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金木犀の香り

2023-10-17 17:11:51 | 紹介
甲府の空は朝から快晴で、真っ青な秋空となりました。
日中は気温も上がって汗ばむ陽気となり、上着いらずで少し歩くと暑いくらいでした。
昨日ご報告したように、富士山の中腹以上が真っ白になりましたので、これから朝夕は
冷え込むことも多くなると思います。
気温の寒暖差も激しくなりますので、皆様、体調管理にはお気をつけ下さいませ。

いよいよ秋の気配深まる今日この頃ですが、ミュージアム敷地内の旧堀田古城園の庭園
にある金木犀が今年も満開を迎えました。
全体に黄金色の小さな花をつけていまして、よく見ると、びっしりと開花しています。

古城園の建設時からあると思われますので、苗木の状態から植えられたとしても
100年くらいは経っている木ではないかと推測されます。
館内に入りますと、甘い金木犀独特の強い香りが漂ってきます。
中にはこの香りが苦手な方もいらっしゃるので、秋のこのシーズンは厳しい季節かもしれません。
香りに敏感で苦手の方は、くれぐれもご注意ください。
そして、金木犀の香りが好きな方は、どうぞ、ご堪能ください。

本日火曜は休館日ですので、静かな館内でしたが、
姫ニャンだけは元気に走り回っていました。
最近、お目にかかる機会が増えたせいか、前に比べて全力ダッシュで逃げられなくなり、
少し距離感が縮んだように勝手に思っています。
ニャーンと言えば、ニャーンと応えてくれるようになったところで親近感アップ。
これから秋本番を迎えると、たくさんのお客様がいらっしゃるので、ネズミよけだけではなく、
招き猫としての活躍も期待しています。
そうそう、母ニャンも今日はミュージアム駐車場でゴロニャンでした。
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すっかり富士山も雪景色

2023-10-16 18:03:29 | 紹介
先週末に甲府盆地は雨でしたが、高いお山は雪が降ったようでして、
一夜明けた日曜日の朝、東の方角を見ますと富士山が真っ白。
前回は薄っすら初冠雪ですぐに消えてしまいましたが、今回はしっかりと降り積もり、
本日、信玄ミュージアムの建物越しに撮影しました写真には、雪景色のThe Mt.Fuji。

こうなると、いよいよ朝夕の冷え込みも増しますので、今週末辺りから甲府にお越しになる方で、
朝夕の外出を予定される皆様は、上にもう1枚羽織るものがないと寒いかもしれません。
日中は温かで、温かを越えて暑い時もありますので、温度管理が難しいところです。
久々に武田氏館跡の堀の脇で見かけた母ニャンは、のんびり日なたぼっこ。
最近、姫ニャンを残したまま、ミュージアム側では全く見なくなっていたので、
安否も心配していたところでした。
かなり高齢の域に達しているので、動きものんびりですが、長生きして欲しいものです。

甲府も徐々に秋の気配が強まってきましたが、先日資料の返却に伺った長野市も
甲府以上に秋が近づいていました。
千曲市姨捨方向から見た川中島一帯は、
どんより曇り空で遠目にはわかりませんが、山の高いところや街路樹も少しずつ色付き始め、
秋を待つ感じでした。
そして、いつもの古戦場跡に建つ両将の一騎打ちの銅像。
川中島を訪れたら定番でございます。
企画展前期では、上杉謙信所用の軍配を佐久市教育委員会様のご厚意と、
長野市立博物館様のご協力で、武田氏の本拠で初展示させていただきました。
見学者の方には写真のような一騎打ちシーンのイメージが強すぎて、
展示した軍配も信玄公のものだと勘違いされた方も意外と多かったらしく、
刀を受けた傷はどれ?なんて聞かれたことも。
展示解説が分かり難かったのか、見せ方が不十分だったのか、反省の多い展示となりました。

現在、後期展を開催中です。
ぜひ、お越しの際は諏訪法性兜などをご覧になって行ってください。


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躑躅ヶ崎歴史案内隊ガイド予定の変更です

2023-09-23 10:37:21 | 紹介
ここ数日、不安定なお天気が続いて、時折局地的な豪雨もありますが、
気温も下がって体感的には秋らしくなってきました。
甲府市内でも学校では秋の運動会が開かれたり、
秋の彼岸でお墓参りに行かれる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
市内のお寺の駐車場は朝から混雑していましたので
涼しい時間にお出かけの方も多いようです。

ずっと暑さが続いたので、そろそろ散策も良いですよ、ということで、ミュージアムの
イベントや市の行事などでもお世話になっています
躑躅ヶ崎歴史案内隊の今月の活動を先日お知らせしたところでしたが、日程が変更になりました。
当初は24日(日)でしたが、30日(土)に変更です。
時間は、9時30分〜12時30分までと変更はございません。

躑躅ヶ崎歴史案内隊の皆様になりかわり、ご予定をされていた方には大変申し訳ございません。
また、次の機会によろしくお願いいたします。

ミュージアム旧堀田古城園側では、最近午前は姫ニャンが大活躍との報告を受けました。
何でもお客様がいても元気に走り回っていて、愛想を振りまいているとかで
かわいい招き猫状態のようです。
はしゃぎ過ぎて器物など壊さなければ良いのですが、こちらを訪れた際は中庭をお探しください。


生け垣に隠れていましたが、見られているのに気づいてハッとしてました。
まだまだ今年生まれた子猫ですので、やんちゃな盛りです。
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企画展前期展も残り2週間

