Rの気まぐれnote

カメラ散歩と気ままなつぶやき日記

「道」としての柔道

2021-07-31 21:55:00 | 日記
リオオリンピックの時は仕事による制約や時差によりライブで観戦できなかったけれど、今回は自国開催だとテレビを挟んでも臨場感たっぷりですね。
陸上予選のチケットが当たっていたので、少し残念ですが。

ところで、今回多くの金メダル獲得のうち半分が柔道。
日本発の伝統競技がこんなにも各国で盛んなのは嬉しい事ですね.

柔道は技術のみならず、精神の鍛錬も含まれる、日本独自の考え方の「道」の一つです。このコンセプトが早くからヨーロッパで認められたのは凄いです。

今回試合に勝利しても取り乱したりせず、冷静に対応し試合場に敬意を表していた日本人メダリストが印象的でした。

この精神を鍛えるという発想は仏教の禅から来ているのでしょうか。

柔道の他、武道、華道、茶道も外国人に人気のようです。
母の一周忌の時曹洞宗(禅宗)のお坊さんが、「座禅は外国人にとても人気です」と仰っていました。
キリスト教などは「主」に身を委ねて救いを求めるが、仏教は精神鍛錬してグレードアップさせるという発想が新鮮なのでしょう。

オリンピックでは剣道武道ではなく、欧州由来のフェンシングで金を取った事も素晴らしいですが、こうした日本独自の競技を広め、守ってくれている選手がいる事も誇りに思いました。

オリンピック観戦で思う事

2021-07-30 18:07:00 | 日記


連日日本人選手達の熱い奮闘に、血圧が上がりっぱなしです。

ところで選手たちはオリンピックという最高の試合の場なのに「楽しんでいます」という言葉を良く聞きます。
緊張感だけでなくそうした心のゆとりを持てるのは流石です。
監督と選手の関係性も変化してきたのでしょうか?

1964年のオリンピックでは東洋の魔女と言われたバレー女子の監督のスパルタの指導法が話題になったような。
(先日も当時の練習風景が放映されていた)
そしてこの頃から「スポ根」という言葉が流行ったような。

アニメの「アタックNo.1」や「巨人の星」は正にそれでした。

私は中学に入ってクラブ活動を選択する時、優勝カップの多かったとある運動部にしたのですが、入ってビックリ。
普段から上下関係の挨拶は厳しいし、合宿は学校の教室に寝泊まり、びっちり技術、生活面での指導を受けました。

また試合の団体戦で連覇出来なかったら代表でない人も(私も)連帯責任で炎天下、校庭に正座させられ、1人1人反省の言葉を言わされました。
まあ、今となってはいい思い出ですが💦

今だったらパワハラとか言われそうですね。

それからジェンダーレスになってる。

アタックNo.1と巨人の星の歌詞を思い出してみると、現代との変遷を感じます。

「アタックNo.1」
苦しくったって〜 (最初から?)
悲しくったって〜.  (何があった?)
コートの中では、平気なの。

ボールが〜、唸ると〜
胸が弾むわ〜  (好きでないと続きませんよね)
レシーブ、トス、スパイク
ワンツー、ワンツー、アタック〜

でも涙が出ちゃう、女の子だもん (今は男の子もオイオイ泣きます)
                   、、、、。

「巨人の星」
思い込んだら〜
試練の道を〜
行くが〜 男の〜 (今は女子の野球もあります)
ど根性〜 (出ました!)

真っ赤に燃える
王者の印
巨人の星を掴むまで

血を汗流せ  (今まで”血の汗”怖っ!と思っていましたが、それでも怖い)
涙を拭くな (泣くなという事?)
行け行け飛雄馬
どんと行け〜

現代はエンジェルスの大谷投手はサラッと、二刀流をやっているように見えますが💦

とにかく本人がどれだけそのスポーツを好きか楽しめるかによるのでしょうか。
まあ、後は本人の才能ですね😅

まだまだこれからオリンピックを盛り上げてくれる選手達を応援したいです。


生き物との生活 No.4 (長文)

2021-07-24 20:49:00 | 日記
波瀾万丈の中オリンピックがスタートしました。
1964年の東京オリンピックの時は日本は高度経済成長の時期で、この頃安全性で世界に誇れる新幹線や高速道路が完成したのですよね。

ところで、1984年-1992年頃はバブルのせいか、横浜にいた頃、マンションの下には沢山の熱帯魚を売っているおじさんがいました。
当時仕事に疲れた癒しにと、購入始めた主人はすっかり虜に。
その頃は熱帯魚専門店があちこちにありました。
そして気づくと、


