軍師・山本菅助! 「武田二十四将 ドラフト会議」の途中経過(その3)

2021-08-20 09:44:57 | 紹介
当館、常設展示室企画「武田二十四将 ドラフト会議」
「前線部隊」のトップを走る山本菅助!

前回の総選挙でも、総合第2位という素晴らしい結果を残しています。
その勝因には、おそらく菅助の長年培ってきた知名度があって、
高い知名度を維持できたのは、「甲陽軍鑑」の描く菅助が、
作家のインスピレーションを大いに刺激する御仁だったから!?

どんな方だったかといえば、、

「武田二十四将図」個人蔵(一部)

異形の人であり、
長きにわたる下積みの末、お館さまの下で花開くも、
最期は激戦に身を投じ、討ち死にという、
もっともっとお館さまと高みを目指したかったに違いない、志半ばの死。

そんな「甲陽軍鑑」の菅助はさらに進化し、
「武田信玄の軍師」として、大衆文学の中で羽ばたいていきます。

でも、「甲陽軍鑑」では、菅助を「軍師」と表現していないんです。
軍師というよりも、優れた足軽大将であると同時に、城の設計に通じ、
戦陣において吉凶も占う「軍配者」として描かれています。
それがどうして、「軍師」と呼ばれるようになったのでしょうか。

戦国という、いわゆる内乱時代が終わり、平和な世の中が訪れたとき、
徳川幕府の下では、さまざまな軍学が盛んに研究されます。
そういう流れの中で、菅助も伝説的な武将として甲州流軍学の祖と認められ、
戦国大名のブレーン、策士として活躍した(!)と考えられるようになります。
その役職名として、江戸時代に後付けされたのが「軍師」。
こうして生まれた、菅助や黒田官兵衛などの「軍師」たちは、
名参謀として軍記物といった文学作品に登場し、人気を博していきます。

似たネーミングで、ちょっと???となってしまいそうですが・・・
「甲陽軍鑑」によれば、菅助は「軍師」ならぬ、「軍配者」。
「軍配」は団扇の形で、邪気を払い、霊威を呼び寄せる力があると考えられたもの。
「軍配者」は、天文を読み、出陣や築城開始など大切な日どりや方角の吉凶を占ったり、
さらには軍陣の配置も行いました。
こうした兵法は、天地、陰陽など自然の摂理は神仏がつかさどるという考えを前提に、
その法則を体得した者こそがつかめる必勝法、軍配術で、まさに秘伝とされました。
甲州流の場合、軍配術の奥義と伝承されたのは「大星伝」という、
太陽(大星)と星の運行から勝機をつかむという兵法で、
菅助は、そんな、いにしえの秘伝を復興したと言いますが・・・。

・・・
「甲陽軍鑑」によれば、
菅助の軍略が家中で認められるきっかけとなったのが、1550年の砥石城攻防戦。
現在の長野県上田市の砥石城を攻めた武田勢は大苦戦の末、
駆け付けた村上義清の攻撃に総崩れとなり、全軍崩壊の危機に。
その時、菅助はお館さまに、ある策を提案、自ら50騎を率いて、縦横無尽に反撃します。
その陽動作戦の陰で、武田勢は何とか帰還・・・。
世に言う武田の「砥石崩れ」です。
「甲陽軍鑑」の言葉を借りれば、「摩利支天」のごとく戦った菅助は、
この功が認められ、知行800貫の足軽大将に✨

「摩利支天」とは陽炎を神格化した仏教の守護神。
護身や蓄財の神として中世以降、日本でも広く信仰されますが、
武将たちもまた、兜に摩利支天像を込めたり、旗印に摩利支天をかかげ、
その加護を願ったようです。
菅助も信仰していたといわれ、村上勢の激しい追撃を戦略的に陽動する姿は、
陽炎の摩利支天が菅助に降りてきた(!)かのように、
必死に退く武田勢の目に映ったのかもしれません・・・。

軍配者としてのミステリアスな面に、ちょっと神がかったエピソードも、
菅助を唯一無二のキャラクターに押し上げたに違いなく。
単なるブレーンじゃない、武田信玄の軍師・山本菅助が誕生します・・・!


どこかの山から種が飛んできて・・
旧堀田古城園の庭の奥で、ひっそりと咲きました。
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甲府市藤村(ふじむら)記念館【臨時休館延長】のお知らせ

2021-08-19 10:13:55 | イベント
新型コロナウイルス感染症の影響を考慮して、
臨時休館を延長します。

再開予定:9月14日(火曜日)

★日本遺産「星降る中部高地の縄文世界」 
 三十三番土偶札所巡りは休止します。

★公益財団法人日本城郭協会が主催する
 続日本100名城(要害山城)のスタンプは休止しますが、
 藤村記念館の正面玄関向かって右側にある
 黒色のポストの中にスタンプを押した紙を
 入れてありますのでお取りください。

