の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ワット・バン・ヤングのパーウェット

2015年09月26日 | マハ・サラカーム
パー・ウェット(パー・ウェットサンドン物語)の重要な場面で、ウエットサンドン国王が霊験ある白象を与える場面です。旱魃で苦しみ、白象を貰い受けに来た隣国の使者に承諾の灌水をしています。
【パー・ウェットサンドン物語の内容は2014年5月28日にアップしている「イサーンのシム(布薩堂)・ワット パ レライ」を参照してください。】

白象を貰い受けた8人のバラモンです。

白象を隣国へ与えた国王は、国を追放されることになりました。自分の財産を人々に分配します。



王国から追放されるウェットサンドン家族の乗る馬車を引く馬を貰い受けに来た4名のバラモンです。





追放された森で野草や木の実を採って生活します。





虎に襲われる猟師です。





水牛に乗る男の首が、後ろの女神(?)によって刎ねられています。

仏陀に灌水する人たちです。



上段は帰国するウェットサンドンです。






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堂の背面は天界と地獄を自由に往来し、地獄で苦しむ人を助けるマライ尊師図です。


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仏伝図もあります。













僧坊の下に吊るされた、巨大なわな式の漁具です。
私の郷里でも子供のころは河川に仕掛けている家もあり、長さ50cm、直径で2、30cmぐらいの小さなもので、とれた魚をその日のおかずに調理していました。割竹を筒型に編んで、一方にジョウロ状の返しをつけ、一方を束ねて縛っています。郷里では「のぞ」と呼んでいました。
その後上流にダムができ、湧水は枯れ、河川はコンクリートとなり、流れは汚水を流すどぶ川で魚も棲めなくなってしまいました。

ワット・バン・ヤングの入り口です。

国道2063号線に戻り、国道2045線でローイ・エットへ向かいます。ローイ・エットのバイパスを時計回りで国道2044号線へ出ます。国道2044号沿いには空港があって整備された道路になっています。

午後2時50分になりました。ガソリンスタンドに併設されたコンビニで食料を買い込み昼食です。
この後、ポーン・トーンで右折、国道2136号線で、「プラ・マハ・チェディ・チャイ・モング・コーン」仏塔を左手に見ながら、ムクダーハーンとの県境の峠を越えます。
さらに、国道2370号線へ山道を越えます。なぜか、対向するのもやっとの山道で警察の検問が行われていました。窓ガラスをを開け、顔を見せそのまま通過します。
ラオスからの密入国者の輸送ルートになっているのでしょうか。
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午後5時20分、16階建てのリバー・シティー・ホテルにチェックインです。ルーム・ナンバー9009号室です。
宿泊料は回転展望レストランでの120バーツドリンク券と朝食付で960バーツです。

荷物を部屋に置き、屋上へ出てみました。メコン川と川向うはラオスの都市サワンナケートを眺望します。

メコン川上流を見ます。2006年年に開通したタイ・ラオス友好橋が遠くに見えます。

メコン下流です。右端に見える高さ65.5mのムクダーハーン・タワーが低く見えます。

リバー・シティー・ホテルの外観です。最上階の円形部分が回転展望レストランです。

午後6時30分、暗くなり再び屋上まで上ってきました。







ドリンク券でカクテルを飲みながら夕食です。

バンコクからムクダーハーンまでの軌跡です。バンコクから772kmの走行です。バン・パーイから337kmです。

再び「ワット・バン・ヤング」へ

2015年09月25日 | マハ・サラカーム
午前10時35分、プラサート・プアイ・ノイをあとに国道2297号線をさらに進み、国道3020号線を東へ走行、国道219号線へ出て北行します。
ローイ・エットからクッチナラーイを通り、山越えでムクダーハーンへ行くことにします。

国道23号線との合流交差点を右折、国道2063号線を東行してローイ・エットへ向かいます。途中、この年の4月に訪れた「シム」と呼ばれるウボソット(布薩堂)の壁面に仏画の描かれた寺院「ワット・バン・ヤング(ワット・ヤン・トゥアン・ワララーム)」を再訪しました。

寺院は国道2063号線から脇道を1kmほど入ったところにあるのですが、道路に案内板もなく、脇道を間違えて曲がってしまいました。
タイでの田舎道は、幹線道路から散在する集落を一筆書きのように結びながら奥へ奥へと入っていきます。一方向の場合もあれば、たくさんの集落を結んで別の場所で幹線道路に戻る場合もあります。
ワット・バン・ヤングへは、およそ15kmの大回り走行して、何とか辿り着くことができました。
ずいぶんと遠回りをしました。

