旧堀田古城園の基礎からみる関東大震災から100年

2023-09-01 18:47:13 | 日記
今年の9月1日は、大正12年(1923)に関東地方を中心に発生した関東大震災から100年の節目です。
東日本大震災が記憶に新しいこともあり、地震の恐ろしさは身近に感じることができると思います。
100年前のちょうど正午前、相模湾を震源とする地震が発生し、約10万人の方が亡くなりました。
そのうち、9割近くが地震後に発生した火災による死者と言われていますので、木造家屋が
密集していた東京では大きな被害を出しました。
さらに混乱によって朝鮮半島から来た人々の暴動デマが拡散し、取り返しのつかない事件を
起こしてしまったのです。

甲府では死者4名のほか、重軽傷者10数名を出したようです。
建物も倒壊、半倒壊もあったようですが、全体として被害状況は他に比べて小規模だったようです。
山梨には関東方面からの避難者もあったようで、そうした人からのデマ情報も広がり、
地元紙ではデマに惑わされないよう注意喚起の記事も掲載されたそうです。
現代社会においては、東京を中心とする首都圏の人口密度はますます高まり、
情報発信の電子ツールも多様化しました。
もし、同じメカニズムが首都圏で発生すれば、収集がつかない暴動につながりかねない
怖さを秘めていますので、災害時の情報発信や受信にはくれぐれも注意が必要です。

信玄ミュージアム内の旧堀田古城園は、国登録有形文化財で昭和7年着工の木造家屋です。
その基礎は、コンクリート製となっています。


今では当たり前になっている基礎材料ですが、関東大震災前の日本では、まだ一般の住宅に
コンクリートが使われることは少なく、昔ながらの礎石基礎の木造家屋が主流でした。
石の上に柱を据えただけの木造住宅は、耐震力に乏しく、倒壊を引き起こす一因にもなっていました。
その補強策として、旧堀田古城園の建築年代くらいからコンクリート基礎が普及しましたので、
旧堀田古城園は、関東大震災での建物の欠陥を改善し、当時の最先端の技術で建てられた建物とも言えます。
悲惨な震災の犠牲と被害の上に日々、技術革新が進み、人命を守る努力が重ねられています。
日常で見慣れた何の変哲もないコンクリート基礎ですが、
そんな歴史に思いを馳せながらご見学いただければと思います。
ただ、基礎ばかり見ていると、怪しまれるかもしれませんので、ご注意くださいませ。

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