エンゼルフィッシュ、グッピー、ネオンテトラ、などのカラフルな魚が我が家の水槽に。
また大きなディスカスもディスカス専門店で購入しました。
戦闘的なベタは1匹ずつ小さな入れ物で飼えるので文具店などでも売っていました。

次第に欲求は海水魚へと。
(主人が勝手に水槽を設え、世話や手入れをしていたので、私は見てるだけ〜)


海水魚は本当に綺麗でした。
ただやはり流石にエアレーションなど環境を整えるのは難しく、購入してはお亡くなりにを繰り返し、気づけば結構な散財に💦
当時は販売目的で乱獲していたのでしょうね💦
(あ、最近渋谷のドンキの入り口に大きな海水魚の水槽をみつけましたが、魚の大きさも半端なかったので、びっくりでした)

その後今の居住地に移動してからは、小学生、幼稚園だった子供の為に、生き物を飼い始めました。

まずは海で捕獲してきたヤドカリやカニ。(これは私の趣味)



私が幼少時、ヤドカリが自宅で海から拾った貝にお引越しをしたのを目撃したのですが、今回は失敗。
ただ、海水魚の素で作ったお水に入れたカニは、脱皮して1年程生存しました。

それから自然好きな娘の為に茨城の川に訪問した時、知人が摂ってくれた生き物たち。



水カマキリは一度だけ魚を捕まえました。
ゲンゴロウはいつの間にか飛んでいなくなりました。
ヨシノボリとメダカ。
娘の部屋に水槽を置いても世話するのは親ですね💦

次は当時はミニペットブームで、園芸店でもペットコーナーがあり、人気のハムスター。


可愛いジャンガリアンハムスターは時々ハムスターボールに入れ、転がしていました。


とても可愛いかったです。
でも息子は当時大の苦手で、近寄りもせず、2年後(寿命)亡くなって初めて手の上に乗せていたという💦

そしてまたまた主人が勝手に購入してきたボタンインコ。


(以上写真はネットより)
オスメスでしたが既に大きく、つがいにもならず、人間にも慣れませんでした。
この時は娘が、「ポッキー」と「クッキー」と名付けていましたが。
(掃除は専ら親の仕事💦)

そして次はやはり主人の願望でワンコを飼い始めました。
私は少し苦手でしたが、
「犬なんて寝ているだけだよ」
という言葉に騙され小型犬も却下され、大型犬(って狭い家には可哀想なのに)が好きな主人の妥協点でアメリカンコッカー を飼い始めました。
この子がまたチョロチョロ落ち着かない💦
後で知りましたが、この犬種は全般的にそうみたいで。
おまけに主人は犬のしつけというものを知らない?
ハウスとケージに入れようとしたら、「可哀想だよ」
後に義姉に主人はワンコに「噛まれてもありがとう という感じね💦」と躾のできなさを非難されていましたが。
私にとってみたら、話が違うじゃん!

結局ストレスフリーのワンコに振り回されながら、私が世話する事になりましたが、次第に家族の一員となり、

老犬の頃。
17歳まで過ごしました。

こうしてみると実に様々な生き物と暮らしたけど、今はペットとして定着しているワンコ、猫以外は自然の中で過ごさせて、人間が時折訪れる事が1番ですよね。
また現代はそうした自然との共生が叫ばれていますね。

長々とお付き合い下さりありがとうございました。

余談
Googleで「犬」と検索すると動く3D映像が出てきますね。他10種類ほどの生き物が鳴き声と共に楽しめます。









生き物との生活 No.3

2021-07-20 15:25:00 | 日記
中高になってからは部活が毎日あり、家との往復で精一杯で、生き物の世話の余裕はありませんでした。

家には祖母(母の母)も一緒に暮らしていました。若い頃は教師を、その後工場の経営をやっていたらしく引退後に一緒に暮らす事になったようです。
増築した部屋で、毎日編み物をしていました。ガウンを100枚編んだら老人ホームに寄付すると張り切っていました。

私が大学生のある日、母が「おばあちゃまが、『毎日幸せなのだけれど、ここに猫がいたら最高なんですけどね』と言うから猫を飼おう」
と言いました。
え?!あんなに生き物が苦手(母は)なのに?
祖母とは時々激しい口喧嘩していたのに?