ワット・バン・ヤングの山門です。

山門の両脇で寺院を守るのはライオンです。

布薩堂の全景です。





堂内へ入り、全ての照明を点灯します。





本尊両脇の虎です。






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前回は2014年4月14日、午前9時30分に訪れています。
ブログを作成するときは、カメラ撮影した写真から選択した画像の画素数を落とし、貼り付けていきます。そして写真に文章を付けています。そしてできたのがこのブログですが、参考に改めて昨年5月29日にアップした「イサーンのシム(布薩堂)・ワット バン ヤング」を見て、全く変わり映えがしないのに愕然としたのですが、そのままアップしました。

イサーンへ旅する(マハーサーラカーム)

2015年03月20日 | マハ・サラカーム

午後3時15分、ワット・サワン・ワリー・パッタナラームを後にし、国道23号線を、東へ走ります。約70kmでマハーサーラカームです。

午後4時20分、マハーサーラカーム到着です。取敢えずタクシラ・ホテルに泊まります。一泊1100バーツです。









部屋に掛けられた絵は、半人半鳥で美しい歌声の天女のキンナリーです。ときおり地上に舞い降りて、水浴びなどをして遊んでいます。

時間も早く、ホテル周辺を散策してみます。

店のテレビをたくさんの人が囲んで盛り上がっています。ムエタイが放映されています。
お金が賭っているので皆さん熱くなっています、

散髪屋さんです。大人60バーツ、子供が30~40バーツです。バンコクでは大人100バーツです。

立派なショッピングセンターがあります。



一着59バーツです。地方へ来ると物価もずいぶん安くなります。

まだ午後5時ですが、来たついでにKFCで夕食にします。こちらは全国統一というより世界統一価格で、バンコクでも割高感があります。
同じように世界統一価格のマクドは立地場所によって価格が多少異なりますが、ハンバーガー1個で屋台の食事なら2、3回は食べられます。





巨大なドブネズミです。



マハーサーラカームのバスターミナルです。

川淵でタバコを吸っていると、サムローの運転手もタバコを吸いに寄ってきました。そこで、市内周遊を持ち掛けます。
客をとる順序があるようで、客待ちをしている別のサムローを呼びに行きました。

やって来たサムローです。市内周遊1時間200バーツで交渉成立です。
マハーサーラカームの市内には見るべき観光地はありません。運転手も悩んで、どこへ行けばいいか相談をしています。聞いているとワット・スワイが良いのではないかということになりました。

出発です。

まず時計台を周り北へ向かいます。



やって来たのは「ワット・パー・ワン・ナーム・イェン」です。

チーク材の立派な礼拝堂です。

建設中の仏塔です。



午後5時50分、夕陽が沈みかけています。



帰路はホテルまで送ってもらいます。


イサーンのシム(布薩堂)・ワット バン ヤング

2014年05月29日 | マハ・サラカーム
■「ワット・ポーターラム」、「ワット・パ・レライ」を見終えてマハー・サーラカームのタクシラ・ホテルへ戻ります。国道2045号線から国道2063号線を経て国道2040号線で市街へ戻るのが60km弱の最短コースですが、もう一つシム寺院を見るため国道2063号線を直進します。
ソンクラーン期間中は各自治体毎に幹線道路で交通監視が行われています。道路脇にテントを張って警察、自警団、地方役所の職員等がたくさん立ち番をしています。交通監視カ所に出会う都度、目的の寺院「ワット・ヤング・トアン・ワララーム(ワット・バン・ヤング)」を訪ねるのですが、誰も知る人がいません。みんな親切で、あちこち調べてくれるのですが結局分からずで、季節外れの降雨となり、国道23号線まで突っ切りホテルへ戻りました。
ホテルに到着して2日目の走行距離をチェックすると207kmと予想外にたくさんの距離を走行していました。

■3日目は朝からカーラシンへ向かう予定だったのを変更して「ワット・バン・ヤング」を訪ねることにしました。

「タクシラ・ホテル」のロビーにもソンクラーンの仏陀が祀られています。旅の安全と健康を祈願して水を灌いでいきます。

朝食です。この時期のイサーンはタイ人でも行きたがらないと言われる通り、宿泊客が少ないのか、西洋人のカップル以外誰も食堂に座っていません。
実は、初日に来る途中で宿泊予約の電話を入れたのですが、電話口からは「予約は受け付けていない。いつでも空室があるから来い。」というぶっきらぼうな回答で、ホテルの質を心配したのですが、到着してカウンターに行くと非常に愛想も良く、設備の整ったホテルでした。

