっっっ!!!!!!!」
という声を発し、挨拶した。
こんなことで全員集合なんて皮肉過ぎる。
24-5年ぶりの再会。
だんだん昔のスキー部の人達が集まった。通夜に参加して帰った人達には会えなかったけれど、ほぼ全員駆けつけた。北海道、秋田、東京、アメリカ、中国と遠くから皆がかけつけた。
うえーん、S先輩が亡くなったのは悲しいけど、皆と会えたのも涙が出るくらい嬉しいよ
事実、亡くなった実感がない。
父の時もそうだったけど、これは悪い冗談で、式が終わってから、
「なーんちゃってな。お前らバカだな~。本気で信じてたの?」なんて起き上がりそうな気がする。
まだ受け入れるのに時間がかかる。
式が始まるとS先輩とは会えなくなるので、最初に私たちは焼香をあげさせてもらった。
大学2年のご長男が歯を食いしばって立って挨拶をしていた。
私はご長男の年だった頃のS先輩しか知らない。こんなとき、父親が亡くなるなんて。
一番下のお子さんはまだ小2。現実がわかっていないようだった。
飾られていた写真は、倒れる前日お茶の水にある大学ホールで開催された総会での写真だった。素敵な笑顔。元気にしていたSさん。
主将でもあったM先輩は今に至るまでみんなのまとめ役だ。
友人代表で弔辞も読んだ。
たまたま葬儀があったその日は、OBのゴルフコンペの日だった。アレンジは亡くなったS先輩が全部取り仕切り、近所のゴルフ場でプレーしているはずだった。今頃ゴルフ場で会うはずが、皮肉な事に彼の葬儀で全員集合となってしまった。
普段、冷静沈着で感情を表に出さないM先輩が泣きながら、何度も言葉に詰まりながら、弔辞を読んだ。
私たちも泣いた。
ご家族はもっともっともっと悲しいんだよね。
もう怒ったり、小言を言ったり、アドバイスをしてくれる父親がいない事に絶望感を感じている息子さんの言葉。
けなげに5代目として事業を継ぐ意志を示した息子さん。
きっとS先輩はあなたの今の姿を誇らしく思っていると思うよ。
M先輩が、
「この年で俺たちがこういう形で全員揃っちゃいけないんだよ。じじい、ばばあになってちょっとしか参列者がいないぐらい長生きする方が良い人生なんだよ。」
と、目をしょぼしょぼさせながら、若い死を痛むように言った。
M先輩はご遺族とお骨を拾うところまでちゃんと付き添うので、
「じゃ、俺行くから、またな。元気でな。」
「はい、Mさんこそぶっ倒れないで下さいね。」
と言って別れた。
遺体が車で運ばれる所まで全員で見送って、私たちもそろそろ出発することにした。
私たちも今度いつ会えるかわからない。それこそ誰かの葬式で再会なんてしゃれにならない。年から言うともう結婚式はないだろうし、葬式の方が徐々に増えてくるんだろうけど。
駐車場で、それぞれが車に乗り込み、私も東京方面に帰る人の車に同乗させていただくことになった。
すごく印象深かったのは、別の車で帰る後輩たち(といってももう40半ば過ぎのおっさんたち)がちゃんと先に帰る先輩をドアが閉まって動き始めて見えなくなるまで見送ったことだ。こういう感覚忘れてた。きちんと礼儀をわきまえている姿。アメリカにはないよな~・・・・・
印象深いっていうことは、自分もこういう感覚失っていたんだろうな。やばい、やばい。
4分の1世紀ぶりの再会でも、会ったら当時の上下関係が即刻復元され、いじられる人はいじられ、先輩は先輩のまま、後輩は永遠に後輩のまま。いくら会社で偉くなってても偉くなくても全く関係ない。懐かし過ぎる。この感覚。
東京方面組には2台に分かれて途中ラーメン屋さんで遅いランチを皆で取った。
ラーメン屋さんでも帰りの車中でも話したことだが、それぞれが会社で上の立場になり、自営業なら社長(当たり前か)、会社なら支店長レベルと責任のある地位に就いて来ている年代になったんだなあ。彼らの子供たちも高校大学に入り、それぞれが結構良い所に入っているのだ。
私利私欲のない学生時代の先輩後輩がこうやって活躍しているのは無条件に嬉しいし、24、5年前のことだけど、つらい現役時代を乗り越えて来た同志たちなので、心地いい関係っていうか、疑似家族のような、泣けてくる程懐かしい気持ちだった。どこの学校を出ていようが、どこの国の出身であろうが、海千山千がいる娑婆というか社会のことを考えると、この集団はちょっと甘えられて安心できる避難所と言えばいいのだろうか。一瞬の時間だけれど、夢のような時間だった。それが葬儀というのが皮肉ではあるが。
お花がたくさんたくさんあった。
お仕事で大活躍されていたのがよくわかる。所狭しと何段も何列も花があった。
「会社はもっともっと奥の方にもこの一体あるんだよ」と地元のA君が教えてくれた。
