Rの気まぐれnote

カメラ散歩と気ままなつぶやき日記

モネそれからの100年

2018-09-09 18:08:26 | 日記

先週の後半からなんか胃が痛いのは、ここの所仕事の詰まったスケジュールで戸外に出かけてないせいかもと、オフの平日みなとみらいの横浜美術館へ。




みなとみらい線は駅も周辺も広々して気持ち良いですね。


館内も開放感。設計は丹下健三設計事務所のようです。
なんかオブジェがスタイリッシュで格好いい!
丁度USオープン初優勝した大坂なおみを引き延ばした感じ?


展示は「モネそれからの100年」
"Mone's Legacy" レガシーとは…あ、「遺産」ですねf^_^;

国内からモネのオマージュの作品も並びます。でもそれらはかなりな抽象画なので難解なものも多く、「モネの作品を観るとホットするわ」という声もチラホラ。
特に日本人の色合いは着物から来てるのかなと感じられるものが多いような。

やはりモネの作品を主体にじっくり見ていきたいです。

後半は「睡蓮」に趣を置いていたけれど、なんで「睡蓮」なんだろうとモネの半生を調べるうち、印象に残った絵画(カードを購入)の年代を照らし合わせると(→wikiですみません)、バックグラウンドがわかって更に興味がわきました。


今までのモネのイメージと違う作品も多い。
(これは、「あーこういう所行きた〜い」という私の願望です。)
モネ27歳時の作品。まだ有名になる前。モネは17歳の時母親を亡くしてからは叔母の世話になっていたようで、これはサン タドレスの叔母の家に滞在していた時の作品のよう。


「わらぶき屋根の家」(1879年)
1874年には「第1回印象派展」が開催され、印象派という不動の立場をものにしつつあった頃、脂の乗り始めた頃。
妻カミーユとの間に子供も生まれ、セーヌ川辺りの村に移り住んだ頃でしょうか。
でもこの年 そのカミーユが亡くなっています。
また絵が明るいのでその前でしょうか。
この絵葉書は人気でした。


41歳の時の「海辺の船」ってどこの海だろう。
こんな力強いモネの絵。
2年前に妻を亡くしているのに、なんと寂しさからか?その後パトロンの妻と仲良くなって、画商のデュラン リュシェルのサポートもあり、絵画も売れるようになった頃。


モネが睡蓮の連作に力を入れ始めたのは、モネ50歳の時、ジヴェルニーに庭を作ってからですが、少しずつ健康に不安を感じ始めたからでしょうか。
特にこの絵は74-77歳の時。
水草が襲ってくるような恐怖感さえ覚えます。


モネは幼少時はセーヌ川沿に暮らしていたせいか、余生では対象物の睡蓮と池の水と、水に移ったもう一つの世界を表現する事に没頭していたように思います。

私も幼少時は野原を駆け回って草の実を身体中ににつけていたので、その郷愁があるなぁ。でも表現できないし(^^;)



これはロイ リキテンスタイン (1992)
「日本の橋のある睡蓮」
完全オマージュですね。
でも実物はグレーの部分が鏡になってもっと奥行き感があるので、絵はがきだと残念です。

今回はモネらしい(有名な)作品は少なかったけれど、家に帰ってから半生を調べて 絵画の変化が何となくわかって面白かったです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