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の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ワット・プーミン(ナーン)

2016年01月04日 | ナーン

午前11時50分、ナーンへ向けて出発です。
国道1021号線から、国道1251号線そして国道1091号線でナーンまでの155kmの距離ですが、そのほとんどが山岳地帯の走行です。

午後1時、チェーン・ムアンの三叉路手前で昼食です。パヤオから77km、1時間10分かかっています。この先、ナーンまでは78kmです。

路肩が広く、つづら折りのカーブが途切れた処で車を停めます。

進行方向右手の風景です。トウモロコシ畑が連なります。

左手です。やはりトウモロコシです。収穫の車両が入れるように、急斜面に道が続きます。




午後2時56分、ナーン到着です。まずワット・プーミンに参拝です。

13世紀末のナーンにカーオ王国が興ります。1450年頃にラーンナーのティローカラート王の侵略を受けカーオ王国は滅びてしまいます。
1558年ビルマの侵攻により住民は奴隷として連れ去られ王都は荒廃します。
1726年、ビルマの指名した国主が置かれナーン王国が始まりますが、常にビルマとシャムの干渉を受ける傀儡国家でした。第7代目国主の1786年にビルマ勢力が追放されると主権を回復し、チーク材の販売で繁栄します。
ワット・プーミンが現在の形に修復されるのは、アナンタ国主(在位:1853年~1891年)治世の1867年から1875年です。
壁画製作が始まったのは1887年、又は1888年で国主の崩御3年前にあたります。



1942年から発行されたラーマ8世とワット・プーミンをデザインした1バーツ紙幣です。日本政府造幣局印刷です。発行頭書のシリアル番号はタイ数字だったようですが、本品はアラビア数字になっています。



少年、少女たちは壁画の解説をしてくれます。
ずっと少年がついて回ってくれたのですが、こちらが質問をすると、それぞれの壁面の専任がいるようで、別の少女が来て一生懸命に説明をしてくれました。


*****

東壁面の絵です。
ナーン年代記によると、アナンタ国主には4人の王子と2人の王女がいました。

写真は書籍「Wat Nong Bua Mural」より借用した上部の壁画です。赤いガウンを羽織って立っているのが、アナンタ国主です。左に描かれているのが、長男のナーン・マハプロム王子です。国主はラーマ4世から1856年に王位を示す短剣を授かりますが、その後しばらくして王子が逝去しています。



2013年10月26日付けのブログ「ワット・プーミンの壁画」で壁画の内容を紹介しましたが、その時に描かれている写真の人物を西洋人としました。

写真はアナンタ国主の後を継いで1894年に63歳で王位に就く次男のスリヤポン王子です。写真は王位に就く直前です。
1893年はパークナム事件(シャムの危機)でタイ政府によってナーン東部のサイニャブリーをフランスに割譲することになります。(サイニャブリーは現在ラオス領です。)

白いサロンを巻いた半裸の男性がスリヤポン王子で、仏伝図の左右に当時の重要な人物の肖像を配したとも言われています。
また、南壁面と西壁面の壁画の完成は他の2人の絵師によって1900年から1903年のスリヤポン国主のときだとも言われています。

■ワット・プーミンの他の壁画は2013年10月26日付けのブログ「ワット・プーミンの壁画」を参照してください。


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