でもこの一体ってどんな一体なのよ。でか過ぎるよ。
仕事関係の方々も多く参列しているから、見分けるのが大変だ。
スキー部のOBはいるだろうか。
すると白髪が随分増えた懐かしい顔が目に入った。
最初はわからず通り過ぎるところで、
「あっっっっっっ!!!!!!!」
という声を発し、挨拶した。
こんなことで全員集合なんて皮肉過ぎる。
24-5年ぶりの再会。
だんだん昔のスキー部の人達が集まった。通夜に参加して帰った人達には会えなかったけれど、ほぼ全員駆けつけた。北海道、秋田、東京、アメリカ、中国と遠くから皆がかけつけた。
うえーん、S先輩が亡くなったのは悲しいけど、皆と会えたのも涙が出るくらい嬉しいよ
事実、亡くなった実感がない。
父の時もそうだったけど、これは悪い冗談で、式が終わってから、
「なーんちゃってな。お前らバカだな~。本気で信じてたの?」なんて起き上がりそうな気がする。
まだ受け入れるのに時間がかかる。
式が始まるとS先輩とは会えなくなるので、最初に私たちは焼香をあげさせてもらった。
大学2年のご長男が歯を食いしばって立って挨拶をしていた。
私はご長男の年だった頃のS先輩しか知らない。こんなとき、父親が亡くなるなんて。
一番下のお子さんはまだ小2。現実がわかっていないようだった。
飾られていた写真は、倒れる前日お茶の水にある大学ホールで開催された総会での写真だった。素敵な笑顔。元気にしていたSさん。
主将でもあったM先輩は今に至るまでみんなのまとめ役だ。
友人代表で弔辞も読んだ。
たまたま葬儀があったその日は、OBのゴルフコンペの日だった。アレンジは亡くなったS先輩が全部取り仕切り、近所のゴルフ場でプレーしているはずだった。今頃ゴルフ場で会うはずが、皮肉な事に彼の葬儀で全員集合となってしまった。
普段、冷静沈着で感情を表に出さないM先輩が泣きながら、何度も言葉に詰まりながら、弔辞を読んだ。
私たちも泣いた。
ご家族はもっともっともっと悲しいんだよね。
もう怒ったり、小言を言ったり、アドバイスをしてくれる父親がいない事に絶望感を感じている息子さんの言葉。
けなげに5代目として事業を継ぐ意志を示した息子さん。
きっとS先輩はあなたの今の姿を誇らしく思っていると思うよ。
M先輩が、
「この年で俺たちがこういう形で全員揃っちゃいけないんだよ。じじい、ばばあになってちょっとしか参列者がいないぐらい長生きする方が良い人生なんだよ。」
と、目をしょぼしょぼさせながら、若い死を痛むように言った。
M先輩はご遺族とお骨を拾うところまでちゃんと付き添うので、
「じゃ、俺行くから、またな。元気でな。」
「はい、Mさんこそぶっ倒れないで下さいね。」
と言って別れた。
遺体が車で運ばれる所まで全員で見送って、私たちもそろそろ出発することにした。
私たちも今度いつ会えるかわからない。それこそ誰かの葬式で再会なんてしゃれにならない。年から言うともう結婚式はないだろうし、葬式の方が徐々に増えてくるんだろうけど。
駐車場で、それぞれが車に乗り込み、私も東京方面に帰る人の車に同乗させていただくことになった。
すごく印象深かったのは、別の車で帰る後輩たち(といってももう40半ば過ぎのおっさんたち)がちゃんと先に帰る先輩をドアが閉まって動き始めて見えなくなるまで見送ったことだ。こういう感覚忘れてた。きちんと礼儀をわきまえている姿。アメリカにはないよな~・・・・・
印象深いっていうことは、自分もこういう感覚失っていたんだろうな。やばい、やばい。
4分の1世紀ぶりの再会でも、会ったら当時の上下関係が即刻復元され、いじられる人はいじられ、先輩は先輩のまま、後輩は永遠に後輩のまま。いくら会社で偉くなってても偉くなくても全く関係ない。懐かし過ぎる。この感覚。
東京方面組には2台に分かれて途中ラーメン屋さんで遅いランチを皆で取った。
ラーメン屋さんでも帰りの車中でも話したことだが、それぞれが会社で上の立場になり、自営業なら社長(当たり前か)、会社なら支店長レベルと責任のある地位に就いて来ている年代になったんだなあ。彼らの子供たちも高校大学に入り、それぞれが結構良い所に入っているのだ。
私利私欲のない学生時代の先輩後輩がこうやって活躍しているのは無条件に嬉しいし、24、5年前のことだけど、つらい現役時代を乗り越えて来た同志たちなので、心地いい関係っていうか、疑似家族のような、泣けてくる程懐かしい気持ちだった。どこの学校を出ていようが、どこの国の出身であろうが、海千山千がいる娑婆というか社会のことを考えると、この集団はちょっと甘えられて安心できる避難所と言えばいいのだろうか。一瞬の時間だけれど、夢のような時間だった。それが葬儀というのが皮肉ではあるが。