ぞな通信

四国・松山生まれ、在米25年、Zonaの日常生活。

先輩の死(1)

2010-11-14 10:31:49 | Weblog
先週月曜日実家の母からメールが来て、

「大学スキー部のSさんが急逝されたからすぐPに連絡を入れて下さい」

というメッセージが入った。

え?!?!?!?!?!??!?

Sさんは私より2つ上の48歳。1年の時の3年。
急逝したってどういうこと?!

事情が全くわからないので大学時代からの親友Pに連絡をとった。しかし、メールも電話も通じない。うちの電話がうんともすんとも言わず何故か使えない。こんなときになんで?!
どうもPも私に連絡を直接取ったが、通じなくて実家に連絡したそうだ。
時差と仕事、サーバーの問題などがあって、直接メールが届いたのが翌日の火曜日だった。

先週土曜日、大学スキー部50年総会というのがお茶の水にある大学ホールであったそうだ。そんなイベントがあったことすら私は知らなかったのだが、来れる人が参加し、Sさんもその一人だった。懐かしい面々と土曜の夜飲み、3人が同じホテルに泊まっていた。
翌日ランチを一緒に食べて別れる予定だった。
当日朝、Sさんは「貧血気味だからホテルでもうちょっと休んで帰ります。」
と、言い、他二人はランチを済ませてそれぞれの帰路に着いた。一人は北海道へ、一人は群馬へ。
群馬に帰るM先輩が心配して、改札口からどうしてるか様子を聞くためSさんの携帯に連絡したら、なぜか警察の方が出た。

「今すぐ病院に来る事はできますか?」

M先輩は、(何だかわからないけれど、何かよくないことが起こった)と、不安を募らせながらすぐ駅からタクシーをぶっ飛ばして病院へ向かった。
そしてSさんが亡くなっていることを最初に知ったのだ。
すぐSさんの実家がある栃木に連絡を入れ、家族が病院に到着する間、M先輩は不安で不安でしょうがなく、東京に住むスキー部の連中に電話をかけまくった。来れる人が病院にかけつけた。
ご家族が到着するまでの5-6時間、彼らは病院で待ち続けた。

ご家族が対面する場面を目の当たりにしただろう。どんな気持ちで過ごしたのか胸が痛む。
Sさんにはお子さんが4人いて、一番上が大学2年。一番下は小学2年生・・・

Pから連絡をもらって、帰国しようかしまいかちょっと考えた・・・・・・

帰ろう。

即決した。

チケットが取れるかどうか保証はないけれど、取れたら帰ろう。
お別れの挨拶をちゃんとしておきたいし、OBの面々に会えるのもこんな時でないと一生会えないかもしれない。帰ろう。

翌日水曜日にチケットを手配しまくった。お通夜にはもう既に間に合わない。木曜日にLAを出なければ、土曜日の葬儀には間に合わない。
羽田行きはもうない。
最短で木曜出発、日曜戻り。
でも日曜日のフライトが取れない。
月曜なら取れそうだ。
木曜出発、月曜LA戻りで決定。
月曜戻りなら、実家にも立ち寄れる。

即決して購入した。
ずっと患者さんを通して、3日あれば日本に行って帰れる。1週間もあれば余裕。なんて話を耳にたこができるほど聞いていたので、もう行くしかない。
仕事のアレンジを猛スピードでこなしたが、後は任せるしかない。出来る事だけはやっておいた。スタッフや患者さんにはご迷惑をおかけするが、あとで追いつくしかない。

ただ栃木なんて行った事がない。偶然スキー部の同級生Aが宇都宮に住み、彼に全部内容を話したら、ホテルや交通手段を的確に指示してくれた。
喪服を実家に取りに行く時間もないので、一式、宅急便でA君のところへ送ってもらうことにした。

家族にも話して快諾してくれたのも助かった。木曜日はベテランズデーで学校も休み。予算削減で木曜日から日曜日がお休みなのも助かった。お友達の家にお泊まりプランをいれて忙しくさせておけば、気がまぎれるかもしれない。

そして木曜日に成田行きの飛行機に乗り込んだのであった。





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