の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

軍隊に占拠された遺跡、タ・ミエン・トム

2013年11月22日 | スリン
■「タ・ムアン・トッチ」から1kmほど進むと道路は終わっています。その先に「タ・ムアン・トム」があります。
11世紀に建立されたヒンドゥー寺院です。

道路の終点です。細い道が林の中へ続いていて、その先に「タ・ムアン・トム」があります。道の両側は緑色の目隠しシートで覆われて、内側は軍の野営基地になっているようで、いたるところに撮影禁止の表示が出ています。

遺跡の入り口では軍が入場者のチェックをしています。身分証明書を預けて遺跡へ向かいます。

目隠しシートの道をしばらく歩くと遺跡が見えてきます。回廊の日陰にはたくさんの兵士が控えています。

この写真は帰りに撮影したものです。

寺院の東門から入ろうとすると、南へまわれと指示されます。



「タ・ムアン・トム」は南向きの寺院です。階段を上ると寺院となっていて、自然の地形を利用した高台に建築されたことが分かります。

階段を上ると日陰に兵士がいます。

写真右の階段下から熱帯林へ延びている道路は10m先でカンボジアの国境だそうです。



たむろしている兵士と記念撮影をしました。
兵士の制服が違いますが、左から二人目がタイの兵士で他はカンボジアの兵士と警察官です。





腰かけているのはカンボジアの兵士です。

こちらの2名もカンボジアの兵士です。腕の紋章がアンコールワットをあしらったカンボジアの国旗の意匠になっています。

彼の帽子には「POLIS」の刺繍があります。

左がカンボジアの警察官、右がタイ軍の兵士です。

ここにもタイとカンボジアの兵士が座っています。

シヴァ神の乗り物、ナンディ(牝牛)が祀られています。

祠堂の北側から写しています。

祠堂の楣石に彫り掛けのカーラがあります。

カーラの拡大です。

この柱にも彫り掛けの花模様があります。





主祠塔でしょうか、外壁にはたくさんの彫像が彫られていますが、全て破壊の跡があります。



略奪者が顔の部分だけ削り取ったようです。







祠堂はカンボジア内戦の1980年代に、この地を占拠したポル・ポト派がダイナマイトで爆破したようです。

写真の兵士は、良く写っていますが、偶然なのか、監視されているのか・・・。

自然石を利用したヨミです。ここにリンガが立っていたようです。



リンガに灌がれた聖水の導水溝です。ずいぶん長い溝になっています。





自然石に彫り込まれた天人像ですが線の白さからすると新しいもののようです。

同じく象の絵柄です。ビニール紐で囲いはしてあるのですが・・・。

祠塔です。上部は破壊されています。

こちらはタイの兵士です。

回廊を供えた立派な遺構です。天井は崩壊しています。

回廊の石組です。かなり複雑に組み合わされています。

遺跡は残された柱の装飾から推測すると、建築時には寺院全体に精緻な彫刻が施されていたようですが、入口の上にあるはずのまぐさ石は彫り掛けのカーラ以外は見当たらず、全て盗難にあっています。壁面の彫像も完全なものはなく略奪のため破壊されています。自然崩壊以上に人為的に破壊されてしまった寺院のようです。



軍幹部の巡回でしょうか、たくさんの軍人と遭遇しました。

■現在はタイ、カンボジアの両兵士が仲良く駐屯しているようですが、2011年2月には、東方へ150km離れたのシーサケットで領土紛争によって両軍が戦闘になり、カンボジア軍6名、タイ軍2名の死者、双方で100名以上の負傷者者を出しています。カンボジアからは数百発のロケット弾がタイ側に打ち込まれて、学校の校舎や寺院、多数の民家に着弾しました。被弾した校舎の生徒はたまたま校舎外に居て犠牲者が出なかったのは幸いでしたが、住民の犠牲者がでています。両軍の戦闘は4日間にわたって行なわれています。
領土問題による両国の衝突は、タイの政権政党との関係が大きく作用しているようで、2008年はら散発的に銃撃戦が起きています。
そのため国境区域には防空壕が学校、民家や道路沿いにたくさん設置されています。
国境を接している「タ・ムアン」にも緊張がはしり、タイの軍隊が大量に投入され防衛にあたっていました。
一触即発の際は臨戦態勢がとれるようになっているのでしょう。目隠しシートの内側には、迫撃砲、戦車等が潜んでいることでしょう。




イーサンのオーク・パンサー (1)

2013年11月22日 | スリン
■イーサンと呼ばれるタイ東北部にサコン・ナコーン、ナコーン・パノムという県があります。
サコン・ナコーンはバンコクから650km、ナコーン・パノムはサコン・ナコーンの東にあってメコン川に接した、ラオスとの国境の県で、バンコクから740kmに位置します。
サコン・ナコーンではオーク・パンサーの前日に「プラサート・プン」と呼ばれる蜜蝋で造った宮殿のパレードがあります。また、ナコーン・パノムではオーク・パンサーの日に何千という灯明を灯した、たくさんの船がメコン川を下ります。対岸のラオスでも灯明船がメコン川を下ります。「ライ・ルア・ファイ」といいます。
今回はサコン・ナコーン、ナコーン・パノムへの道順の観光を含めて紹介します。