朝食の卵料理にオムレツを注文します。

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■前日のコースを逆走して国道23号線から国道2063号線に入ります。暫く進むとソンクラーンパレードの長い長い行列につかまります。2車線道路で、とても追い越しができる状況ではありません。
交通監視をしている人に「ワット・バン・ヤング」を尋ねます。
たくさん居並ぶ人の中で、一人だけ知っている人がいました。ゆっくり進むパレードを眺めながら、次の村道を曲がれば遠回りにはなるが、行くことができる。という答えです。どうも不安が残るが車を進めることにします。途中で人に出会えば何度も尋ねるのですが、誰も知りません。村の中を通じる細い道路の連続です。とにかく国道2063号線から大きく外れないように進みます。距離計を見ると18kmも走っています。ここまで走ると引き返す元気もありません。
しかし、やっと出会えました。ある村はずれで自転車に乗っている老人に聞けば、そのお寺ならもう少し行った所にあります。という丁寧な答えです。
ちなみに「ワット・バン・ヤング」から進行方向へ500m程進むと元の国道へ出ることが出来ました。村道へ曲がった所からだと12km離れていました。

ということで、やっとたどり着いた「ワット・バン・ヤング」の寺門です。ホテルを出てから辿り着くまで1時間半かかっています。55kmの距離です。

シムの外観です。外壁があって扉が閉まっています。





勝手に扉を開け、中へ入ります。
シムの正面です。
階段の両脇はシンハ(獅子)です。その前に腰かける人物像があります。

扉の右側壁面です。3段に分かれ「パー・ウェットサンドン・サドック」が描かれています。一番上は森へ追放されていたウェットサンドンの帰国を出迎える、シヴィーの人々、中段はウェットサンドンを訪ねて森へ入ったバラモンが、番犬と猟師に狙われている所です。
下段は子供を抱いて森を進む、ウェットサンドンとマディーです。

扉の左側壁面です。上段は女性像と女性に絡む男性が描かれています。当時の風俗画でしょうか。中段は虎に噛まれる男性。下段は二人の子供を連れ去るチューチョックです。





シムの右壁面へ周ります。

左下に森で果物を採るウェットサンドン家族が描かれています。

物語は下から上へ展開します。一番下は水を汲みに出かける、チューチョックの若くて美しい妻、アミッダーです。そして上へ行き、水汲み場でいじめられるアミッダーとなります。家に帰り外へ出るのを嫌がるアミッダーとなだめるチューチョックです。



右下は白象をカリンガへ連れて帰るバラモン、その上は追放されるウェットサンドラ家族が乗る馬車の馬を求めるバラモンです。

上は馬車を貰い受けたバラモン。その下は馬を貰い受けたバラモンが描かれています。

右下は白象を貰いに来たバラモンに承諾の水を灌ぐウェットサンドン国王です。

シムの背面と左側面です。

背面は仏伝図が描かれています。左上は官女のだらしない寝姿を見て出家を決意する太子です。







背壁面から左壁面へ周ったところです。プラ・マライの地獄図になります。

森の果物を採るマディーとマディーが庵へ戻るのを妨害するライオン、トラ、ヒョウに化けた3人の神。
マディーを連れ去るサッカが変身したバラモンとサッカに戻りマディーを戻す場面です。





700組の贈り物を配るウェットサンドンとマディーです。

ウェットサンドンの帰国です。

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■シムの中へ入ります。屋外の壁画と雰囲気が全く異なります。












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庫裡として使われている建屋の破風です。

何のお呪いでしょうか、境内の棘のある大木にもち米が刺してあります。


イサーンのシム(布薩堂)・ワット パ レライ

2014年05月28日 | マハ・サラカーム
■「ワット・ポーターラム」から1.2km進むと、農村集落の中に「ワット・パ・レライ」があります。この村落寺院にもシムが建設されています。

過去に紹介しましたが、「コーン・ケン」は1783年にビエンチャンから逃れてきた300名が定着したのが始まり、「ローイエット」は1713年にラオスのチャムパーサック王が一族の「チャオ・ケーオモンコン」に移住者を連れて移住させました。後に息子が国主となります。また、1865年には「ローイエット」から「ターオ・マハーチャイ」が2000名を連れて「マハーサーラカーム」移住し国主となります。「カーラシン」は1777年にビエンチャンから5000名を引き連れて逃れてきたチャオ・ソームパミットが後に国主となっています。
1904年はタイ仏条約が調印され、メコン川左岸のフランスへ割譲、メコン右岸25km内を緩衝区域としタイ官吏の立ち入り制限され、タイはメコン左岸のラーオ人をタイ領へ移住させています。
元々イサーンにはたくさんのラーオ人、モン・クメール人が居住しており、タイが直接統治をしていた地域ではありませんでした。いわゆる朝貢関係による宗主国でした。そのような関係でラーオ文化の影響を受けた仏教美術は色濃く残っています。

