goo blog サービス終了のお知らせ 

菜の花プランターが並びました!

2023-03-12 12:18:27 | 紹介
3月中旬に入りましたが、急に暖かくなり、一気に春モード全開です。
桜の蕾も徐々に膨らんできました。
そんな中、今年も地元自治会の皆様が地域の美観形成で長らく取り組まれている
通称、武田通り沿いの菜の花プランター設置が行われました。
朝早くから大勢の方が出て、今まで交替で水やりなど世話をしてきましたが、
無事に育って街路両側に並べられて行きました。
軽トラックに乗って武田神社から南の山梨大学付近まで、かなりの距離を
菜の花が彩ります。
まだまだ咲き始めで本番はこれからですが、桜が満開になる頃には、ピンクとイエロー
の彩りでお越しになる方を楽しませてくれます。
お越しの際は、ぜひ、通りの両側に並ぶ菜の花にもご注目ください。

さて、新型コロナウイルスとの長い闘いが続いてきましたが、
丸3年を超えたところで、3月13日(月)から
マスク着用を強くお願いしてきた入館制限を緩和することになりました。
信玄ミュージアムでは、マスクに関しては、特別着用を依頼することはいたしません。
自主判断で着用していただければと思いますが、感染による重症化リスクが高い方は
館内は着用をオススメします。
3月は花粉症のシーズンですので、コロナ無関係でマスクの方も多いとは思います。
マスクをしている方、していない方、最初は戸惑うかもしれませんが、ご理解の上、
見学をお楽しみください。
なお、マスク着用の規制はなくなりますが、入館時の検温・手指消毒、
館内の通行規制は継続予定です。
すべてが解除されるわけではありませんので、お間違いないようにお願いします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信玄公と娯楽の場!?

2023-03-11 12:58:58 | 紹介
今年も3月11日を迎えました。
東日本大震災から12年の月日が経ちます。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、心より哀悼の意を表します。

多くの尊い命が失われ、多くの方々の人生を変えた大震災。
その爪痕も完全に癒えたわけではありません。
甚大な被害を被った方々の苦しみや悲しみ、心身への負担もどれほどだったか。
被災された皆さまには、悲しい記憶を呼び起こす辛い一日だと思いますが、
震災の記憶は語り継ぎ、記録は一つでも多く保存することで、
将来再び起こるであろう大地震の被害軽減にもつながっていきます。

よくお子さんから、なぜ歴史を勉強するの?勉強して何か役に立つの?
と質問をいただきます。
時に子どもの屈託ない質問には困ってしまうこともありますが、
歴史は過去からつながっているもので、人々が積み重ねてきた営みの結果です。
ですので、立場や住む場所も異なる一人ひとりが学ぶ理由や意味は違うと
思っています。
悲劇を繰り返さないために過去から学ぶ、という側面もあれば、
生活や社会がなぜそうなっているのか、その原因や理由を学ぶ、
そして、難しい理屈抜きに、趣味や嗜好として純粋の自分の目標になる人物、
かっこいい、強い人物への憧れから学んでも良いと思います。
本当に歴史を学ぶ目的や理由は人それぞれ。活かし方も人それぞれ。
ですが、一つ言えることは、過去に学んだこと、成功や失敗を未来に活かすこと。
将来のために歴史を学ぶ、ことはどんな場合でも共通するのかな、と思っています。

信玄ミュージアムは、訪れる方が武田氏館跡という場の歴史にふれる、楽しむ、
歴史を学ぶための扉を開ける、歴史との出会いの場になればと。
午前中も武田信玄大好き、と声をかけてくれた小学生がいました。
まだ、難しいことはわからなくても、子どもたちが何かを感じ、興味を持ってくれて
将来、何かの役に立つことがあれば、そう願うばかりです。

さて、大震災のような経験してみなければわからない・・
まさにそのとおりではありますが、不自由な避難生活や苦難の復興作業、
そんな切羽詰まった状況下、だからこそ、
トランプや歌といった娯楽、ちょっとした楽しみ事が、
心を楽にしてくれたという話を耳にされたこと、あるかと思います。
「娯楽がないと人間でいられない」という言葉は、
北海道の地震で避難所生活を経験された、ある方の言葉です。

状況や次元は違うかもしれませんが、
日本の歴史において、儀式的な作法や形式よりも、人間的な結びつきが重視され、
娯楽性がひとつのキーポイントになった時代がありました。
それが中世という時代。
帝や朝廷から、国の統治が武家政権へと変わっていった、過渡期であり変革期です。
公家、寺社、武家がそれぞれに力を持ったため、
従来の一元的なヒエラルキーがゆらぎ、
幕府将軍職の権力基盤が弱体化し、やがて戦国の下剋上を誘発していきます。