母は祖母に敬意をもっていたのかなあ。
と今更に思います。

そして程なく、
「近所の八百屋に素敵な洋猫の子猫がいるのよ。それなら飼ってもいいわ」

と家にやって来たのが、
ネットより
ヒマラヤン種 シャムの色合いとペルシャの毛並みをもっています。
目はブルーで、本当に夢のような猫でした。
でも名前は顔が栗みたいなので、「クリ」と名づけました。

性格も運動量も大人しめなのですが、毛繕いで長毛を飲み込んでしまい、たまに庭の葉っぱを食べて、一緒に吐き出していました。
はい、クリちゃんも外中出入り自由。
時々お隣さんから、「クリちゃんが来てたわよ」
しかし運動より餌の方が多かったのか、ぶくぶく太り、たまに道に出てたクリちゃんを見た通行人が、
「わあ!これは何という”動物”ですかぁ?」
毛の多いたぬきに見えたかな?

しかし、しばらくして内臓を壊し、母の友人の知人の獣医さんに見てもらい、餌はそこから支給される特別な缶詰だけになりました。

父は高校の時他界していましたが、皆の癒しのペットとなりました。

猫ちゃんって本当にトイレは決まったところでしかしないのですよね。
当時はペット用トイレなんかないから、新聞紙を引き裂いて敷いていました。

マイペースと言われるだけあり、こちらが新聞を広げて読んでるとその上にどかーんと横たわって邪魔をするのに、抱っこをしてもすぐ、するっと逃げてしまう。

家は色んな人の出入りが多かったのですが、それなりにお相手をしてくれました。

私の下の子が生まれると入れ違い位に亡くなったので(私の妊娠後半くらいから、祖母もその数年前には亡くなっていたので、母は動物病院に預けっ放しでしたが💦)15年位我が家の自由猫として君臨していました。

ヒマラヤンは毛が多すぎて手入れや掃除が大変になるせいか、今は短毛の猫ちゃんが人気ですね。


生き物との生活 No.2

2021-07-19 15:44:00 | 日記
小学校の頃は周りはまだ野っ原が多くそこに分け入っては草の実を体中につけていました。
庭先には弟がいつの間にかビンを並べ、覗くとトカゲやらの爬虫類が。。💦😱

深みのある陶器のかめにはカメ(ダジャレじゃない😅)がいて、土の中で冬眠してたなあ?
うさぎやミドリガメを飼ってみたりしたけど、天国行ったり脱走したり。

ところが何故か小学校向かいの文房具店先で、ヒヨコが売られていた。
オスは10円、メスが100円。
はっきり覚えているのは欲しくて、自分でお金貰って購入したんだろうな。

やはり生き物好きの弟と大事に育てたら、何と立派な大人に成長しました。

オスは2羽。その頃(小学校高学年),何故か英語の単語(←会話じゃない)に興味を持っていた私は、それぞれのニワトリさんの特徴を見て、元気一杯な子を、当時気に入っていた本「アライグマのラスカル(スターリング ノース作らしい)」からラスカルと、抱っこすると(当時ニワトリを抱くという奇妙なことができた) 寝てしまうので、父に「昼寝は英語で何と言うの?」と聞くと「napだよ」と教えてくれたので、ナップにしました。

一羽のメスは、当日流行っていた歌から、
「ケメコ」(ここで何で?)

立派に育ったニワトリさん達の為に父がニワトリ小屋を作ってくれました。

しかし、更に逞しくせにゃあかん!
(と思ったのは弟)
2階の窓から屋根に渡れたので、ニワトリを抱え、「飛べるようになれー!」
と2人で庭に向かって放り投げました。
当のニワトリさん達はあわてて必死で羽ばたいていました。
(何故かその必死さが脳裏に焼き付いてる💦)

絶え間ない訓練のせいか、いつの間にかラスカルはハナミズキ?の枝に止まって「コケコッコー!」

もう一つ、家の向かいはある業者の施設で、街頭がいくつも煌々と照らされておりました。
ので、いつも朝だと勘違いしたオス2羽は交代で、1日「コケコッコー!」

いやあ、今思うと相当な近所迷惑ですよね。
でも当時は向こう三件両隣はみな人の良い方々だったので、クレーム一つもありませんでした💦😅

ケメコはたまに茶色い卵を産み、その後飼いきれないと、二羽のオスのニワトリをどこからか引き取り、計5羽のニワトリを放し飼いにしていました。

ので鳥嫌いの従姉妹が来た時は、大騒ぎでした。

その後父の健康状態が思わしくなく、縁起を担いだ母がいつの間にか、ニワトリさん達をどこかにやってしまいました。