早朝の5時半定刻に新門司港に着岸したフェリーを下船し、無料の送迎バスに乗って小倉駅に着いた。8時に山口から来た友人のY氏と合流してレンターカーを借りて日田を目指した。
日田には約40年前に得意先の店舗があり数回行ったことがあるが仕事をしただけで他のことには興味もなかったから記憶が全くない。
日田が江戸時代に天領であったことや広瀬淡窓なる人が咸宜園と言う私塾を開いていて大村益次郎など多くの人物がそこで学んだことを知ったのは大分後のことだった。それ以来、行ってみたい土地の一つになった。
咸宜園跡に建つ秋風庵とその中の掛け軸。著名な入塾者の名前がある。そばには咸宜園教育研究センターという資料館のような施設があり、塾や淡窓のことだけでなく日田のこともよくわかる。
日田は地形的には盆地であり中央に筑後川の上流となる三隈川が流れている。来るまでは山に囲まれた小さな盆地というイメージが強かったが平野部が思った以上に広く、山々も意外に遠いことに気がついた。天領だけにそれだけの収穫はあったのだろう。
昼食は名物の日田焼きそばを食べにチェーン店の「想夫恋」の本店に行った。12時前だったがかなり広い店内は8割がた以上が既に埋まり流行っていた。
豚肉ともやしを炒めたソース味でボリュームがあった。一口目はソースの味を強く感じ最後まで食べるとしつこくなりそうだと思ったがそんなことは無く完食できた。もやしのあっさりした味が調和させているのかもしれない。
小ライスはサービスで付けてもらったがこれで¥800(税別)。箸袋の裏をみるとビックリ、九州一円に数十店舗が展開され、京都にも1店舗が。その内に誰か誘って行ってみよう。
日田には約40年前に得意先の店舗があり数回行ったことがあるが仕事をしただけで他のことには興味もなかったから記憶が全くない。
日田が江戸時代に天領であったことや広瀬淡窓なる人が咸宜園と言う私塾を開いていて大村益次郎など多くの人物がそこで学んだことを知ったのは大分後のことだった。それ以来、行ってみたい土地の一つになった。
咸宜園跡に建つ秋風庵とその中の掛け軸。著名な入塾者の名前がある。そばには咸宜園教育研究センターという資料館のような施設があり、塾や淡窓のことだけでなく日田のこともよくわかる。
日田は地形的には盆地であり中央に筑後川の上流となる三隈川が流れている。来るまでは山に囲まれた小さな盆地というイメージが強かったが平野部が思った以上に広く、山々も意外に遠いことに気がついた。天領だけにそれだけの収穫はあったのだろう。
昼食は名物の日田焼きそばを食べにチェーン店の「想夫恋」の本店に行った。12時前だったがかなり広い店内は8割がた以上が既に埋まり流行っていた。
豚肉ともやしを炒めたソース味でボリュームがあった。一口目はソースの味を強く感じ最後まで食べるとしつこくなりそうだと思ったがそんなことは無く完食できた。もやしのあっさりした味が調和させているのかもしれない。
小ライスはサービスで付けてもらったがこれで¥800(税別)。箸袋の裏をみるとビックリ、九州一円に数十店舗が展開され、京都にも1店舗が。その内に誰か誘って行ってみよう。