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の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

元旦のワット・プラタート・チェー・ヘーン

2016年01月31日 | ナーン

午前10時、プーカー・ナーンファー・ホテルから東南に3kmにある「ワット・プラタート・チェー・ヘーン」に到着です。
ナーン川の東、プー・ピアンの丘の上に建つ仏塔までは、麓から真っすぐに幅広い参道が伸びています。

参道両側には巨大なナーガが首をもたげています。

正月でお寺の敷地内は露店が並び、駐車場まで入っていけません。空いた路肩に車を停め、裏参道を仏塔へ進みます。

裏参道脇に屋根の破れた礼拝堂があります。



ビルマ様式の仏像が安置されています。

礼拝堂の後方に建つ仏塔です。





礼拝堂の向かいには手入れにされたビルマ様式の仏塔「プラ・マハ・チェディ・チャウェダコン」が建っています。午年生まれの人が参拝する仏塔で、2014年は午年だったため、たくさんの花が供えられていました。


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表参道に設けられた新年を迎える祭壇です。

竹を碁盤に組んだ間に木の葉が挟まっています。
由来を調べれば面白そうですが・・・。

机の上に紙とペンがあり、みんな名前と住所を書いて、あたりに貼っていきます。

カボチャやバナナ、サトウキビにも名前と住所が書かれた紙が貼りつけられています。



こちらの旗(紙片)には名前と生年月日が書いてあります。


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仏壇がしつらえてあります。タンブンをしていきます。

奉納された飾りです。
日本の初詣で見る御幣や絵馬、大晦日に神社へ納める家族と新年齢を記した半紙の人形(ひとがた)などと共通するところがあります。おみくじもあります。日本のように運勢を書いた紙を木の枝に結ばないので目立ちませんが、日本人以上におみくじは大好きな人たちです。









こちらは幟(トゥーン)が奉納されています。



竹竿に吊るされた幟(トゥン・チャイ)です。特に6mから7㎡の長尺の「トゥーン・チャイ」を「トゥーン・サオ・ワー」と呼びます。
「ワー」とは長さの単位で、1ワーが約12cmです。「サオ」は12の意味で、「トゥーン・サオ・ワー」は12ワー(長尺)のトゥン(幟)です。
ここまで来る途中の竹組の周りに吊るされていたのが「トゥーン・サオ・ワー」になります。



ナーン王国のカーンムアン王統治時代にスコータイ王国のリタイ王から授かった仏舎利と金、銀製の仏像が安置された仏塔です。
(2013年10月31日アップの「ナーンの夕暮れ ワット・プラタート・チェー・ヘーン」も参照してください。)







礼拝堂に参拝します。


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露店を冷やかしながら、車へ戻ります。





宝くじです。毎月1日、15日に当選番号が発表されます。
今日が抽選日で午後に当選番号が発表されます。タイ人には人気があり、当選を祈願した人もたくさんいることでしょう。また、ご利益を願って買う人もたくさんいるでしょう。

午後12時30分、裏参道の入り口でアイス・コーヒーを買い込み出発です。
プレーを目指します。およそ140kmです。

再びプーカー・ナーンファー・ホテル

2016年01月30日 | ナーン
2年前のナーンで迎えた元旦です。
写真は廊下に飾られているワット・ノン・ブアの壁画です。カシ王国へ向かう船が難破、離ればなれになっていたテヴァティーサンカとチャンターカートが再会する場面です。

昨夜はこの窓が打ち上げ花火で赤や緑に映り、花火の炸裂音を聞きながらの年越しでした。
さすが北に位置するナーンの屋外は冷え込み、窓ガラスは結露しています。

2階のテラスです。通りには朝靄がかかっています。









朝食です。

屋内の椅子は、ナーンの織物をつかった背もたれです。

開放的な屋外に席を取ります。
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プーカー・ナーンファー・ホテルの玄関です。

玄関扉の取っ手の彫刻です。ナーンの家具職人の手によるものでしょうか・・・。








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一階には中国人移民の斡旋所時代の資料が展示されています。









ホテルのスタッフに見送られて出発です。
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ホテルの洗濯袋です。新しいのを300バーツでわけてもらいました。
大きな丈夫な袋で、結構役に立っています。


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ナーン川の東、プー・ピアンの丘に建つワット・プラタート・チェー・ヘーンへ初詣に向かいます。




新年を迎える準備のワット・ミンムアン

2016年01月29日 | ナーン



午後4時40分、ナーンへ戻ってきました。

OTOPで時間を過ごし、午後5時30分に隣のワット・ミンムアンに移動しました。

ワット・ミンムアンの境内は人出が多く、年越しの催しの準備中です。

僧侶が祭壇の準備中です。写真には写っていませんが、後ろは来賓用の豪華な椅子を前列に、たくさんの椅子が用意されています。



サトウキビです。バナナとサトウキビは祭礼に必ず供えられます。

「ラック・ムアン」が祀られたお堂です。





漆喰で隙間なく彫刻された十字形の堂内に、「ラック・ムアン」町の守護神を祀るための柱が安置されています。



「ラック・ムアン」は3mの高さがあり、土台部は彫刻され金箔が貼られています。先端にはブラフマー(梵天)が彫刻されています。(写真は2012年8月6日に撮影したものです。)
四梵住(Brahmavihara)または、四無量心を表現する四面です。
四無量心とは、Metta、慈無量心【慈・思いやり、慈しみの心】、Karuna、悲無量心【悲・いたわり、悲しみを理解する心】、Mudita、喜無量心【喜・喜びをわかちあう心】、Upekkha、捨無量心【捨・心を動かされない、こだわりを捨てる心】です。