2023-09-20 18:01:18 | 紹介
9月20日になりましたが、異常気象で相変わらず暑さが続く甲府です。
今年は信玄公没後450年を迎え、「戦国大名武田信玄の遺産」と題した企画展を
開催しています。
年間を3つのテーマで区切り、現在は川中島の戦いを紹介した第2期目のテーマ
「竜虎相搏つ−武田信玄と上杉謙信−」を開催中ですが、会期は10月2日(月)までとなっています。
展示品は、武田VS上杉を前面に出して、両軍家臣団を描いた画像と両軍大将の遺品
信玄公の直筆書状と謙信所用の軍配団扇を展示しています。
直筆書状は、墨の濃淡が特徴で信玄公の書き方のクセが良くわかる資料です。
独特の書き方でクセが強い。
そして、軍配団扇に書かれた神々のお名前。
毘沙門天の化身、などと言われる謙信の信心深さがわかる一品ですが、毘沙門天意外にも
たくさんの神様の加護を頼んでいた姿がわかるものです。

そして、10月4日(水)からは、いよいよ後期展です。
後期展では、改めて信玄公に焦点を当てつつ、川中島の戦いをご紹介します。
展示資料も甲斐善光寺様から川中島の戦いで武田軍が用いたとされる陣太鼓が出品されます。
大型でケースに入らないので、露出で展示しますので、間近でご覧いただけます。
もう一つの目玉は、信玄公といえばやはり諏訪法性兜。
下諏訪町諏訪湖博物館様のご厚意により、2年前の生誕500年に続いて、
当館2度めの展示と相成りました。


前回展示は、コロナ禍真っ只中でお越しになれなかった方も多かったと思います。
今回は、没後450年の節目で再登場となりましたので、この機会にぜひご覧ください。
10月28日(土)には信玄公祭り出陣式もありますので、祭りに参加される前、
あるいは翌日ゆっくりと冨永愛さん演じる信玄公が着用される兜の本物をご覧いただき、
信玄公祭り参加の記念、そして甲府への旅のおみやげにしていただければ幸いです。
詳しくは、また近くなりましたらお知らせいたしますので、よろしくお願いします。
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石川数正の功績?

2023-09-08 17:53:06 | 紹介
大河ドラマ「どうする家康」も豊臣対徳川の争いが描かれ、夏の前に姿を消してしまった
武田氏関係では、久々に真田昌幸登場で信玄公の名前も紹介される場面も描かれました。
そうした中、家康古参の重臣、石川数正が突如出奔して豊臣秀吉に寝返るという
ショッキングな出来事が放送され、その後、先週は天正地震を機に秀吉と家康が和睦し、
臣従する動きを見せたところで終わっています。
石川数正の出奔は、歴史的にも解明されていない未だに謎の多い事件です。
徳川家中でも重鎮として重用され、岡崎城代まで務めていた人物ですから、簡単に裏切る
ということはないと思いますので、知られざるよほどの理由があったのでしょう。

それはさておき、家康を今川氏の人質時代から支え、数多の合戦に従軍して功を挙げた
最古参の数正は、徳川軍の戦術などを体現してきた動く軍事機密だったわけですから、
その武将の寝返りで徳川の軍法は、すべて秀吉の知るところになったのは大きな損失でした。
もちろん、織田・徳川の同盟時代は、ある程度お互いの情報の共有はあったはずですから、
数正一人の寝返りでどこまで影響が出たのかはわかりませんが、ここで戦術変更を迫られた
家康は、かつて辛酸を嘗めさせられた武田氏の軍法を採用することにしたようです。
軍法といってもその時点でどこまでどう変えたのかはよくわかりませんが、石川数正の
おかげで武田氏の遺産が徳川氏に引き継がれる形で再脚光を浴びることになりました。
もちろん、旧武田家臣らも一役買ったわけで、それ以降は徳川軍の軍法は、武田信玄の
遺した軍略に変わり、徳川の世になっても変わることなく採用されていきます。
そして、甲州流軍学として大成された「甲陽軍鑑」が編纂されると、各大名らもそれを習い、
信玄公の事績が全国区となったわけです。
とはいえ、そう上手くトントン拍子で広がったわけではありませんが、甲州流軍学が幕府に
認められた遠因を辿れば、石川数正の出奔になる、ということに。
逆に数正がそのまま徳川家に留まっていたら、軍法の変更もなかったかもしれませんし、
その場合、今ほど武田氏の名声もなかったかもしれません。
歴史にもしもはありませんが、もしもを考えると、信玄ミュージアムもなかったかも・・・。
逆に、石川数正が秀吉の家臣となって松本を与えられなければ、現在の国宝松本城は
存在しなかったかも。
いろいろな意味で石川数正の行動は、後の歴史に大きな影響を与えたと言えるかもしれません。

ちなみに、現在開催中の企画展前期の見どころは、信玄公直筆書状とライバル上杉謙信所用の
軍配団扇ですが、後期展示では10月開催の信玄公祭りに合わせて、信玄公全開の展示で行きます。
「甲陽軍鑑」も久々に展示の出番が回って来る予定ですし、
本物の諏訪法性兜も下諏訪町諏訪湖博物館様のご協力で借用予定です。
展示できる資料数は限られますが、一品を一つ一つ丁寧にご覧いただけます。
次回もぜひ、ご期待下さい!

余談になりますが、瀕死の重傷を負って数カ月行方不明だったお兄ちゃんが姿を見せました。
首筋の傷痕は残っているようですが、見るかぎりは今までと変わりなく元気そうで。
相変わらず、睨むときは鋭い目つきで、まだ目は死んでいないようで一安心。
たまには顔を出して、妹・弟たち新人パトロール隊員を教育してほしいものです。




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