■パチンブリーからコラートへ向かう山間で立ち寄ったガソリンスタンドに併設されている喫茶店に新婚さんと仲間たちが休憩していました。
風景の良いところで記念撮影をするのが流行っており、高原のリゾートまで出かける途中のようです。






■国道304号線を山越えしてチョクチャイまで250km、チョクチャイ交差点で国道24号線を東へ進むとブリラムに入ります。
ブリラムはクメール時代にアンコールワットとピーマイを結ぶ王道が通っていて、パノムルン遺跡やムアンタム遺跡を筆頭にたくさんのクメール遺跡が残っています。
また、ブリラム周辺は10世紀から14世紀にかけてのクメール陶器生産拠点の一つで、確認された窯址は136カ所あります。「バン・クルアット」にはチー川に沿って8カ所の区域で窯跡が発見されています
国道24号線を120km走ると国道2445号線と交差します。24km南下する「バン・クルアット」の市街に入ります。古窯址の表示に従って左折、約10km行くと田んぼの中にクメール時代の10世紀から12世紀に青磁、褐釉陶器が生産された「ナイ・チアン古窯址」があります。


発掘された窯址が建屋の中に保存されています。

ブリラムの窯はタイ北部窯と類似した構造の地上式横焔窯で、竹組で窯を形作り粘土を貼り付けて窯を造っています。「ナイ・チアン古窯」の特徴は、焚口から煙道まで12m、幅3mと大型化したため天井部を支えるための支柱が立てられていることです。他の区域でも数カ所で大型窯に天井を支える支柱が立っていることが確認されています。
写真は手前が焚口です。



窯址周辺は農地で民家はみあたりません。農地には陶片が散乱しています。他にたくさんの窯址があったのでしょうが、農地として開墾されたようです。

灰釉陶片がたくさん落ちていました。

■ブリラムで焼かれた陶器です。












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■古窯址を見終わって、カンボジアの国境と平行に東向かう国道224号線へ出ます。10km程走るとカンボジア国境に向かって南下する国道2407号線と交わります。国道2407号線を10km行くと国境の遺跡「タ・ムアン遺跡群」があります。
アンコール・ワットとピーマイを結ぶ王道上の遺跡の一つでジャヤヴァルマン7世は102カ所の施療院と121カ所の宿駅を設置しましたが、そのうちの一つです。
まずは一番初めに出会う「タ・ムアン」で、宿駅に建てられた礼拝堂と言われている遺跡です。
国境へ続く道路にある、最後の集落です。軍の検問があって、脇道の入り口は有刺鉄線で塞がれています。

「タ・ムアン遺跡群」入口にある軍の検問所です。

「タ・ムアン」です。ラテライト製の礼拝堂と祠塔が一体化した構造です。







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■「タ・ムアン」から300m程行くと施療院「タ・ムアン・トッチ」があります。
ここでは2名の兵士が警護しています。単車は警察官が乗りつけてきたものです。

儀式用の池が北西にあります。

東向きの楼門です。手前にも門跡の基壇が残っています。

回廊内には祠塔と経蔵があります。







祠塔上部の蓮の花飾りです。



警備の兵士です。顔は微笑んでいますが、指は銃の引き金に置かれています。



水牛レース(ウィン・クワーイ)

2013年11月20日 | チョンブリー
■「ラップ・ブア」が催されたサムットプラカーン県の東隣りのチョンブリー県では同じ日に「ウィン・クワーイ」(水牛レース)が開催されます。今年は142回目という歴史のある催しです。

普段は水田でのんびりと草を食んでいるか、水に浸かっている姿しか見かけない、実におとなしい水牛ですが、この日は巨体を躍らせて、地響きをたて競走します。
どこにそのような疾走力を秘めていたのかと驚かされます。
ラップ・ブアを見終わって、水牛レールが開催されるチョンブリー県庁前までは、車で1時間足らず距離です。1日で回ることができますが、今回は過去の写真を紹介します。
出走を待つ水牛たちです。まだ角が幼く仔牛のようです。競走は体格別に3クラスに分かれているようで、この子たちは小型クラスに属します。
大型水牛の疾走は迫力があり、人気もあって午後に出走します。



