奥玉千葉氏の居城跡
一関市千厩町奥玉地区の小高い丘にある館跡です。

牛生蓮館跡は、第69代天皇、後朱雀帝の朝臣「楿氏」の居館跡と伝えられていますが、定かではありません。
承久二年(1220)、胆沢郡百岡より千葉勝光が移り城主となりました。
正中二年(1324)、七代目にあたる千葉胤仲が中日向に居館を移しました、このとき京都八幡宮より御分霊を請けて旧居館(牛生蓮館)、新館に祀り守護神としました。
八幡神社の裏手にある平場が二の丸となっています。
牛生蓮館の面積は約1ha、高さ30メートル、東西170メートル、南北100メートルの規模で、本丸は東端にあります。
西側の窪地に二の丸があり、北面に大きな土塁が廻り、断崖と空堀によって尾根を断ち切っています。
【牛生蓮館(楿城祉)跡MAP】
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