時代を象徴する現象のひとつが「寄合(よりあい)」でした。
寄合と聞くと、自治的・地縁的に結びついた「惣村」の
村民会議のようなものをイメージしますが、
もともとは、鎌倉幕府の政に関する”私的”な会談のこと。
村に限ったことではなく、朝廷や幕府でもそういった場が持たれました。
”私的”ゆえに、遊びや娯楽性が加わったのかもしれません。
当初、専用の建物はなく、内裏の泉殿といった納涼の場などが使用されましたが、
会場は、ところ狭しと唐物で中国風に飾られ、
闘茶、連歌会、月見、雪見、花見、猿楽舞、七夕などが楽しまれたとか。
厩(うまや)や風呂までも会場になったと言いますから、
寄合の場所は、私たちの固定観念を超えています。

武田氏館跡にも庭園や厩、風呂があったことが絵図で描かれていますので、
そこでは果たして、どのような行事が行われていたのでしょうか。
「信玄公屋形之図」
そして、館の南東には広場があり、的場がありました。
その脇の庭園には鞠掛と記されていますので、蹴鞠を行っていたこともわかります。
いずれも大名としての嗜みではありますが、
そうした娯楽を通じて参加者との交流を深め、
厳しい戦国の世を生き抜こうとしたのかもしれません。


コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子猫の成長

2023-03-06 10:43:23 | 紹介
♂か♀かわかりませんが、このところ、まだ若い猫を夕方に目撃しています。
旧堀田古城園の低木の茂みの中に隠れていて、
閉館後の戸締りや見回りで歩いていると、突然茂みから飛び出して来るパターンで、
お互いにビックリ!
動物写真家の岩合光昭さんに倣って世界ネコ歩きならぬ、
甲府ネコ歩きで密着取材しようと思うとサッと逃げられてしまい・・・。
なかなか簡単には心を許してはもらえない様子。
そう考えると、岩合さんて凄い(汗)
カメラを構えるとすぐに逃げられ、やっとの思いで遠距離撮影。

でもよく見ると、この子は夏に歴史館の中庭の茂みに預けられていたニャンでは!?

8月終わり頃に中庭幼稚園に日中預けられていた3匹の子猫
若い母ニャンの言いつけを守ってじっと待っていられずに兄弟でじゃれ合っている
姿が何度か目撃され。
やがて1匹はトイレに迷いこんだりしてお騒がせをしたこともありました。

関連記事
おそらく、写真の一番奥にいる子猫ではないかと。
毛並みがよく似ていますし、顔の表情が何となく。
幼い日に過ごした施設が懐かしくて戻ってきたのでしょうか?
他の子も成長して無事でいてくれたらと願うばかり。
今年は寒い日が続きましたし、
野良の世界の過酷な生存競争を勝ち抜くのは容易なことではないですが、
何とか1匹だけでも生き残って姿を見せてくれたのは嬉しいかぎりです。
また会えるかわかりませんが、しばらく様子を見てみたいと思います。

ちなみに、御城印春限定版の残部100枚は、配布を完了いたしました。
ありがとうございました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春らしい朝

2023-03-04 09:51:32 | 紹介
早朝はひんやりしましたが、日が昇り、開館時間を過ぎると、
先月まで感じていた冷気はなく、暖かさを感じます。
気持ち、窓越しに旧堀田古城園の廊下に射す日も春めいて。

古城園庭の梅は散り始めましたが、
代わりにミュージアム前の街路に並ぶ桜の蕾は少しずつ膨らみ始めました。

本格的な春は、もうすぐそこです。

本日は、3月最初の週末です。
どのくらいの方々がこのエリアにお越しになるのかわかりませんが、
暖かな週末ですので、大勢で賑わうことが予想されます。
3月1日から始まりました御城印残部一斉配布でお問い合わせもいただいています。
Q:4月以降はどうなりますか?
A:市から無料配布している現状の御城印はひとまず終了となります。
 指定管理者でデザインを検討し、販売する予定となっています。詳細は未定です。
Q:春限定版は、新しいものですか?
A:いえ、昨年春にも配布していたもので、新しいデザインではありません。
 お持ちの方はご注意ください。
Q:春限定版の残部はまだありますか?
A:ブログアップ時点で残約60枚です。確約はできませんが、4日の夕方までは
 何とか残るかと。
そのような状況ですので、申し訳ございませんが、微妙なタイミングでのご来館を
予定されている方は、直接お問い合わせください。
電話 055−269−5030
よろしくお願いいたします。