スタートラインへ牽かれていくところです。

競技場です。直線コースを六頭前後で競争します。

なかなかスタートゲートに水牛が入ってくれません。また、フライングも多くてスタートまでにかなりの時間を要します。

揃ってスタートしました。地響きを立てて疾走します。









水牛のお尻に上手く跨り、細い手綱と鞭を操って疾走していきます。







この水牛たちは小型の部類でしょうか、騎手が大きく見えます。






こちらは体躯が大きく、立派な角を持った水牛たちです。

後方から着いてくる水牛の騎手は落馬ではなく、落牛しました。


手前の白線がゴールラインです。ゴール近くになると鞭に力が入ります。









ゴールをすると騎手は走る水牛からうまく飛び降ります。





若い女性もたくさん観戦してます。

オーク・パンサー (ラップ・ブア) (2)

2013年11月13日 | サムットプラカーン
■「プラペーニー・ラップ・ブア」の続きです。先頭の仏陀を乗せた船の後に、バンプリーの各区域の船が続きます。
船渡御の船をすべて写しましたのでご覧ください。

午前8時26分、後続の船が来ます。まずは船首にはナーガを装飾した船です。






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続いてはガルーダです。








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獅子とナーガが船首にいます。




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ピンクの象が後ろに乗っています。










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しんがりの船です。ワニの装飾でしょか・・・。









午前9時10分、全ての船が通過しましました。


オーク・パンサー (ラップ・ブア) (1)

2013年11月13日 | サムットプラカーン
■昨日までソンクラーン旅行をアップしていましたが、11月になってしまいました。
陰暦12月の満月の日(2013年は11月17日です)に行われる「ローイ・クラトン」(灯篭流し)が間近です。時系列に沿って紹介する予定でしたが、ここは時間を進めて陰暦11月の満月の日(10月19日)の「オーク・パンサー」(出安居・しゅつあんご)にちなんだ行事を紹介します。

釈迦は雨期に天界に上り神々に説法をされました。最後に母である摩耶に説法をして、三か月後下界に戻ってこられました。これにちなみ雨期で移動が困難な修行者は、旅を中断し夫々の土地にこもって修行を行います。この期間を雨安居といいます。
タイでは、陰暦8月の満月の日(7月22日)が三宝節で釈迦が最初の説法(初転法輪)を行い仏・法・僧が成立した日ですが、その翌日の十六夜が「カオ・パンサー」(入安居)です。この日から僧は寺院にこもって修行に専念します。この期間に出家する人も多いようです。
在家の信者は雨安居中に僧が外出しなくて済むように、カオ・パンサーにろうそく、線香、法衣等を寺院へ奉納します。
ろうそくの奉納が「ろうそく祭り」に転じて、イーサン(東北地方)では各地で蜜蝋で飾った山車パレードが催されます。ろうそく祭りの紹介は次の機会にします。

寺院にこもって修行を続けた僧は、三か月後の陰暦11月の満月の日に修行を終えます。
この日が「オーク・パンサー」(出安居)です。オーク・パンサーにちなんだ行事が各地で催されます。
まずはバンコクの東隣県のサムットプラカーン、ワット・バンプリー・ノーイ周辺の運河でオーク・パンサー前日の10月18日に開催される「ヨーン・ブア」からです。
「ヨーン・ブア」の意味は「蓮の花を投げる」で、一般に呼ばれていますが、正式名は「プラペーニー・ラップ・ブア」で「ラップ」は「受ける」という意味で「蓮の花を受ける慣習」となります。ちなみに今年は第78回目とのことです。



沿道では蓮の蕾を売っています。5本で20バーツです。この蓮の蕾を仏陀を乗せた船に投げます。うまく船に乗っかれば願いが叶います。



午前6時45分です。仏陀を乗せた船は寺院の前に係留されています。



河畔は船が来るのを待つ人で埋め尽くされています。

運河にはハスの蕾を持った人を乗せた船がたくさん浮かんでいます。



船渡御は下流からスタートするようです。出発点へ向かう船が下って行きます。





午前7時13分、仏陀を乗せた船が岸を離れてスタート位置へ向かいます。河畔の人たちは願いを込めて蓮を投げます。





仏陀の周りは蓮で埋め尽くされています。今年の東部は各地で洪水被害をもたらしています。2011年の洪水はタイ北部の降雨が多く、アユタヤの工業団地に被害を及ぼしたため日本でも大きなニュースとして報道されましたが、今年の東部は過去10年で最高の洪水となりました。
そのため、ここサムットプラカーンでも運河の水が増水しています。飾りつけが橋にあたる船も何艘かありました。この船の左右の飾りを倒しているのも橋下を通過するためです。船上の人が手を上げているのは、仏陀が橋の下を通過するため、橋の上にいる人に避けるよう指示をしているところです。仏陀の上を跨いでは罰が当たります。

船に乗らなかった蓮が帯になって流れていきます。

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午前8時5分、船渡御の先頭の船が現れました。楽団が乗っています。



楽団に続いて仏陀を乗せた船が運河を上ってきました。みんな一斉に蓮を投げます。「ヨーン・ブア」です。









橋の上にもたくさんの人が出ています。しかし、中央の船が通る場所は避けています。