3D CG, CAD/CAM/3Dプリンタ な日常でつづる クルスの冒険ブログ

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「選択」と「集中」・・・?

2008年04月06日 | □檄文
 
今日の写真↑ 3次元形状を活用する会:3D-GAN事務局の冷蔵庫とゴミ箱。
 
こういう所はおカネをかけたくないので、この冷蔵庫もヤフオクで中古(笑)。
まぁ、十分だ。何でもかんでもおカネをかけるのは、どうもダサくて嫌だ。何でもかんでもケチってりゃ、そりゃあ見栄えが悪くなるだろう。こういうの何ていうの?クルマでもあるじゃない、「効果的な所にはコストをかけましょう、効果が上がらないところはコストかけませんよ」っていう最適化の考え方。そういうのは、大好き。
・・・あ、バリューエンジニアリングっての?チガウ?(笑)
 
さて、書きます。
 
以前、ワタシの仕事ぶりについて
「どの市場に絞っているのか分からない」
と評されたことが何度かある。…フム、分らないでもないね。
 
そうおっしゃる人には、なぜ貴方にはワタシが市場を絞っていないように見えるのか?や、相手の言う市場の絞り方が決して有利ではなく、かえって危険でさえあるということや、実際には別の観点から、ワタシは十分に市場を絞っているのだ、ということなどを丁寧に説明したつもりだけれどきっと同じ意識には到達してもらえなかっただろう(表情を見ればそれは分かる)。
 
「選択と集中」という言葉の危険性を、ワタシはいつも感じているのです。
コトバは、いい。問題はその解釈にある。
 
我が国の経営戦略における「選択と集中」とは、「選択」は本業を残して事業数を削減し、得意分野に「集中」するという意味のようだけれど、これは似たような表現である「コア・コンピタンス」という言葉とは微妙に…いや、どうも相当に意味が違ってしまっているようだからだ。
そしてその違いに思い至ることもないまま、まるで何かの大義名分を得たかのような熱心さで「選択と集中」を口にし、実践しようとする人が少なくない。
 
「選択と集中」という言葉の印象が、
「いろいろ無駄な事に手を出さないで本業をしっかりやりましょう」
というような、我が国の伝統的美徳に妙に適っているのがきっとその原因だろう。
しかし、それは似てはいるけれども、その本義においてとても危険な差異が組み込まれていることに気づかないまま実践されていると思えて仕方がない。言葉を印象のみでとらえ、言葉をロゴス(=論理)としてとらえないから、こういうことになるのだと思う。
 
「選択と集中」を分解すれば、「選択」・「集中」という二語になる。どちらが簡単かと言えば、それは「集中」に決まっている。「集中」とは、ほとんどが努力であり、単なる方法論だからだ。しかも「集中」は、やり出してからその方法や強弱を修正することが比較的容易な行為だ。勤勉で真面目でありさえすれば、「集中」行為はそう大きくその意義から外れることはないだろう。上手な集中と下手な集中があったにせよ(何にだって上手・下手はあるものだしね)、その本質は変わらない。
 
ところが「選択」は違う。
 
「選択する」という行為は単なる努力ではなく、勤勉も努力もその決定打にはならない(大事じゃない訳ではないけどね)。全く違うタイプの勤勉と努力が必要になる。
そしてその行為は、「選択」した後の修正が非常に困難だ、という性格を持つ。「選択」とは情報であり、分析であり、仮説であり、判断であり…そして勇気だ。
 
油田を掘り当てよう…という時に、「どこを掘るのか?」が選択で「一生懸命掘る・効率良く掘る」というのが集中というところかな。
Scrap & Buildなんかと似ているのだけれど、こうなると「選択する人」と「集中していく人」とが同じ個人の中で共存することだって結構難しいのかも知れない。だって、かたや発明や冒険であり、こなた穴掘りくらいの違いがあるのだから。ほら、解体屋さんと建築屋さんって大抵違うでしょ?(笑)
あ、穴掘りを馬鹿にした話ではないからね。これだけは注意していただきたい。上手な穴掘りも、効率的な穴掘りもそりゃああるに決まっているさ(ものの喩えであって、穴掘りはすごくクリエイティブな面があるのだろう)。
 
実際、話はもっと単純なんだろうな。
「選択と集中」という時、そもそもその集中する先=選択したモノがもし間違っていたらどうするんだろうか?(笑)ってことだよ。
 
選択を誤った場合、集中すればするほどその失敗の規模は膨れ上がり、失敗への時間は短縮されるだろう。だって集中してるんだからさ。
誤った行為に勤勉であることは、怠惰であるよりずっと恐ろしいことなのだ。これもまた、我が国の伝統的美徳と無関係では無いと睨んでいるのだけれど、「一生懸命」は素晴らしいが、それよりも先に「一体何に一生懸命なのか?」の方がずっとずっと重要だろう。間違ったことに一生懸命なら、ぐぅたらと寝ている方がよほど素晴らしい。これが分からない人多くて、本当に驚く。
下手な考えは、ライク ア スリーピン(ルーか?)。
 