くわしくは、こちら

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信玄ミュージアム 臨時休館延長のお知らせ

2021-08-18 19:25:34 | イベント
信玄ミュージアムは、新型コロナウイルス感染拡大と、山梨県から発せられた
臨時特別協力要請を受け、現在、臨時休館になっています。

臨時休館の際は、急な決定で皆様にご迷惑とご不便をおかけして、
大変申し訳ありませんでしたが、
当初の休館期間は、8月8日から22日までの2週間を予定していました。

しかしながら、全国的な感染拡大とともに、低空飛行を続けてきた山梨県の感染率が急上昇し、
8月17日付けで、まん延防止等重点措置の実施対象区域に指定され、
甲府市も含まれることになりました。
そのため、8月22日までの予定を延長し、引き続き、臨時休館とさせていただきます。
予定期間:8月8日(日)から9月12日(日)まで

度重なる休館で、夏季企画や特別展などを楽しみにされていた方には、大変申し訳ございません。
心よりお詫び申し上げますとともに、再開につきましては、目途が立ちましたら
当ブログならびに、甲府市HP施設情報にてお知らせいたします。

8月11日から配布を予定していた限定御城印などは、周知期間を設けて
改めて実施いたします。再開前後のブログや施設情報をご確認ください。

なお、当館敷地内、桔梗屋「蕎麦・カフェ 由布姫」、および「土産処 桔梗信玄」は、
当面の間、時短営業を継続いたします。(営業時間は10時~15時)
ただし、感染状況などを考慮し、さらなる時短営業、または臨時休業する可能性もございます。
こちらの情報につきましても、対応が決まり次第お知らせいたします。


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山本菅助が人気キャラクターになれたのは・・・「武田二十四将 ドラフト会議」の途中経過(その2)

2021-08-18 15:02:24 | 紹介
山本菅助の人気の源泉を探っています😉 

選挙で選んでもらうためには、先ずは自分を認知してもらわなければどうにもなりません。
その点でも、他の家臣と比べて山本菅助の知名度は高く、とっても有利。
知名度を不動のものにしたのは、小説に映画やドラマなどの娯楽でしょうか。
今どきは歴史系のゲームのキャラクターにもなって。

驚きなのは、山本菅助が一時はその存在さえも疑われた武将であるということ。
実際、私たちは菅助の存在を、甲州流軍学の聖典「甲陽軍鑑」と、
数通の文書でしか確認することができません。
ちなみに、通常、山本「勘」助と表記されているかと思いますが、
その実在を認める根拠となった文書に「菅」助とあるため、
当館では、山本「菅」助と表記させていただいております。

いずれにしても、実在も疑わしい、500年も前の時代に生きた一家臣が、
これほど多くの人に知られているというのは、思えばすごいこと。
よほど、作家のインスピレーションを刺激するキャラクターということでしょうか。

でも、それは今に限ったことではなく、江戸時代においても同様だったようで・・・

今日の山本菅助の知名度が、大河ドラマの主役抜てきで決定的になったとすれば、
江戸時代においては、「甲陽軍鑑」こそが初打席本塁打。
徳川幕府に認められた甲州流軍学の聖典「甲陽軍鑑」が、武士階級を越えた読者層を獲得し、
また、軍記、講談、浄瑠璃などの大衆娯楽の題材として親しまれ、
人気を博すに至ったからこそ。

頻繁に描かれた軍団絵「武田二十四将図」では、
信玄公は軍神のごとく、
選び抜かれた23名は、お館さまに忠義を尽くす、理想的な家臣として描かれて。
仏画的礼拝図の様相の「武田二十四将図」は、次第に大衆化が進み、ファンにはたまらない!
信玄公にその家臣団といったキャラクター満載の錦絵、浮世絵などとして発行されるようになります。

ちなみに、武田二十四将の皆さま、それぞれとっても個性的なんです。
そんな中でも、山本菅助のキャラには際立つ✨ものがやっぱりあります。

本当はどんな御仁だったかなんて、わからない。
でも、江戸時代から今日に至るまで、さまざまな作品で肉付けされてきた菅助像が
さらにインスピレーションの源となって、また作品が生まれ、
多くの人に楽しまれてきたのはご存知の通り。

・・・伝承によれば、隻眼で足も不自由、体には無数の傷があったといわれている菅助。
本当のことがわかる日は・・きっと来ないと思いますが、
「甲陽軍鑑」で語られる山本菅助は異形のひとであり、
長きにわたる放浪と牢人時代の末、信玄公に認められた、忠義に厚い優れた足軽大将。
さらに、近年発見された文書には、
軍事上の働きだけでなく、難しい使者の役目も果たしたことが記されており、
お館さまにとって、山本菅助は頼りになる足軽大将だった・・ということは言えそうです。

あともう少し続きます🙇💦💦
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まちかどの近代建築写真展in藤村記念館11【日程変更】のお知らせ

2021-08-17 13:28:59 | イベント
9月4日(土曜日)から26日(日曜日)に
甲府市藤村記念館にて開催予定の
「まちかどの近代建築写真展」は、
新型コロナウイルス感染症への
影響を考慮して、
14日(火曜日)から催します。

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