3D CG, CAD/CAM/3Dプリンタ な日常でつづる クルスの冒険ブログ

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さらば愛しき論理

2005年08月09日 | □CAD/CAMな日々

本気(マジ)工場はCAD/CAMのソフトウェアを生業としていますが、工具箱があります。
CAD/CAMソフトウェア屋さんでは、珍しい光景だと思います。今日の話題は、工具箱が
あるソフト屋さんの存在を、「へえ~…」と思う人に向けて書きます。

もちろんこれは、私たちがNC工作機械を使ってある程度の機械加工を行うことで、
ベンチマークや、加工機の操作トレーニング、希に加工そのもののご要望に
お応えするためです。加工機を使って、毎日何かしら作っています。
コンプレッサーの音が響くソフト屋さんなんです。

さて、工具があるということはどういうことか、と申しますと…
それは、加工機に工具をセットしたり、材料をクランプで止めたり、
要するにネジを締めたり緩めたりするからです。総じて「段取り」なんて呼ぶようです。
ネジを締めたり緩めたりする… ということはどういうことでしょうか?
それは、人の手が介在する、ということです。当たり前ですね…
でも、この当たり前の事が意外と理解されていないのです。特に、設計やデザインの
人達には。

さて、人の手です… 材料を加工機に固定するのも、工具を加工機に取り付けるのも
人の手です。全ての位置の調整もします。当然ですが、慎重にやらなければ位置が狂います。
しかも、平気で何ミリ、という単位で簡単に間違います。狂わないような工夫も技術も配慮も
そこには当然あります。

あれ?これをモデリングした時、一体どれくらいの精度で作ったでしょうか?(笑)

例えるならば、3DモデルはPCという母胎の中で、データの変換や論理の連続性という
へその緒でつながって存在しています。ところが、いざ設計が終わり、3Dモデルが加工機に
送り込まれた途端、まるで我々が母胎から世界に放り出されたように、今までの論理と数式と
データ変換で関連付けられた世界から現実世界に放り出され、工場のオッサン(失礼)の
指先ひとつに委ねられるのです。正に、不条理。これを不条理と言わずしてなんと言いましょうか。
(おお、哲学的であります!)

この事実は、当たり前と言えば当たり前ですが、日常気にせずにCADでモデリングしている
人にとっては結構ショッキングな事だと、ワタシは思います。
CADで一生懸命定義した1/100は、オッサンの指先でどうとでもなってしまうのですよ、と。
あなたがアタマを悩ませて決めた1/100は、指先の動きひとつで真実にも虚構にもなって
しまうのです。ここがモノづくりの不条理であり、醍醐味でもあります。

本気(マジ)工場にある工具の存在は、正にそれを表しているのです。
そして、ワタシたちのお客様は、みんなそういうお客様ばかりです。

当たり前と思う人には、あまりに当たり前なお話でした。

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