
国道1021号線から、国道1251号線そして国道1091号線でナーンまでの155kmの距離ですが、そのほとんどが山岳地帯の走行です。






13世紀末のナーンにカーオ王国が興ります。1450年頃にラーンナーのティローカラート王の侵略を受けカーオ王国は滅びてしまいます。
1558年ビルマの侵攻により住民は奴隷として連れ去られ王都は荒廃します。
1726年、ビルマの指名した国主が置かれナーン王国が始まりますが、常にビルマとシャムの干渉を受ける傀儡国家でした。第7代目国主の1786年にビルマ勢力が追放されると主権を回復し、チーク材の販売で繁栄します。
ワット・プーミンが現在の形に修復されるのは、アナンタ国主(在位:1853年~1891年)治世の1867年から1875年です。
壁画製作が始まったのは1887年、又は1888年で国主の崩御3年前にあたります。




ずっと少年がついて回ってくれたのですが、こちらが質問をすると、それぞれの壁面の専任がいるようで、別の少女が来て一生懸命に説明をしてくれました。

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ナーン年代記によると、アナンタ国主には4人の王子と2人の王女がいました。




1893年はパークナム事件(シャムの危機)でタイ政府によってナーン東部のサイニャブリーをフランスに割譲することになります。(サイニャブリーは現在ラオス領です。)

また、南壁面と西壁面の壁画の完成は他の2人の絵師によって1900年から1903年のスリヤポン国主のときだとも言われています。
■ワット・プーミンの他の壁画は2013年10月26日付けのブログ「ワット・プーミンの壁画」を参照してください。
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