しかも、自分で「選択」したと思っているその選択肢が、本当は「選択」したのではなく、元からそこに在り「自分にはそれしか出来ない」ということと、きちんと区別して意識されているだろうか?
消去法も立派な選択だけど、そもそも比較して消し込む複数の対象が無いのであれば、それは選択ではなく「それしかない」ってことだ。この差は絶望的に大きい。
 
「コア・コンピタンス」という言葉と「選択と集中」の二語がどうにも違っちゃっているのは、「コア・コンピタンス」という言葉の方が、より「コア」の部分を見つめていることを忘れてしまっているからだと思う。「コア」をしっかり見つめて、その「コア」が使えるのならば、「コア」の表出であるところの「実際の事業」にはあまり縛りを入れていないように解釈できるのに。

自分の「コア」である競争力に「集中」して、それを使える分野を「選択」しましょう。
これが、本来の意味じゃなかろうか?(え?え?違う?いやぁ、違わないよー)
 
すごく具体的に言うと… たとえば磁器の会社があったとする。長年磁器を作ってきた会社ね。磁器を生産するための設備があり、原料の調達・購買がしっかりしており、焼き物に精通した技術者が居て、流通もお付き合いが長く、一定の消費者、ファンも居てくれている…と。
 
この磁器の会社が、今までのように食器が売れず、何かしなきゃ!と思ったとする。で、たとえば「磁器の美しさを生かしたアクセサリー事業」を始めたら、これは「選択と集中」に反しちゃっているのだろうか???
 
・・・そうは、思わない。いやー、全く思わない。特に、食器としてそれなりのファンを獲得していて、ブランドも出来ていたりしたら、これは立派な「コア・コンピタンス」の利用だろう。もちろんこれはたとえ話だから、事業として上手く行くかどうかじゃなく、それはコア・コンピタンスの活用かどうか?(=選択と集中
に適っているか?)って話題だからね。そこ間違わないでね。

翻って、CADとかCAMとかCAEとか、なんだ?製造業支援IT産業の場合はどうだろう?
 
・・・・全然、全く、ちっとも、出来てないと、思う。
でも、逆は、よく見かける。
 
いろいろやって来たのを止めて、CADに特化します!とか、CAMに特化します!
って会社はあるね。そしてそれを、「選択」と「集中」と自分で言ったりする。
…ごめん、それは言葉の選び方が間違ってるから。チガウから。
 
だって、その「選択」ってどうよ?(笑)それは本当に「選択」したのかな?
選択するために一度選択肢を並べてみたのかな?
「それしか無かった」ってのはそもそも選択じゃ無いし、自分が理解できないものをきちんと見よう、理解しようという意識も無く、広範に情報を仕入れて、現在に至る歴史をヒアリングすることもなく、ただ目を背けて早々に排除してしまうってことは、それこそ「選択した」って事にはならないでしょ。
 
足りない情報から導き出される答えは、より多い情報から導き出されるそれよりも、かなり高い確率で、ほぼ間違っている。知らないってことは過ちへの近道だ。そして大抵のことは、知ろうと試みなければ知ることは出来ない。
失敗したかったら、知ってしまわないように努めればいい。
聞いたことにして、理解しないよう努めればいい。
想像と偏見(つまり間違った情報)だけで思考し判断すれば、確実に誤ることが出来ることだろう。
  
こんな事を書くと
「オマエはよほど成功への自信があるのだな?」
と、思う人も居るんだろうな(笑)どうにかしなさいよ、その短絡思考(笑)そんなこと一言も言ってないじゃん。
 
成功するかどうか?は、わかるわけがないよ。人為に確定事項なんてありゃしない。まして世間様が相手だもん。不確定要素ばっかりだ。不確定要素が多けりゃ自信なんて持てないよ。
 
ただ、成功するためには「こういう事を心がけようと思ってる」って話だかんね。
 
これだけは自信があるよ。
 
何事かを断じてしまう前に調べて、聞いて、見て、尋ねて、考える…そういった行為に勤勉であろう… と強く思うし、それが出来ているだろうという自信はあります。誰が言っているか?や、そいつが好きか嫌いか?ということの一切から離れて、情報や知識に対して真摯であろう、従順であろう、勤勉でいよう…という気持ちは強くあります。

大っ嫌いな人が言っている事でも、「そこは正しいね」という部分があれば、その部分に関してはアッサリ認める自信がある。
 
だって、そこまで勤勉であっても確実なものなんてありゃしないんだから、そこに手を抜くわけにはいかないじゃないか。
 
今は、自分が考えたことをそのまま実践していい… という立場に居るわけで。
それについては、すごく、ものすごーく(笑)、嬉しいよ。

ここ半年、「親会社」なんて言葉を一言も口にしていない… 
この、背筋が寒いほどの不安感と、小踊りしたくなるほどの開放感。
しばらくは楽しみながら、味わいましょう。

 

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