4月12日といえば~刻まれた記憶!?

2022-04-11 14:14:33 | 紹介
明日4月12日は、信玄公のご命日です。
この時期は、「信玄公祭り」を中心に甲府がにぎわう時、なのですが、
残念ながら、今年も感染症の拡大状況を考慮し、
信玄公祭りは今秋への延期、「武田二十四将騎馬行列」は中止が決まりました。
武田神社では神輿の行列など一部祭礼を簡略化し、神事は挙行される予定です。
こんな時だからこそのお祭りだけど、こんな時だからできないお祭り。
むずかしいですね。
諸々の行事が中止や縮小で、信玄ミュージアムも定休の火曜に重なってしまい、
休館とさせていただきます。

さて、「信玄公祭り」は、川中島合戦の出陣の様子を再現した、
「侍の最大集合記録」でギネス世界記録にも認定されたお祭り。

その前身は、第二次世界大戦後、舞鶴城(=甲府城)公園で行われるようになった春物セールの「桜祭り」。
それが、昭和30年代に入り、笹子トンネルと中央自動車道開通あたりから、
山梨を象徴する存在としての信玄公に新たな注目が集まり始め、
昭和44年(1969)、甲府駅南口に陣取る「信玄公之像」が完成し、武田二十四将騎馬行列がメインイベントに。
翌年には現在の「信玄公祭り・甲州軍団出陣」となります。

桜が彩る春のお祭りは、新年度のスタートを心地よく飾ってくれます。
でも、甲斐国の人たちのDNAには「4月と言えば、信玄公のご命日」という記憶も刻まれているのかもしれません。

信玄公と土地の人たちとの切っても切れないご縁。
菩提寺である恵林寺(甲州市)では、100回忌、133回忌と節目節目の法要が執り行われてきましたし、
長らく国内で使用されてきた「甲州枡」が廃止の危機を免れた時も、
これはもう、やっぱりお館さまのおかげ(!)と感謝の思いの先は信玄公へ。
「信玄公祭礼」が強く強く望まれて再興されました。
嘉永3年(1850)のある記録によれば、
ご命日の4月12日、信虎公の菩提寺でもある大泉寺(甲府市)では武田三代の木造が開帳され、
参詣者は少しでも近くで拝もうと押しに押し、商人見世物までもお寺に群がったとか。
大正時代に記された「御祭礼及縁日」という記録にも、甲府では東は恵林寺(甲州市)、西は大泉寺に人々が参詣し、
武田浪人(!?)たちなどは前の晩から寺に集まり、翌朝早々にお香典をお供えし、特別なお札をGET!
弓馬剣槍の試合も執り行ったとか。

ご祭礼のありようは、時代によりけり。時々途切れることもあるかもしれないけれど・・・。
これからも「4月12日といえば〜」と、受け継がれていくのでしょうね。

こんなところにも信玄公!
かつての5月の節句人形「かなかんぶつ」にも信玄公を模したものが。
信玄ミュージアムの旧堀田古城園で展示中です。
ぜひご覧にいらしてください。

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