波瀾万丈の中オリンピックがスタートしました。1964年の東京オリンピックの時は日本は高度経済成長の時期で、この頃安全性で世界に誇れる新幹線や高速道路が完成したのですよね。
ところで、1984年-1992年頃はバブルのせいか、横浜にいた頃、マンションの下には沢山の熱帯魚を売っているおじさんがいました。
当時仕事に疲れた癒しにと、購入始めた主人はすっかり虜に。
その頃は熱帯魚専門店があちこちにありました。
そして気づくと、
エンゼルフィッシュ、グッピー、ネオンテトラ、などのカラフルな魚が我が家の水槽に。 また大きなディスカスもディスカス専門店で購入しました。
戦闘的なベタは1匹ずつ小さな入れ物で飼えるので文具店などでも売っていました。
次第に欲求は海水魚へと。
(主人が勝手に水槽を設え、世話や手入れをしていたので、私は見てるだけ〜)
海水魚は本当に綺麗でした。
ただやはり流石にエアレーションなど環境を整えるのは難しく、購入してはお亡くなりにを繰り返し、気づけば結構な散財に💦
当時は販売目的で乱獲していたのでしょうね💦
(あ、最近渋谷のドンキの入り口に大きな海水魚の水槽をみつけましたが、魚の大きさも半端なかったので、びっくりでした)
その後今の居住地に移動してからは、小学生、幼稚園だった子供の為に、生き物を飼い始めました。
まずは海で捕獲してきたヤドカリやカニ。(これは私の趣味)
私が幼少時、ヤドカリが自宅で海から拾った貝にお引越しをしたのを目撃したのですが、今回は失敗。
ただ、海水魚の素で作ったお水に入れたカニは、脱皮して1年程生存しました。
それから自然好きな娘の為に茨城の川に訪問した時、知人が摂ってくれた生き物たち。
水カマキリは一度だけ魚を捕まえました。
ゲンゴロウはいつの間にか飛んでいなくなりました。
ヨシノボリとメダカ。
娘の部屋に水槽を置いても世話するのは親ですね💦
次は当時はミニペットブームで、園芸店でもペットコーナーがあり、人気のハムスター。
可愛いジャンガリアンハムスターは時々ハムスターボールに入れ、転がしていました。
とても可愛いかったです。 でも息子は当時大の苦手で、近寄りもせず、2年後(寿命)亡くなって初めて手の上に乗せていたという💦
そしてまたまた主人が勝手に購入してきたボタンインコ。
(以上写真はネットより) オスメスでしたが既に大きく、つがいにもならず、人間にも慣れませんでした。
この時は娘が、「ポッキー」と「クッキー」と名付けていましたが。
(掃除は専ら親の仕事💦)
そして次はやはり主人の願望でワンコを飼い始めました。
私は少し苦手でしたが、
「犬なんて寝ているだけだよ」
という言葉に騙され小型犬も却下され、大型犬(って狭い家には可哀想なのに)が好きな主人の妥協点でアメリカンコッカー を飼い始めました。
この子がまたチョロチョロ落ち着かない💦
後で知りましたが、この犬種は全般的にそうみたいで。
おまけに主人は犬のしつけというものを知らない?
ハウスとケージに入れようとしたら、「可哀想だよ」
後に義姉に主人はワンコに「噛まれてもありがとう という感じね💦」と躾のできなさを非難されていましたが。
私にとってみたら、話が違うじゃん!
結局ストレスフリーのワンコに振り回されながら、私が世話する事になりましたが、次第に家族の一員となり、
老犬の頃。
17歳まで過ごしました。
こうしてみると実に様々な生き物と暮らしたけど、今はペットとして定着しているワンコ、猫以外は自然の中で過ごさせて、人間が時折訪れる事が1番ですよね。
また現代はそうした自然との共生が叫ばれていますね。
長々とお付き合い下さりありがとうございました。
余談
Googleで「犬」と検索すると動く3D映像が出てきますね。他10種類ほどの生き物が鳴き声と共に楽しめます。