シムの入り口です。堂内に至る階段には、簡素化されたパヤナーの像があります。



西から見ます。

南から見ます。錆びたトタン屋根に覆われて、十分な保護がされていません。

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■正面(東側)壁画です。




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■南側壁面です。「ヴェサンタラ・ジャータカ」が描かれています。
「ヴェサンタラ・ジャータカ」はタイ中央部の呼び方で、イサーン(ラーオ)では「パー・ウェットサンドン・サドック(物語)」または「パー・ウェト」として知られています。

天上界では、サッカ(帝釈天)の妻、プーサティが下界に転生しました。生まれ変わってからもプーサティと呼ばれ、地上で一番美しい少女に成長しました。
16歳でシヴィの国王サンチャヤと結婚しました。二人は心から愛し合い、やがてウェットサンドン王子を儲けました。
生まれた赤ん坊は「お母さん、私は何を与えることができますか?」と話しかけ、神々を驚かせました。
8歳になった時、「もし誰かが私の心を求めたら、彼に私の目、私の肉を与えるでしょう。」と話しかけています。
ウェットサンドン王子は自分の所有物を人に与えることで満足をしました。
16歳で王位を譲られで、隣国の王女、マディーと結婚をしました。王国は繁栄し、二人は幸せに暮らしていました。息子ジャリィ、娘カンハチナが生まれました。

何年も前、ウェットサンドン王子がまだ赤ん坊のころ、王国に若い白象がもたらされていました。白象は王国に慈雨をもたらし、王国を繁栄させました。

近くの王国カリンガでは長い旱魃で人々が苦しんでいました。皆の祈祷や国王の天へのお供えも空しく雨は降りませんでした。
カリンガの人々の多くがシヴィ国の霊験ある白象とウェットサンドン王の慈悲を知っていました。国民は国王に白象を貰い受けるため8人のバラモンを遣わすことを薦めました。

バラモンがシヴィに着いたとき、ウェットサンドン国王は白象の上から施しものを与えていました。貴重な白象は貴重な宝石と豪華な装飾で覆われていました。
ウェットサンドン国王はバラモンの要望を聞くや、すぐに承諾を表す水を彼らに灌ぎました。
(ウェットサンドン王が瓶から水を灌いでいるとこです。バラモンは梁の陰で見えません。壁画は3段に分かれて物語が描かれていますが、上段は汚れがひどく、鳥のフン害で白くなっています。)

(バラモンが白象を連れて帰るところです。)
シヴィの国民は、彼らに繁栄をもたらした白象の喪失を嘆き悲しみ、元国王のサンチャヤが王権を取り戻し、ウェットサンドン国王の追放を要求しました。
サンチャヤは心が痛みましたが、人々の激怒が大きく同意せざるを得ませんでした。

ウェットサンドンの追放に1日間の慈悲が与えられました。
その1日間でウェットサンドンは全ての所有物を700に分類して、700人に与えました。
遠くからも人々が贈り物を受け取りにやって来て、夜になってもまだ配っていました。
親の許しを得て、妻と2人の子供たちと一緒に最後の夜を過ごしました。

日の出とともに追放された家族は四頭立ての馬車に牽かれて都城を出て行きました。

都城の門が閉じるると、すぐに4人のバラモンが現われ、四頭の馬を求めました。

そして、即座に馬はバラモンに与えられました。
神々は、馬車をひくため牡鹿に姿を変えた4人の神を遣わしました。

しかし、すぐに馬車を求めて5人目のバラモンが現われます。

バラモンに馬車を与えたウェットサンドンとマディーは息子と娘を抱き旅を続けます。
彼らの旅は、ウェットサンドンの叔父が支配するチェッタに寄り、都城門の横の小屋で一泊しました。
叔父は館に彼らを招待し、ウェットサンドンに国を譲るつもりでしたが、叔父の意図を知ったウェットサンドンは都城内へ行くのを拒みました。
翌朝、国王はウェットサンドンと家族を森の近くまで見送り、川の畔で休息をとった後、食料を授けて分かれました。
4人は大きなムチャリンダ湖を迂回して、ヒマラヤ山脈のふもとの丘へ向かいました。森の中の細い道が彼らをヴァムカ山麓まで導きました。

