司馬遼太郎の「翔ぶが如く」を初めて読んだのは20年以上も前になるが、戦地になった田原坂や熊本城、西郷終焉の地の城山に行ってみたいと思った。熊本城と城山には仕事のついでに行く機会を得たが田原坂にはその機会がなかった。
今回は日田で昼食の後、菊池を経て植木に入った。そこから田原坂に向かうと官軍墓地や薩摩軍墓地などの案内表示が見え始めた。
立派な資料館があり中に入った。
一部にはレプリカがあるが銃器などは現物が陳列されている。スナイドル銃やエンフィールド銃、そしてスペンサー銃などは興味もあり、ここではじっくりと見られて良い。両軍の持つ武器の性能差は歴然とあるのに薩摩軍が粘れたのはやはり戊辰戦争を経験した士族の軍隊だったからか。
それにしてもあの時代に生まれなくてよかった。
資料館前の展望台からもう一つの激戦地、吉次越え方面を見た。田原坂も吉次越えも熊本と北九州を結ぶルートになるわけだが、薩摩軍も熊本城攻めにこだわらずにさっさと北進していればここは戦場にはならなかっただろう。
ただそれでも寝返るような官軍部隊が現れない限りは九州の外までは拡大しなかったであろう。熊本鎮台から薩軍への同調者が出ず、そして熊本城を早期に潰せなかった時点で結果は明白と言える。
こんなタイトルの観光パンフレットが熊本市観光振興課が出されていました。美少年と言うのは薩摩軍に同調した熊本協同隊幹部の高田露のことで、アニメキャラになっていた。いかにもくまモンを生んだ熊本らしい観光宣伝とは思うが、多くの戦死者や遺族を生んだ戦争に「恋する」のはいかがと思う。
今回は日田で昼食の後、菊池を経て植木に入った。そこから田原坂に向かうと官軍墓地や薩摩軍墓地などの案内表示が見え始めた。
立派な資料館があり中に入った。
一部にはレプリカがあるが銃器などは現物が陳列されている。スナイドル銃やエンフィールド銃、そしてスペンサー銃などは興味もあり、ここではじっくりと見られて良い。両軍の持つ武器の性能差は歴然とあるのに薩摩軍が粘れたのはやはり戊辰戦争を経験した士族の軍隊だったからか。
それにしてもあの時代に生まれなくてよかった。
資料館前の展望台からもう一つの激戦地、吉次越え方面を見た。田原坂も吉次越えも熊本と北九州を結ぶルートになるわけだが、薩摩軍も熊本城攻めにこだわらずにさっさと北進していればここは戦場にはならなかっただろう。
ただそれでも寝返るような官軍部隊が現れない限りは九州の外までは拡大しなかったであろう。熊本鎮台から薩軍への同調者が出ず、そして熊本城を早期に潰せなかった時点で結果は明白と言える。
こんなタイトルの観光パンフレットが熊本市観光振興課が出されていました。美少年と言うのは薩摩軍に同調した熊本協同隊幹部の高田露のことで、アニメキャラになっていた。いかにもくまモンを生んだ熊本らしい観光宣伝とは思うが、多くの戦死者や遺族を生んだ戦争に「恋する」のはいかがと思う。
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