11月3日から期間限定デザインの御城印配布を開始いたしました。
今月30日で限定版を終了して、12月2日から通常版を枚数制限なしで配布
開始の予定でしたが、感染拡大を懸念されて外出を控える方もいらっしゃると
思います。そのため、現在の感染拡大状態で慌ててご来館いただかなくても
間に合うよう、限定デザインは、予定枚数が終了するまで配布を継続します。
まだ、残部はございます。
なお、通常版は、予定通り2日から配布しますので、ご希望のデザインを
お選びください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/50/97fd19b530d2cd938ca7aa362a0abeed.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/e6/9a1c3140894fedc88ee2cce5827aa83a.png)
お選びください。
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新型コロナウイルス感染拡大が続いています。感染の疑いがある方は
もちろんのこと、体調に不安のある方もご来館をお控えいただき、体調が
もちろんのこと、体調に不安のある方もご来館をお控えいただき、体調が
万全になりましたらご来館いただきますよう、お願い申し上げます。
土日・祝日は、時間帯によって満員の日もありますので、事前のご予約
もお待ちしています。
さて、ここからは、御城印にも使用している朱印についてのお話し。
戦国大名たちの領国支配に欠かせなかった朱印。
印判が朱色なわけは、朱色のもととなる辰砂(しんしゃ)という素材の特性と
朱という色のもつパワーが理由(!?)と考えてみましたが・・・
ほとんどの武将が印判に朱色を選んだ一方で、その図柄・文言にはこだわりが。
朱印の使用が個人に終わらず、代々受け継ぐ大名家もあったことを考えると、
それは家と領国のシンボル、目指す姿だったと言えるかもしれません。
そんな大切な朱印の図柄として、信玄公が選んだものは「龍」でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/26/4c75fe0876f3c1515d5a0af37b22fac2.jpg)
意外にかわいいお顔です。初代・信玄's 龍朱印!
なぜ、「龍」だったのでしょうか。
信玄が龍の朱印を使いだしたのは、父・信虎を追放した後。
信虎は「虎」の朱印を使っていましたが、
ここはやっぱり新しい時代のための新しい朱印がふさわしい!?
残念ながら、「龍」を選んだ信玄の思いを、後世の私たちに伝えてくれる資料は見つかっていません。
そんなわけで、本当のことを知る由もないのですが・・・。
印判が朱色なわけは、朱色のもととなる辰砂(しんしゃ)という素材の特性と
朱という色のもつパワーが理由(!?)と考えてみましたが・・・
ほとんどの武将が印判に朱色を選んだ一方で、その図柄・文言にはこだわりが。
朱印の使用が個人に終わらず、代々受け継ぐ大名家もあったことを考えると、
それは家と領国のシンボル、目指す姿だったと言えるかもしれません。
そんな大切な朱印の図柄として、信玄公が選んだものは「龍」でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/26/4c75fe0876f3c1515d5a0af37b22fac2.jpg)
意外にかわいいお顔です。初代・信玄's 龍朱印!
なぜ、「龍」だったのでしょうか。
信玄が龍の朱印を使いだしたのは、父・信虎を追放した後。
信虎は「虎」の朱印を使っていましたが、
ここはやっぱり新しい時代のための新しい朱印がふさわしい!?
残念ながら、「龍」を選んだ信玄の思いを、後世の私たちに伝えてくれる資料は見つかっていません。
そんなわけで、本当のことを知る由もないのですが・・・。
「龍」と言えば、信玄は、信玄堤のある「竜王」(今日の甲斐市)を思い浮かべたかもしれません。
この地は、古来より釜無川と支流の御勅使川(みだいがわ)の合流地点であり、水害多発地域。
ここに、信玄をはじめとする為政者の下、大規模な堤防が長い年月をかけて築かれました。
現在は「信玄堤」と呼ばれていますが、これは江戸時代後期以降の呼び名。
問題の土地の名称ですが、川の氾濫を収めてほしいと願って「竜王」と名付けたと思いきや、
地名の起源は甲斐市竜王にある慈照寺の湧水・「竜王水」に。
しかも、この竜、元は悪竜で、住職に諭されて改心。湧き水をもたらしたとか。
この地は、古来より釜無川と支流の御勅使川(みだいがわ)の合流地点であり、水害多発地域。
ここに、信玄をはじめとする為政者の下、大規模な堤防が長い年月をかけて築かれました。
現在は「信玄堤」と呼ばれていますが、これは江戸時代後期以降の呼び名。
問題の土地の名称ですが、川の氾濫を収めてほしいと願って「竜王」と名付けたと思いきや、
地名の起源は甲斐市竜王にある慈照寺の湧水・「竜王水」に。
しかも、この竜、元は悪竜で、住職に諭されて改心。湧き水をもたらしたとか。
また、躑躅が崎の尾根は、江戸時代には龍華の峰と呼ばれ、柳沢吉里が
甲斐八景にも選定した場所。遠くから見ると、躑躅が崎の尾根が龍の尻尾
にも見えますが、何か関係があるのか、ないのか?
それはさておき、「龍」は、不思議な生き物です。
実在しないにも関わらず、世界各地それぞれに龍のイメージ・伝説が。
西洋のサタンなイメージに対し、東洋では神として、聖なる動物として信仰されました。
信玄の目には、どんな「龍」が映っていたのでしょう。
そんなところを探っていきたいと思います。
よろしければ、「ワケ」のその2にもお付き合いください🙇
それはさておき、「龍」は、不思議な生き物です。
実在しないにも関わらず、世界各地それぞれに龍のイメージ・伝説が。
西洋のサタンなイメージに対し、東洋では神として、聖なる動物として信仰されました。
信玄の目には、どんな「龍」が映っていたのでしょう。
そんなところを探っていきたいと思います。
よろしければ、「ワケ」のその2にもお付き合いください🙇