追伸
春限定版16:00時点で残り30枚を切りましたが、何とか5日まで残りそうです。
本日で配布完了と思いきや、
3名様のご家族や今までに来館されたことがある方は、
武田三代コンプリートの方が多かったのが、春版が残った要因のようです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月3日は🎎 桃の用意も忘れずに

2023-03-02 18:41:36 | 紹介
3月3日といえばひな祭り🎎
女の子の健やかな成長を願う「桃の節句」ですが、
かわいらしいお雛様に似合うから「桃」というワケではないんです。
それじゃあ、どうして、「桃」なのか・・・。

古代中国では、桃は神仙(仙人)に力を与える樹木、果物であり、
邪気祓いの食べ物とも考えられてきました。
この不老不死の「仙桃」の園の管理者が
長い時を経て、人頭獣身から人間の死と生命を司る女神となった仙女・西王母。
人間の死への恐怖が、西王母を祭れば非業の死から免れるという信仰に発展し、
西王母は、絶大な信仰を集めます。

桃と聞いて「健康に良い!」と連想する人は少ないかもしれませんが、
腸を整える食物繊維が多く含まれる他、
高血圧の予防効果があるというカリウム、
コレストロールの改善に良いとされるナイアシン、
抗酸化作用が認められているカテキンが含まれるそう。

桃の種のようなものの中の空間は、竹の桿(かん)の空間と同じように、
神様の居場所とも考えられました。
その種のようなものが「桃核(とうかく)」という部分で、
漢方では、血行を改善する薬として、つぼみは、利尿作用、便秘薬、
桃葉湯はあせもなどの皮膚の炎症に効果があるとして使われています。
(でも、乾いていない葉には青酸化合物を含むので、注意も必要!)

意外にも、健康効果が注目される成分を複数含む桃は、
長寿を示す吉祥図案、祝い事には桃饅頭となって現在に至る一方で、
桃の木で作られた弓矢を射って、悪鬼を退け、
桃の枝を畑に挿して虫除けのまじないにも使われてきました。

古代中国の地理書『山海経(せんがいきょう)』によれば、
・・東海のあるところに、桃が三千里に渡って曲がりくねる樹があり、
その低い枝が東北に向かっていた。
これを鬼門といい、ここには、様々な鬼が出入りしていたが、
神荼(しんと)と、うつ塁(うつるい)という神が、鬼を捕らえて虎の餌にしたという。
漢族最初の統一国家を樹立したという黄帝(こうてい)は、
これに倣い、桃の枝を門戸に差し、二神を描いて鬼を封じた・・。

日本でも、『桃太郎』の鬼退治はあまりにも有名ですが、
桃の邪気を払う霊力は、『古事記』(※1)でも語られ、
案外、桃は中国原産ですが、日本ともお付き合いの長い果物🍑

・・・
実は、3月3日のように奇数の月と日が重なる日は、
昔から縁起が悪いと恐れられ、無病息災のために禊ぎ祓いが行われてきました。
こうした、節句本来の目的だった禊ぎ祓い、人形(ひとがた)流し(※2)に、
人形を使った神遊び、ひいな遊びが結びついた行事がひな祭り。
かわいいかわいい💓だけのお祭り・・ではなかったようです。

(※1)『古事記』における、桃の話。
国産みの神であるイザナギとイザナミ。
二人の間には、日本国土を形づくる多くの神々が生まれますが、
妻のイザナミは、火の神を出産した際に亡くなってしまいます。
それでも妻のイザナミに会いたくて、黄泉の国まで行ったイザナギ。
無事再会し、別れ際「決して後ろを振り向かない」と妻と約束したにもかかわらず、
(お決まりのパターンですが💦)誘惑に負けて、振り向いてしまいます。
真実を目の当たりにしたら最後です。その瞬間から妻の追手に追われるはめになり、
黄泉比良坂にたどりつき、そこにあった桃の実を必死に投げつけると・・・
追手は退散ヽ(`▽´)/
九死に一生を得たイザナギは、桃の功を称えて、名を与えた・・・。

(※2)今でこそ雛人形は、節句が終われば片付けてしまいますが、本来は流し雛でした。
『日本書紀』や『万葉集』などにも、紙や織物などで作った人形(ひとがた)を、
自分の身代わりとして、穢を背負わせて流したことも記されています。
ひな祭りの飾りや、ひな祭りの歌に白酒や菱餅が登場しますが、
これは、身代わりになってくれる、人形へのご褒美なんです。

・・・
今年も、旧堀田古城園の縁側で雛人形をご覧いただきます。
甲府のお雛様「横沢びな」も登場しますので、
当館にお越しの際は、ぜひ会いにいらしてください。

今年のセンターはこちら↑
かわいいだけじゃない(!?)甲府のお雛さまです。

⇓こちらもよろしければご覧ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする