忍び 戦の”闇”の立役者🌙

2022-07-09 18:48:52 | 紹介
忍者、忍びと聞いて、どんなキャラクターを連想しますか。
「忍者ハットリくん」?「忍たま乱太郎」?
「猿飛佐助」は架空の人物ですが、
言わずと知れた真田信繁(幸村)の親衛隊「真田十勇士」のひとり。
アニメやゲームに登場する「風魔(ふうま)一党」?

でも、この「風魔一党」の場合、完全に創作された忍びではなく、
北条氏から扶持を得ていたという「風魔一党」の頭目は、
北条氏関連の文書に出てくる「風間(かざま)出羽守」や、
江戸時代の軍記物「関八州古戦録」に登場する「風間孫右衛門」がモデルと推測されて。
また、「北条五代記」にも、「風魔」なる人物が一党を率いたと記され、
それによれば、頭目は非常な大男で異形の人だったとか。

その姿は・・・
身の丈7尺2寸(約218cm)、
筋骨荒々しくむらこぶあり、
眼口ひろく逆け黒ひげ、
牙四つ外に現れ、
頭は福禄寿に似て鼻高し

まるで、平安時代末期に成立した「今昔物語集」の中のくだり
「百鬼夜行」の鬼のような、妖怪のような。

ともあれ、この「風魔一党」は山賊、海賊、強盗、そして窃盗の4つに編成され、
その内の「窃盗」が「忍び」として夜討ちの先陣をつとめたと言います。

誇張が多いとされる仮名草子・軍記物「北条五代記」ですが、
天正7年(1579)、勝頼公率いる武田軍と北条軍が、
黄瀬川(現在の静岡県沼津市と三島市)を挟んで睨み合った時の、
風魔一党による暗躍も伝えています。

・・・風魔一党は、四手に分かれ、雨が降ろうとも降らずとも、
風が吹こうとも吹かずとも、夜になれば、黄瀬川の大河を渡り、
勝頼公の陣に忍び入り、夜打ちを仕掛けた。
馬に藁人形を乗せて、陣営に乗り込ませたり、
人を生け捕り、馬を放ち、乱捕りし、火をかけたかと思えば、
味方を装い紛れて、鬨の声を上げたとか。
混乱のただ中で、こちらでは主従で斬り合い、あちらでは子が親の首を捕るなど・・・
そして、夜が明ければその惨劇に、生きる気力も失って・・・
「皆で腹を切ろう」と、その時に、どうせ死ぬなら風魔と刺し違え、
亡き主、亡き父の弔いをしようという者あり。
そこで、武田の兵、10名が、風魔一党に紛れ込んだ・・・
けれども、「立ちすぐり・居すぐり」※という一党独自の合図で正体発覚。
全員斬り殺されたという・・・。

※「立ちすぐり・居すぐり」は、潜入した敵を見分けるための、風魔一党独自の合図。
皆が一斉に松明を灯し、さっと立ち上がり、さっと座る。
すぐさま同じ動作を繰り返せない者は、敵と見做され命を奪われたという。

風魔一党の暗躍がどこまで本当かはわかりません。
けれども、忍びが広めた夜襲の偽情報や噂によって、
陣営は警備強化と安堵を繰り返し、ついにはすっかり疲弊してしまう・・・
ということは、どうやら本当にあったよう。

戦国大名たちも、こうした忍びの撹乱作戦を、かなり警戒していたようで、
実際、勝頼公も、陣中の火事や夜襲があっても、これはこちらを混乱させるためであるため、
各自、持ち場を決して離れず、そこだけ死守すること。
その上で、旗本からの支持を待つよう命じた、と言われています。

忍びには、夜討ちの他にも様々任務が課せられていて、
忍びは、どれだけいても足りない(!)というくらい、
その任務はどれも特殊で危険がいっぱい。
そんなシゴトを担っていた「忍び」とは、どんな人たちだったのか!?

少々長くなりましたので、忍びの姿は次回にさせていただきます。
ぜひお付き合いください🙇
コメント
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