ラック・ムアンを祀るお堂の入り口の彫刻です。マカラから生まれる天女です。

こちらは本堂です。



本堂入り口の漆喰彫刻です。彫刻はチェン・セーンの職人によるものです。
この写真から本堂内の壁画までは2012年8月6日撮影写真です。



ご本尊です。

壁画は地元の絵師による、ナーンの人々の生活様式が描かれています。















屋根飾りは、ワット・ノン・ブアで見たのと同じ、象の鼻と牙をもった鳥「ノック・パッサリーリン」です。




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午後7時、プーカー・ナーンファー・ホテルの戻ります。暫く休憩のあと、市街の西、ドイ・カオ・ノーイ山頂の「ワット・プラタート・カオ・ノーイ」から新年を告げるナーン市街の花火を見に出かけるつもりでした。
ところが、うかつにも疲れからか寝込んでしまい、午前0時、ホテルの窓に響く花火の音で目を覚ます失態に終わりました。


ナーン・リバーサイド・アート・ギャラリー

2016年01月25日 | ナーン
プアからナーン市街へ戻る途中、およそ46km過ぎに「ナーン・リバーサイト・アート・ギャラリー」があります。
ナーン市街までは、あと20kmです。時刻はまだ午後3時6分、立ち寄ってみます。





ギャラリーの建屋です。



こちらはトイレです。

まずは喫茶室でコーヒータイムです。やはり、シップソーン・パンナーのタイ・ルー様式の家屋をデザインしています。









建屋内では美術品の販売もしています。







本館の展示室です。抽象画が展示されています。



トラと一緒に二階展示室へ上っていきます。

2階はワット・プーミンの壁画のパロディーが展示されています。

ワット・プーミンのオリジナルです。



ワット・プーミンのオリジナルです。




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ナーン壁画の複製画が展示されています。





ナーン川です。

ワット・プーミンの囁く男女の立体像です。

囁く男女と聞き耳を立てる女像です(笑)。

土産店です。



寺院壁画の本、2冊購入しました。


「ナーンの壁画(チェタカーン・ファー・ムアン・ナーン)」310ページの書籍です。


「ラーンナーの壁画」A4判、109ページのナーンを中心とした北タイの壁画が掲載されています。
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ミニチュアアートのギャラリーです。


プア(ワット・トン・レーン)

2016年01月24日 | ナーン
ナビに導かれて、次に訪れたのは古刹「ワット・トン・レーン」です。
開基は1584年だと考えられています。

東向きの伽藍で、礼拝堂の壁は煉瓦積、寒さ除けで小さな窓になっています。屋根は急こう配の三層構造です。この建築様式は、タイ・ルーの故地シップソーン・パンナーの住宅と酷似しています。





特徴のあるナーガ屋根飾りです。



ご本尊にお参りです。







堂内にはタイ・ルーの人たちが奉納した幟が天井からたくさん下がっています。仏塔などの模様が織り込まれた幟を「トゥーン・ドック」、印刷された幟を「トゥーン・ターム」と呼びます。
トゥーンを織り、寺院へ奉納することは、輪廻を信じ、仏陀に敬意を払い、功徳を積むことだと考えられています。同様にトゥーンは、魂を天上に導き、弥勒菩薩に会見するための装置であると信じられています。
そのため、タイ・ルーの人々は生涯を通じて、寺院へトゥーンを奉納します。

この信念と信仰が、父母への感謝とトゥーンの功徳の象徴を表したタイ・ルーの神話「メー・カ・プアク」もしくは「タムナン・プラチャオ・ハー・トン」で語られます。

『5人の賢者(または、五仏)が白いカラスに五つの卵を授けます。
ある雨の日、白いカラスはエサを探しに巣を離れます。雨は激しく降り、卵は大雨で流されてしまいました。
流された卵は人間が見つけ出し、拾い上げられます。巣に戻った白いカラスは卵がないことに非常に悲しみます。嘆き悲しんだ白いカラスは、とうとう亡くなり天国へ昇ります。

五つの卵から生まれた五人は、若者に成長すると出家をし修行に励みます。
ある日、彼らは父母に功徳を捧げることを望みます。そこで、彼らの養育を助けてくれた人たちを象徴する幟を織ることにしました。
カクサンダ(拘留孫)は鶏、コーナーガマナ(倶那含牟尼)はナーガ、カッサパ(迦葉)はカメ、ゴータマ(釈迦牟尼)は雌牛の目、そしてメッテイヤ(弥勒菩薩)は服をかき混ぜるための櫂です。
彼らは織った幟を奉納するため寺院へ持っていきます。しかしながら、彼らの功徳は実の父母に届くことはできませんでした。
そこへ白いカラスが飛んできて、彼らにカラスの爪を模した芯のろうそくに火を点けるように言います。そうして彼らの功徳は達成されました。』

「メー・カ・プアック」または「五仏」は子供たちの世話をする人たちへの感謝を題材にしています。かってのタイ・ルーの習慣では、生みの親と育ての親は同じではないかも知れないようです。ワット・ノン・ブアの東側壁画でバラモンがチャンタラ・クマーラに話している運命も、生まれたての赤ん坊を母親ではない女性が世話している、タイ・ルーの特徴と習慣に関している、との解説があります。

カラスのかぎ爪の小さなろうそくカップ(パーン・プラティプ)に火を点ける習慣はイー・ペーンやローイ・クラトンを説明しています。また、トゥーンが人々と五仏が信仰で結ばれることを意味しています。

タイ・ルーの寺院には白いカラスの物語を描いた壁画もあるそうです。






■ナーン市街からプアまで67km、バンコクから累計で1023kmの走行となりました。