神々の王サッカは、彼らが到着することを予測して、ヴィッサッカマに命じて蓮池の畔に二棟の庵を建築させました。
ウェットサンドンが先に庵に入ると、4組の隠者の衣服が折りたたんであることに気づき、サッカが彼らを見守っていることを悟りました。
彼らは7カ月間、草の根や森の果物を食べて生活をしていました。

カリンガではもたらされた白象によって旱魃は終わっていました。村にはチューチョックという醜いバラモンが住んでいました。彼には、働き者で若くて美しい妻アミッダーがいました。
アミッダーが水を汲みに井戸に行くと、居合わせた村の女性たちから悪口を言われたり、からかっていじめられます。とうとう彼女は水汲みに出かけることを嫌がって止めてしまいました。



チューチョックは寛容なウェットサンドンの噂を聞き知って、2人の子供を奴隷として貰い受けることで、妻をなだめました。
ウェットサンドンを見つけるために出発します。

森を通過するとき、チェッタ国王によってウェットサンドンを探す不審者を見張るように置かれていた、番犬や猟師に攻撃を受けます。
(ひび割れに漆喰を塗りつけただけの補修で絵柄が消えています。)
チューチョックはサンチャヤ国王の命令でウェットサンドンを迎えに来たと、見張り人や猟師を騙して通過します。
森の修行者にも同じ嘘を伝えて、ウェットサンドンの居場所を聞き出します。

(背面の壁画になります。)

チューチョックはマディーが森へ出かけるまで庵に近づくのを待ちます。
庵でウェットサンドンを見かけたチューチョックは歓喜しました。

チューチョックの異常な要望は、バラモンに水を灌いで受け入れられました。

二人のやり取りを聞いていた子供たちは、急いで蓮池の葉陰に隠れてしまいました。
ウェットサンドンは子供たちを蓮池から探し出し、チューチョックに与えました。

バラモンはツタで子供たちの手を結び付け、鞭打ちながら連れ去りました。
ウェットサンドンの目からは涙があふれ出しました。彼は泣きながら庵に入り、深い悲しみにおちてしまいます。

マッディーが泣き叫びながら連れ去られる子供たちに遭遇するのを防ぐため、3人の神はライオン、トラ、ヒョウに身を変え帰り道を塞ぎます。
ウェッドサンドンは帰宅したマッディーに真相を告げることができませんでした。
子供が見当たらず、取り乱した母親は夜明けまで彼らを探しました。朝になり彼女は気を失ってしまいます。
マッディーを介抱したウェットサンドンは、バラモンに子供を与えたことを告げました。彼女はウェットサンドンの徳を称え賛同しました。

サッカは最も素晴らしい贈り物として献身的な妻が残っていて、ウェットサンドンは人に乞われれば、彼女も与えてしまうであろうことを知りました。
マッディーを他人に与えるのを避けるため、サッカは醜いバラモンに身を変え、庵を訪れました。
妻を請うバラモンにウェットサンドンは承諾の水を灌ぎます。妻も夫の願望を果たすため承諾をします。

神はウェッドサンドンに最高の慈善能力があるのを認め、マッディーを返しました。


カリンガへ戻るチューチョックは森で迷い、神々によってシヴィの国へ導かれて行きました。
シヴィに入ると人々に見いだされた、チューチョクと子供たちはサンチャヤ国王のもとへ連れていかれました。

国王は孫を見出して大喜びでした。チューチョックを罰するどころか、大邸宅を建て、多額の褒賞金を与えました。
豪華さに慣れていないチューチョックは差し入れられる食べ物を食べ過ぎ死んでしまいました。



国王はジャリィに息子を十分に愛さなかったと責められます。
そこで国王はウェッドサンドンをシヴィに連れ戻すことにしました。国民も彼の追放を後悔して迎えることに大喜びでした。
国王は将軍に命じて、森まで馬車で行ける平坦な道路を造らせ、王族の行列を仕立てて迎えに行きました。
ウェッドサンドンにシヴィに戻り、もう一度王位に就くよう懇請しました。1カ月間森で祝祭を営んだうえで、ウェッドサンドンは王にふさわしい服装、マッディーは美しい衣装と宝石で盛装して、華麗な行列を連ねて帰国しました。





王座についたウェッドサンドンは生涯、貴重品を人々に分配しました。
生を終えると、天上界に菩薩として転生しました。
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■北側壁面です。「ラム・ラック物語」、ラーオ版の「ラーマキエン」が描かれています。












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■堂内です。





















地獄の釜茹です。岩の上から僧衣を垂らすのは、天界と地獄を自由に行き来して、地獄で苦しむ人を助けるプラ・ラマイです。

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寺院の入り口で軽食を取りました。

一串が20バーツの蛙です。写真撮影だけで買ってはいません。