の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

スコータイの国立博物館 7

2022年07月15日 | 博物館


2階の展示です。サワンヴォラナヨック師の寄贈を中心にクメール様式からスコータイ様式、ウトーン様式、アユタヤ様式、ラッタナコシーン様式へと変化する優美な青銅仏が展示されています。

まずは展示場の奥からです。













降魔印の座仏の奥にはスコータイ様式を代表する青銅製遊行仏があります。
この2体はかって日本へも貸し出しされています。







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遊行仏の左右に置かれた仏像です。














次は左右の陳列ケースの仏像です。
スコータイのワット プラ パーイ ルアン出土の漆喰製仏頭と陶製の仏陀のお顔です。かなり大きな陶片です。額には仏陀の知恵と悟りヘの道を示すシンボルと言われる渦巻模様ウナローム プラ プッタループ スコータイがあります。

ミャンマーには額にこの印が付いた仏像が多いことに気付きました。参考にシェダゴン・パヤーの仏堂で見たお顔を添付します。





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スコータイの国立博物館 6

2022年07月12日 | 博物館


サワンヴォラナヨック国立博物館の2回目です。
陶製寺院装飾の紹介です。大型の彫像が多く、当時の窯業技術の高さが窺える製品ばかりです。



























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左の部屋には中国、ベトナム、そしてタイ湾の沈没船から引き上げられた14世紀から15世紀の陶磁器が展示されています。

スコータイの国立博物館 5

2022年07月11日 | 博物館


サワンカロークのヨム川西岸、サワンカラーム寺院の向いに建つサワンヴォラナヨック国立博物館です。
サワンカラーム寺院の僧正サワンヴォラナヨック師の死後、師の蒐集したサワンカローク陶器、仏像の寄贈を受け、師の遺志により寺院の敷地内に博物館を建設、1984年に「サワンヴォラナヨック国立博物館」として開館しました。







1階はスコータイ遺跡、シーサチャナライ遺跡から出土した陶器が展示されています。

サンカローク窯(パヤーン窯)のジオラマとサンカローク窯を中心にタイの窯業の歴史が解説されています。





















展示は技法別に展示されています。好感が持てるのは全てに出土場所や来歴が解説されています。



まずは右側展示からです。青磁盤、台鉢、小壷、そして鉄絵合子、碗、魚文皿が並び、白釉陶器が展示されています。













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鉄絵製品になります。

















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左側の展示品です。
黒釉偏壷等はクメール様式、ブリラムと表示、サンカローク初期の一般にモン陶と呼ばれる陶器にはチャリエン陶器をあてています。同じスコータイにある国立博物館ですが、なぜか説明が異なります。













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低温焼成品には14~17世紀のスコータイ様式となっており、下段の彩色水差にはマハータート寺院の出土となっています。スコータイ古窯に直焔式窯で生産されていたのでしょうか。











入場券のデザインになっている透かし彫りの白釉灯明台です。ここから寺院装飾になりますが次回に....



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マイコレクションに少し小型の白釉灯明台があったので写真添付します。








スコータイの国立博物館 4

2022年07月08日 | 博物館
本館を出て屋外展示をまわります。
漆喰彫刻の展示室は扉が閉められており、屋外から覗き込みます。









法輪はペチャブーンのシーテープ遺跡出土です。
その下が並べられた陶製の土管です。





スコータイ古窯の複元です。横には大量の窯道具だ積上げてあります。







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その後、整備されたスコータイ窯跡へ行きました。
大型の横焔式窯は屋根が設けてあり、解説板も立っています。
写真2枚目と3枚目の活動期間は1410年~1530年としています。
初期スコータイ窯としてリタイ王時代の1350年か~1400年に使用された窯も保存されていましたが、撮影しなかったようです(整備作業中の写真は下にあります)。
この一帯で47基の窯が整備され、35基が昇焔式、12基が横焔式となっています。

















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整備前の窯跡と2017年8月の整備中の写真です。
初期スコータイ窯の発掘当時の写真は4枚目です。







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最後の写真は発掘現場周辺に投棄された煉瓦のほんの一部です。保存された47基の窯と書きましたが、作業現場を見れば相当数の窯が壊されたようです。

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スコータイ旧都城の北、27kmにあるムアン バーン クランにあるクメール統治時代のワット ボート遺跡を再確認したかったのですが、道を間違えシーサチャナライまで行ってしまいました。
とりあえず過去に撮した写真を掲載しておきます。




スコータイの国立博物館 3

2022年07月06日 | 博物館




2階はまずスコータイ古窯、サンカローク古窯の出土品です。
写真上は奇跡の着地をしたサンカロークの青磁陶人形です。窯跡(物原)からの出土品なのか、遺跡出土かの説明はありませんが、実に見事な不良品です。

次ぎに種々の陶器ですが、ほとんどサンカローク窯の製品です。

















上の写真はスコータイ古窯で使われた窯道具で、多様な窯印の入った置き台です。
サンカロークと同形の矩形の置き台もあります。

下はスコータイ古窯のジオラマです。ワット プラ パーイ ルアンの環濠北に煉瓦製地上式窯が整備、覆屋され保存されています。
ラームカムヘーン国立博物館には古窯に関する解説はありませんが、翌日訪れたサワンヴォラナヨック国立博物館には調査、整備された窯は47基で35基が昇焔式窯、12基が横焔式窯となっています。
ジオラマ右上にあるのが昇焔式窯です。かっては土砂と草に覆われ、地上に一部露出した直径1m少々の小さな窯をたくさん見ましたが、昇焔式窯との説明に驚きました。
昇焔式窯の周りにもたくさんの鉄絵魚文鉢の陶片が落ちていましたが、温度管理をどのようにしていたのか気になります。



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次からは寺院装飾として焼かれた陶器です。これらの生産は殆どがサンカロークのパー ヤン窯が担っています。地元の人たちはパー ヤン窯とは呼ばずにパーヤック窯と呼びます。窯跡からたくさんの寺院装飾が出土し、特にヤック(鬼神、門衛)像に敬意を表しているようです。




























復元品です。


寺院の手すりです。







最後の2枚はスコータイ都市建設に用いられた土管です。

1階に展示されていた黒釉偏壷には「Lopburi Art, 12~13c.AD」という解説が付いていましたが、スコータイ都市の灌漑の説明にはやたらと「Wat Phra Phai Luang community」と言う言葉が使われています。
伽耶、任那を証拠を改竄しても無かった、若しくは共同体程度に矮小化したい某国の学者と同じ思惑なのか....ただ、困ったことには某国の学者の意見に日本の学者も恭順になるのだが....

ワット プラ パーイ ルアンの北から東北にかけて東西3~4km、南北1kmの貯水池の存在を石井米雄氏が推定されておられるが、スコータイ王朝以前の旧都市の中心がワット プラ パーイ ルアンで、人工河川、貯水池などの灌漑を基本にした都市造りをしています。
ワットマハータートの建造、3重の城壁と濠が築かれ寺院の濠への導水管として土管が用いられました。
池や濠に囲まれた寺院周辺の発掘調査で様々な大きさの土管が出土するそうです。

スコータイ遺跡から出土した磚仏です。