信玄公のご遺品を高野山霊宝館様から借用し、次いで滋賀県長浜市にあります
長浜城歴史博物館で信玄公の肖像画をお借りしました。
個人の所蔵品ですが、現在、長浜城歴史博物館様へ寄託され、管理されている
古文書群に含まれている資料です。
絵画は、信玄公が甲冑姿で床机に座した軍陣像姿で描かれていまして、画像の上に
「信玄公像 逍遥軒筆」・「高野山成慶院什物」と墨書きされています。
そして、資料は左下に「國友雲洞蔵」とあり、所有者を記しています。
つまり借用資料は、信玄公の実弟の武田逍遥軒信綱(信廉)が生前の兄の陣中の姿を描き、
高野山成慶院へ納められた品を、國友氏が写してきたもの、ということになります。
残念ながら、実物は、現在所在が不明となっていますので、信玄公の真の姿を伝える
数少ない貴重な絵画資料になります。
実際に成慶院様から借用しました遺品2点とともに、奉納品のリストに信玄公寿像と
ありますので、実際に肖像画が成慶院に納められていたことは間違いありません。
その絵が一般に知られ、甲府駅前の銅像の元にもなっている恰幅の良い姿か、
今回の借用資料の姿か、という議論があり、今のところ恰幅の良い絵画の主は別人で、
借用資料の姿こそが本物の信玄公という結論になりつつあります。
同じ構図で同じ姿の信玄公像で記録年代が定かなものでは、
東京大学史料編纂所所蔵の近藤守重が寛政5年(1793)に書写したものがあります。
そのため、少なくとも18世紀の終わりまでは実物が高野山成慶院にあったことが確認できますが、果たしてどこに行ってしまったのか。
それはさておき、真の姿を見ることができる貴重な機会ですので、ぜひ企画展で
実際の資料をご覧ください。
また、今年は長浜城が築城されて450年を迎えるそうです。
信玄公没後450年とちょうど同じタイミングですね。
信玄公が亡くなり、対信長包囲網で連携していた北近江の浅井長政が滅亡し、
北近江三郡は羽柴秀吉の手に。
そして、長浜城を築城して町を開きましたが、秀吉の出世城ですので、
ぜひ市内も含め、散策をお楽しみください。
長浜城歴史博物館の館長様、職員の方々には開館直後の忙しい時間帯での
訪問でご迷惑をおかけしましたが、快くご対応いただき、感謝を申しあげます。
開館より少し早く現地入りして準備を整えていたところ、ここにもニャンが。
雨上がりの濡れた草むらに座り込んでこちらをチラチラと。
ニャーンと声をかければ、ニャーンと応える。
長浜のニャンもなかなか人懐っこい、と感心でした。